【日々のみことば】5月25日

主を賛美せよ

悲痛な叫びの後、
歓喜の叫び、賛美。
見捨てられたと絶望の中にあったが、
御顔を隠されていなかった。
聞いてくださっていた。

このように自分が救われたことで、
終わらない。
すべての人が主に帰り、
御前にひれ伏しますようにと祈る。

主は私たちの叫び、祈りを聞いてくださる。
それはただ私たちの幸いのためだけではない。
私たちが主を賛美し、
すべての人が主に帰り、
主の前にひれ伏すことを祈るため。

このように私たちが主を賛美し、
御国が来ますようにと祈るとき、
私たちの心は生きる。

今日、私の心は生きているだろうか。
自分のことばかりを見つめ、
主を賛美することを忘れていないだろうか。

父よ、私たちの心がいつまでも
 あなたの前で生きることができますように。
どうかあなたを賛美し、
 あなたの前にへりくだって
歩むことができるように導いてください。

 地の果てのすべての者が 思い起こし
  主に帰って来ますように。
 国々のあらゆる部族も 
  あなたの御前にひれ伏しますように。
            詩篇22:27

礼拝堂での礼拝再開のお知らせ

5月31日のペンテコステ礼拝から礼拝堂での礼拝を再開します。
なおオンライン礼拝は継続します。
皆様とともに礼拝をささげることができることを心から感謝します。
イズミンキッズは9時45分からスタートです。

【日々のみことば】5月24日

わが神 わが神

主の沈黙、、、
主の助け・救いがないかのような絶望。
主が遠く離れ、苦しみだけが近くにある。
骨は外れ、心はとけ、
骨一本一本があらわになる。

それでも主を呼び、
「あなたは私の神です」と告白する。
苦難、弱さの中にあっても
主の救い・助けだけが拠り所。

主イエス様は十字架の苦しみを負われながら

 わが神 わが神
  どうしてわたしをお見捨てになったのですか

と叫ばれた。
この世が始まる前から
ずっと三位一体の愛の交わりを
喜んでおられた、
その関係が私たちの罪ゆえに断たれた。

イエスさまの苦しみ、痛みは測り知れない。
それでもイエスさまは御手に委ねられた。
苦しみも 痛みも すべてを。
ここに私たちの救いがある。

父よ、あなただけが私の拠り所、救いです。
 あなたは私の神です。
主よ、イエスさまは私たちが
 味わうことのできない絶望・苦しみを
すべて身に負ってくださいました。
 このことによって私たちに救いの道を
開いてくださったことを感謝します。

 生まれる前から
  私はあなたにゆだねられました。
 母の胎内にいたときから 
  あなたは私の神です
            詩篇22:10

【日々のみことば】5月23日

幸いに至る祝福

主なる神様を信頼するダビデを、
主は大いなる者とされ
とこしえに祝福を与えられた。

その祝福はイエスさまにあって
すべての人、私たちにもおよび
滅びではなく、いのちが与えられた。

詩篇はダビデの信仰、生き方を通して、
救い主を明らかにしている。
そして主イエス様を信じ、
御霊によって
日々キリストの似姿に変えられている
私たちの完成が示されている。

この世にあって主に信頼する私たちは
主の恵みのゆえに揺るがず、
後の日に主の御前でとこしえに
喜び楽しむ望みが与えられている。

父よ、ダビデのあなたへの信仰・信頼、
 主イエス様のあなたへの信頼、
それが今 私たちに引き継がれていることを
 心から感謝します。
主よ、あなたの御力を喜び、
 あなたの御救いを楽しんで歩んでいきます。
導いてください。

