【日々のみことば】4月23日

光があった[出エジプト記10:21-29]

・・・しかし、イスラエルの子らのすべてには、
  住んでいるところに光があった。
             出エジプト10:23

エジプト中が闇に覆われても、
イスラエル人の住むところには、
光がありました。
主がともにおられる確かなしるし。

どんなにこの世が闇に覆われていようと、
主は私たちの光として、
私たちを照らしてくださいます。
私たちのあるところには光もあるのです。

そして私たちもまた世の光として、
暗闇の世で光り輝くように召されています。
この光を必要としている人たちがたくさんいるのです。
今日も出ていく先々で光として輝くことができますように。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 光なるキリストがともにいてくださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月22日

罪に身を任せ[出エジプト記10:1-20]

どうか今、もう一度だけ私の罪を見逃してくれ。
 おまえたちの神、主に、
こんな死だけは取り去ってくれるよう祈ってくれ。」
                出エジプト10:17

主がファラオと彼の家臣を頑なにされたのは、
エジプトで主がおこなわれたしるしを
イスラエル人が覚えていて、
彼らと彼らの子孫が
主こそ神であることを知るためでした。

またファラオは苦しみの中で、
モーセに「私の罪を見逃してくれ」と
訴え、主に祈るように願います。
何度も災いにあってきたファラオは、
主の存在を認めていたのでしょう。

けれど彼は主こそ神であることを、
信じて受け入れません。
主のみわざを見ても、
彼の心の目は開かれないのです。
それは「主がファラオを頑なにされた」からです。

主はある人を頑なにされ、ある人を砕かれます。
そのすべてが主の御手にあるのです。
ですから自らが頑なにされないように
また頑なにされている人たちが
主に立ち返ることができるように
祈っていきましょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 私が頑なにされ、あなたを否むことがありませんように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月21日

罪に身を任せ[出エジプト記9:13-35]

ファラオは・・・またも罪に身を任せ、
 彼とその家臣たちはその心を硬くした。
            出エジプト9:34

どんなに主によって災いが起こっても、
主のことばに心を留めない者がいます。
またファラオはどんなに苦しんでも、
少し余裕ができると心を硬くします。

34節には「罪に身を任せ」とあるのです。
罪に罪を重ねると、
罪から抜け出せなくなるばかりでなく、
罪に自らをゆだねてしまいます。

エジプト人とファラオの頑なさを
繰り返し語る出エジプト記は、
私たちに罪に身を任せてはいないかと
警告を与えています。

自分は頑なにされていない、
主のみことばを心に留めていると、
思っているときが一番危険です。
今日、悔い改めて生きられますように。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 罪に身を委ねることがありませんように

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月20日

言うことを聞き入れない[出エジプト記9:1-12]

ファラオは使いを送った。
 すると見よ、イスラエルの家畜は
一頭も死んでいなかった。
 それでもファラオの心は硬く、
民を去らせなかった。
          出エジプト9:7

ファラオはどんなに苦しんでも、
心が硬いままでした。
モーセを通して主が言われたことを
聞き入れないのです。

エジプトが繰り返し災いにあうのを
読み続けると苦しくなり、
どうして自分たちをこんなにも
追い込んでしまうのだろうかと
考えてしまいます。

主のみわざを見ても、
それを受けとめることができない
頑なさ。イスラエルの民は、
どのような気持ちだったのでしょうか。

自分たちは特別だと感じ、
誇っていたのでしょうか。
全く書かれていないので、
分かりません。

でも先を見ると、彼らもまた
主の大きなみわざを見ても、
頑なにされているのです。
全くエジプト人と変わりません。

私たちもそうですね。
主に特別に扱われ、
主に助け出されても、
すぐに頑なにされます。

けれど主は私たちをあわれみ、
私たちの頑なな心を
日々砕いてくださるのです。

そして今日も主は私たちが
主に立ち返り、主の恵みを思い巡らし、
主にとどまり続けるように、
語り続けてくださいます。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 私たちもすぐに頑なになります。
どうか私たちをあわれんでください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月19日

区別される主[出エジプト記8:16-32]

