【日々のみことば】11月8日

一緒に行く[士師記4:1-10]

こうして、デボラは立って
 バラクと一緒にケデシュへ行った。
            士師記4:9

今日の箇所では、二人の士師、
デボラとバラクがともに協力して、
イスラエルをさばき、
カナンとの戦いを
導いていたことが分かります。

バラクはデボラに
「一緒に」行くことを求め、
デボラもそれに同意します。
そして一緒にカナン人との戦いに
行くのです。

一緒に行ってくれる友、
一緒に戦ってくれる仲間がいることは、
私たちにとっても、何と力強いことでしょうか。
「一緒に」と言える人がいるでしょうか。

私たちにはいます。
そのお方こそ父なる神様、
子なるキリスト、聖霊なる神様ですね。

確かに主は私たちと一緒に
いつもいてくださいますが、
私たちの側からも積極的に
「一緒に行ってください」と
願い求めることができたら幸いです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父よ、今日も一日、私たちと一緒に行ってください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月7日

救助者エフデ[士師記3:12-31]

こうして、モアブはその日
 イスラエルの手に下り、
国は八十年の間、穏やかであった。
           士師記3:30

オテニエルの死後、またイスラエルは
主の目に悪を行います。
そのためモアブに18年間も
苦しめられることになるのです。

その苦しみの中で、
主に叫び求めると、
主は救助者エフデを
起こされます。

彼はモアブの王エグロンに
貢ぎ物を持っていった後で、
モアブの王を殺すのです。
このやり方は、ある意味卑怯です。

無防備なエグロンをだまして、
彼のいのちを奪うからです。
けれど聖書はエフデが
卑怯者だとは評価していません。

ただイスラエルがエフデの導きで、
モアブに勝利し、彼とシャムガルが
イスラエルを治めていた間、
穏やかであったことだけが
記されているのです。

それは主のみこころが
イスラエルを救うことだったからです。
そして彼らがご自身との関係を喜び、
穏やかであることを願われていました。

主が私たちに望んでおられることも、
常にご自身との交わりを喜び、
穏やかであることです。
そのために私たちを
救い出してくださったのです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父よ、あなたにある穏やかさを今日も与えてください

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月6日

イスラエルを試みるため[士師記3:1-11]

これは、彼らによってイスラエルを試み、
 主がモーセを通して先祖たちに命じた命令に、
イスラエルが聞き従うかどうかを知るためであった。
                   士師記3:4

約束の地に異邦人を残されたのは、
イスラエル人が戦いを忘れないため、
そして彼らが主の命令に
聞き従うかどうか知るためでした。

この主の試みにイスラエルの民は、
見事に失敗します。
主の命令に聞き従えず、
異邦の民と婚姻関係を結び、
他の神々に仕えてしまうのです。

そんな彼らを主はあわれんでくださいます。
主は彼らの叫びに応えられ、
救助者を遣わしてくださるのです。
そして彼がイスラエルをさばいている間、
イスラエルは穏やかでした。

私たちにも主に聞き従うかどうかを
知るために残されているものがあることでしょう。
それは一人ひとり違います。

その試み・主の訓練に主にあって
勝利していくことができ、
霊的に成長できますように。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父よ、あなたからの訓練によって
霊的に成長できますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月5日

主のあわれみによっても[士師記2:11-23]

そのとき、主はさばきつかさを起こして、
 略奪する者の手から彼らを救われた。
             士師記2:16

イスラエルの民は苦しみの中での
うめきをきいてくださり、
さばきつかさを起こしてくださいます。
そのさばきつかさが生きている間、
彼らは救われたのです。

けれどさばきつかさが死ぬと、
すぐに元に戻ってしまいます。
彼らは悪い行い、頑なな生き方から
離れられなかったからです。

それでも主は彼らを見捨てず、
彼らのために何度も
さばきつかさ、士師を
遣わされ、彼らを救われます。

私たちも以前、悪い行い、
頑なな生き方から
離れられませんでした。
そんな私たちを父なる神様は
あわれんでくださったのです。

そして私たちのために
愛するひとり子イエス様を
遣わしてくださり、
私たちの完全な救いを
成し遂げてくださいました。

この主のあわれみによって
救われたことを覚えて、
歩んでまいりましょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父よ、心が頑なな私たちをあわれんでくださり、
心から感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月4日

主の声に聞き従わないので[士師記2:1-10]

ところが、あなたがたはわたしの声に
 聞き従わなかった。
なぜこのようなことをしたのか。
             士師記2:2

イスラエルの民は主の声に聞き従わず、
約束の地に住んでいた人々と
契約を結んでしまいます。

そのため主は異教の人々が
民の敵となり、神々が罠になると
告げられるのです。

そしてしばらくすると、
主を知らず、主がしてくださった
わざを知らない世代が
起こります。

どんどん民は主から離れ、
身勝手な道に進もうとしていることが
よく分かるのです。

私たちも御声に聞き従わず、
身勝手な歩みを続けるなら、
つまずき倒れてしまうことでしょう。

ですからどうして自分は主の御声に
聞き従えないのだろうか、
主の御声に聞き従うために、
どうしたら良いのかを
考えていくことができたら幸いです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父よ、あなたの御声に聞き従うには
どうしたら良いか日々教えてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月3日

追い払わなかったので[士師記1:22-36]

エフライムはゲゼルの住民である
 カナン人を追い払わなかったので、
カナン人はゲゼルで
 彼らのただ中に住んだ。
           士師記1:29

主はイスラエルの信仰を守るために
異教の人々を追い払うように
命じられました。
けれど民は従いませんでした。

異教の人々を完全に
追い払うことをせず、
残しておいたのです。
そのために彼らはイスラエル人の
ただ中に住むようになります。

このように最初は異教の人たちを
しっかり支配していたように見えた
イスラエルの民ですが、やがて
彼らのただ中に住むようになるのです。

これによって後々、彼らは主を捨て、
異教の神々を拝み、異教の習慣に
染まっていきます。

主のことばに従わないで
歩むことは、初め自分の人生に
何も影響しないように
感じるのです。

けれど後々、私たちの心を
主なる神様から遠ざけてしまいます。
だからこそ、いつでも主のことばに
従うことが大切なのです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父よ、あなたのみことばに従うことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月2日

主がユダとともに[士師記1:11-21]

主がユダとともにおられたので、
 ユダは山地を占領した。
しかし、平地の住民は鉄の戦車を
 持っていたので、
ユダは彼らを追い払えなかった。
           士師記1:19

カレブは12部族の代表が
カナンの地を偵察にいったとき、
唯一「ぜひとも上っていき、
占領しましょう」と語った人でした。

カレブはモーセが彼に約束したように、
ヘブロンが与えられます。

また今日の箇所で興味深いのは、
ユダは山地を占領できましたが、
平地を占領できなかったということです。
主がともにおられるなら、
すべての土地を占領できるように思います。

どうしてでしょうか。
確かな理由は何も書かれていません。
一つの可能性として、
平地は住みやすい一方で
主なる神様から心が離れやすい
場所であったからではないか。

主なる神様は彼らを守るために、
あえて平地を与えられなかったのでは、、、

私たちの歩みにおいても
主がともにおられるのに、
思うように物事が
進まないことがあります。

そのことにも主のみこころがある。
このことを覚えて、
主の御手に委ねていくことができたら幸いです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父よ、あなたの導きに従うこころを与えてください

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。