 あなたは とこしえに彼に祝福を与え
  御前で喜び楽しませてくださいます。
            詩篇21:6

【日々のみことば】5月22日

主の御名を呼び求める

苦難の時、何を求めているか。
普段、何を誇り、宝としているか。
私は目に見えるものを求め、誇っている。

主の助けを静かに待つのではなく、
主の助けは付け足しであるかのように
自らの力でどうにかしようとする。
自らを誇り、頼りにしている私。

自分でどうにかできたことは、一つもない。
すべてが主の守りと助けであったのに、
悟れない私。
そんな私のために主は、
今日も働いてくださる。
今日も変わらず、愛してくださる。
私たちが主を誇り、主を求めるために。

父よ、自らを誇り、
 自分にしか頼れない私たちです。
そんな自分に疲れを覚えます。
 主よ、私たちがあなたを誇り、
あなたを求める心を与えてください。

 ある者は戦車を ある者は馬を求める。
  しかし私たちは 
 私たちの神 主の御名を求める。
            詩篇20:7

【日々のみことば】5月21日

口のことばと 心の思い

自分の過ち、隠れた罪に気づくことは難しい。
たとい気づいたとしても、自分を擁護したり、
見ないようにフタをしたり。
そうすると自分が神のように振るまい、
傲慢になる。
すべてを責任転嫁し、人を裁く。

このような私の心を主なる神様は、
みことばの光で照らしてくださる。
みことばは私たちのたましいを
生き返らせてくださる。

私たちのうちにある過ち、
罪を明らかにしてくださり、
悔い改めへと導いてくださる。
そうすると私たちは徐々に
心の内を隠すことなく、
主の前にも、人の前にも正直に生きられる。

父よ、私が自らの過ちを悟り、
隠れた罪から解き放ってください。
心のにぶい、愚かな私をあわれんでくださり、
みことばの門をいつも開いてください。

 私の口のことばと 私の心の思いとが
  御前に受け入れられますように。
 主よ わが岩 わが贖い主よ
            詩篇19:14

【日々のみことば】5月20日

主の謙遜

偉大な主なる神様が謙遜、低くなられるとは、、、

「身を低くして天と地をご覧になる」(詩篇113:6)
「低い者を顧みてくださる」(詩篇138:6)

主なる神様が私たちの叫び、祈りを聞いてくださり、
私たちの苦しみ、嘆きをご覧になり、
救い出してくださる。
これが主の謙遜。

主の謙遜の最大の現れは、
神であるキリストが人として、
肉体をもって、この世に下られたこと。
このキリストの謙遜によって、
私たちは救われ、偉大な父なる神様の子とされた。

小さな、罪の奴隷であった私たちが、
キリストによって大きくされ、
確かな揺るがない道を歩む者とされた。

 あなたは 御救いの盾を私にくださいます。
  あなたの右の手は私を支え
 あなたの謙遜は私を大きくします。
            詩篇18:35

【日々のみことば】5月19日

主が私を喜びとされる

主が自分を喜ばれる。
こんな私を喜びとされる。
嬉しいし、励まされるけれど、
心から喜べない気がする。
それは主に喜ばれない思い、
行いが私の中にあるから。

その点、ダビデはすごい。
20-24節で彼は自分の正しさを誇る。
けれどダビデは主の救い・支えは、
自分の正しさ、きよい行いによるとは
全く考えていない。

ダビデは「主が私を喜びとされた」と知り、
常に主の支え・助け・救いを見て、
体験しているからこそ、
その主の恵みに応えようとした。

私たちが主の前に正しく生きられたら、
救われるのではない。
けれど主の前に正しく生きられなくても、
それが良しとされるわけでもない。

「主が私を喜びとされている」ことを知り、
主の守りを体験し続けていくときに、
私たちは「自分の咎から身を守る」ことを
喜びとするものとなる。

父よ、あなたはこんな私を愛し、
私のすべてを喜びとしてくださいました。
この大きな恵みと豊かな守りを覚えつつ、
あなたの道を守るものとしてください。

 主は私を広いところに導き出し
  私を助け出してくださいました。
 主が私を喜びとされたからです。
            詩篇18:19