主が私にしてくださったこと
「あなたの家に帰って、
神があなたにしてくださったことをすべて、
話して聞かせなさい。」
それで彼は立ち去って、
イエスが自分にしてくださったことを
すべて、町中に言い広めた。
ルカの福音書8:39
イエス様が弟子たちと舟で行ったゲラサの地で
出会ったのは大勢の悪霊につかれた男性でした。
イエス様は彼から悪霊を出し、
彼を救われます。
それ以外のみわざをイエス様はされていないのです。
一連の出来事を見聞きした人たちに
追い出されてしまうからです。
実にイエス様はこの男性一人を救うためだけに、
この地に来たことが分かるのです。
彼はずっとイエス様と一緒にいたかったようです。
でもイエス様は自分の家に帰り、
神様がどのようなことをしてくださったか、
証しするように命じられます。
同じようにイエス様によって救われた私たちも、
自分たちにどんなに素晴らしいことを
主がしてくださったかを証しする使命が
与えられているのです。
父よ、あなたの救いの恵みを大胆に
証しする者とさせてください。
1月24日 9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”第三主日礼拝” が持たれます。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
みことばを聞いて行う
「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、
神のことば聞いて行う人たちのことです」
ルカの福音書8:21
8章で繰り返し語られていることは、
みことばを聞いて行うことが重要であること。
そして弟子たちにチャレンジをイエス様は
与えられます。
嵐の中に彼らを置かれるのです。
彼らはただただ恐れ、
主イエス様がともにおられるのに、
「主よ、助けてください」と求めず、
「死んでしまう」と訴えます。
主の力を身近で見てきて、
みことばの力を味わってきても、
主に信頼できない弟子たち。
主のみことばの確かさに
拠り頼むことの難しさを覚えます。
私たちも主が語られることばに
信頼せずに、恐れ惑うことがあるのです。
そんな私たちに主は「恐れるな」と
語り、主のことばの確かさを
日々教えてくださいます。
父よ、あなたのことばに信頼して、
生きる力を与えてください。
20日(水)高原典子さんの「絵本の泉」から、かこさとしさんの「からすのパンやさん」を読みきかせをし、本を輪読しました。
「からすのパンやさん」は、こどもが4人与えられたカラスのパン屋さんの夫婦、しかし、世話に忙しく思うようにパンが焼けず、掃除もできず、お客も少なくなるというピンチに、失敗作であったおやつパンが、小さな子どもたちを通して人気商品となり、大繁盛に発展していく様を面白おかしく描いています。
どんなにピンチの時でも、苦しみが長く、耐えられないなと思える時、たとえとるに足らないもの、失敗だなと思えることやもの、弱く小さな存在だなと感じていても、神様は、それを益として、最善のことをしてくださる。そんなことを思い起こさせてくれる希望が持てる絵本です。1冊の本で、いろんなことを、あ母さんたちと分かち合えました。
宣教師のパムさんが、分かち合いの時に、聖書の御言葉を思い浮かべ、分かち合ってくださいました。
「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」
ローマ人への手紙8章28節
27日(水)10:30〜12:00 アトリエイロイロさんによる「はじめてのおえかきあそび教室」となっています。お申し込みください。
忍耐して実を結ぶ
しかし、良い地に落ちたものとは、
こういう人たちのことです。
彼らは立派な良い心でみことばを聞いて、
それをしっかり守り、忍耐して実を結びます。
ルカの福音書8:15
どんな心でみことばを聞くかが
問われています。
聞きっぱなしにしたり、
みことばの深さを味わわなかったり、
みことば以外のもので心が満たされているなら、
私たちの心はすぐに主なる神様から
離れてしまうのです。
立派な良い心とは、どのような心でしょうか。
柔らかい心、素直で常に新しくされている心。
そんな心が与えられるために、
主が私たちの心を耕してくださいます。
様々なチャレンジを与えてくださり、
みことばによって勝利するように、
導いてくださるのです。
そのようにみことばの確かさに
立ち続けていくとき、
私たちは実を結ぶことができるのです。
父よ、立派な良い心を与えてください。
罪が赦される
イエスは彼女に言われた。
「あなたの信仰があなたを救ったのです。
安心して行きなさい。」
ルカの福音書7:50
町中の人たちに罪深いと知られていた女性。
でも彼女はありのままでイエス様に
近づきます。
イエス様であったら、自分のすべてを
受け入れてくださると信じて。
実際、イエス様は彼女の一つ一つの
行いを喜ばれます。
そして罪深いとされてきた彼女の
罪を赦されるのです。
同じように主は私たちのありのままを
ありのまま受け入れてくださいます。
どんなに人から非難されても、
自分を責めていても、
主は私たちを愛し、赦してくださるのです。
この主の愛と赦しに生かされることは
何と幸いなことでしょうか。
父よ、あなたが愛と赦しに心から感謝します。
わたしにつまずかない者
だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。
ルカの福音書7:23
イエス様につまずくとは、どういうことでしょうか。
聖書の中で多くの人がイエス様につまずいています。
律法学者、パリサイ人もそうでしょう。
弟子たち、群衆たちもつまづきました。
彼らはイエス様が自分たちの理想とする
救い主ではなかったので、
イエス様を拒絶し、失望するのです。
私たちもイエス様に理想を押しつけると、
失望し、つまずきます。
逆にイエス様につまずかないために
大切なことは、イエス様のみわざに
目を留めて、
主イエス様から目を離さないこと。
主イエス様は今日も私たちのために
最善をなしてくださいます。
それを発見して、感謝していくとき、
私たちは主につまずかず、
主をほめたたえる者とされるでしょう。
父よ、あなたにつまずかない
幸いな者とさせてください。
おことばをください
ただ、おことばを下さい。
そうして私のしもべを癒してください。
ルカの福音書7:7
イエス様は百人隊長の信仰に驚きます。
百人隊長は周りの人が認める人格者でした。
だからといって彼は自分を誇りません。
とても謙遜で、自分は主イエス様に
近づくことなどできない者だと考えるのです。
一方で、彼はことばの力を信じていました。
イエス様がみことばをくだされば、
必ずしもべは癒されると確信していたのです。
「ただ、おことばを下さい」
私はそのように祈れるだろうかと考えました。
これをしてください。あれをしてください。
そんな祈りばかりをしているような気がします。
主がもうすでにみことばを与え、
主がみわざをなしてくださっているのに。
父よ、今日もあなたのおことばをください。
あなたのおことばに信頼する者とさせてください。
主のことばを聞き行う人
なぜあなたがたは、わたしを「主よ、主よ」と
呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。
ルカの福音書6:46
自分のことを顧みず、
すぐに人を変えようとする私。
自分のことを知らないし、
知ろうとしません。
自分の目から梁を取り除く、、、
そのためには自分の内面だけでなく、
もっと主なる神様を知り、
主につながり続けていくことが大切。
冒頭のみことばは、
罪赦された神の子とされた私が
大切にしているみことばの一つです。
主を求めながら、主のみこころを行わない。
私自身、そのような者です。
自分の生きたいように生き、
みことばが根付いていないので、
嵐に見舞われると、すぐに倒れてしまう。
もっとみことばの深みを味わい、
みことばに生きる者とさせていただきたい。
みことばに生きるとは、
愛を実践することではないでしょうか。
父よ、今日もあなたの愛を受け、
あなたの愛で愛する者とさせてください。
日 時 :2021年1月17日
聖書箇所:ルカの福音書5章1-11節
タイトル:深みに漕ぎ出す