わたしは、わたしの民をあなたの民と
 区別して、贖いをする。
明日、このしるしが起こる。
          出エジプト8:23

ファラオの呪法師たちは
ブヨを出すことができませんでした。
それで彼らは主なる神様の存在を認めます。
けれどファラオはさらに頑なにされるのです。

次はアブ。この災いからエジプト人と
イスラエル人は区別されます。
主はご自分の民を特別に扱われるのです。
この災いにファラオは少し弱気になります。

モーセに「私のために祈ってくれ」と
願うのです。けれどアブがいなくなると、
彼の心はさらに頑なにされます。
主が言われるとおりです。

主は私たちをも特別に扱ってくださり、
区別してくださいます。
みことばに聴き、
父なる神様を知ることができているのも
主が私たちを特別に扱ってくださっている証拠です。

そして主は私たちの祈りを聞いてくださいます。
このように特別に扱われ、
主に愛されていることを覚えて、
今日も一日歩んで参りましょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 あなたが私たちを特別に扱ってくださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月18日

蛙によって打たれる[出エジプト記8:1-15]

・・・「あなたのことばどおりになりますように。
 それは、あなたが、私たちの神、
主のような方はほかにいないことを知るためです。
               出エジプト8:10

蛙がエジプト中にあふれる。
想像しただけでも気持ち悪いです。
それにも関わらず、
ファラオの家臣は主に対抗し、
同じようなことをします。

そして自分の首をさらに絞めるのです。
頑なさは自らを追い込みます。
そんな中でファラオはモーセに
蛙を除くように「主に祈れ」と命じるのです。

主と同じようなわざができても、
それらを除くことはできないとは、、、
モーセはファラオの願いを聞き入れ、
主に祈るのです。

わざわいを通して主を知るのではなく、
わざわいを取り除かれることで、
主はご自身を知らせます。

けれどファラオは主を拒み、
心を硬くするのです。
主のあわれみを無視します。

私たちはどうでしょうか。
主は私たちをあわれんでくださることで
ご自身を知らせようとしているのに、
それを無視していないでしょうか。

主のあわれみを見て、
主のあわれみを拒まず、
主を知り、
主によって心が砕かれますように

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 あなたのあわれみを拒まず、心の硬さを砕いてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月17日

心の硬さ[出エジプト記7:8-25]

主はモーセに言われた。「ファラオの心は硬く、
 民を去らせることを拒んでいる。
            出エジプト7:14

モーセとアロンはファラオのもとに行き、
主なる神様が命じられたとおりに行います。
けれどファラオは悔い改めないばかりか、
さらに心が硬くされていくのです。

その一つにファラオの家臣たちが
モーセたちが行った主のわざと
ほぼ同じことができたからでしょう。
自分の力を過信します。
主を小さく見てしまうのです。

私たちも自分の力を過信し、
主のみわざを見ても心が硬く、
悔い改められないときがあります。
頑なさは私たちをさらに頑なにさせ、
自らを追い込んでいくのです。

自分で何でもできると思いを置き、
主のみわざのすばらしさを
仰ぎ見る一日でありますように。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 すぐに自分の力を誇ってしまう私をあわれんでください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月16日

あなたがたの神となる[出エジプト記6:14-7:7]

わたしが手をエジプトの上に伸ばし、
 イスラエルの子らを彼らのただ中から
導き出すとき、エジプトは、
 わたしが主であることを知る。
            出エジプト7:5

モーセが主なる神様によって召されたことが
もう一度記録されています。
そして彼の自信のなさも。
そんな彼を主は励まし、
ことばを与えられるのです。

それにしても主なる神様は、
ファラオの心を頑なにされたのでしょうか。
それはエジプトで主が大いなるみわざを
行われ、イスラエル人とエジプト人が、
主なる神様を知るためです。

しかも、ただ知るのではなく、
主を体験し、主に立ち返るためでも、
あったのでしょう。

同じように私たちに与えられる
試練・困難のただ中から導き出されるのは
私たちと私たちの周りの人たちが、
主を知るためです。

今日も主は私たちにご自身を知らせ、
私たちを恵みの中に移してくださいます。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 あなたを知り、あなたの恵みの中に生かしてください

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。