【日々のみことば】1月23日

わたしの時[ヨハネの福音書 7:1-13]

わたしの時はまだ来ていません。
 しかし、あなたがたの時は
いつでも用意ができています。
          ヨハネ7:6

イエス様の兄弟たちはイエス様に、
自分を世に示すように、語ります。
イエス様はすごい力があるのに、
それを隠しているのが
不思議でならなかったのです。

兄弟たちも他の弟子たちと同様、
しるしを求めるだけで、
イエス様を信じていません。

そんな彼らにイエス様は
「わたしの時は来ていない」と
言われます。

”わたしの時”とは、いつでしょうか。
それは人々が望むような形で、
訪れませんでした。

イエス様の十字架の死という
一見、悲惨で敗北にも
思える仕方を通して、
救いを成就してくださるとき。

この時、イエス様はご自身を
世に示されたのです。
そして今は恵みの時、
今は救いの日です。

イエス様はいつでも私たちに
ご自身を示してくださり、
私たちはイエス様の栄光を見る恵みが
与えられているのです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 主よ、今私たちにご自身を示してくださり、感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】1月22日

つまずく弟子たち[ヨハネの福音書 6:60-71]

こういうわけで、弟子たちのうちの
 多くの者が離れ去り、もはや
イエスとともに歩もうとしなくなった。
            ヨハネ6:66

イエス様が語る、霊であり、
いのちのことばを多くの弟子は、
受け入れることができません。
イエス様につまずくのです。

イエス様から離れて、
イエス様とともに歩もうと
しなくなります。

そんな弟子たちを見ながら
イエス様は12弟子に問うのです。
「あなたがたも離れて行きたいか」
それに対してペテロが即座に答えます。

彼の素直な信仰に本当に
弟子たちも、イエス様も励まされ、
強められたことでしょう。
イエス様について行きたいという
意思が良く伝わってきます。

一方でイエス様は12人の中で、
一人が悪魔だとビックリすることを
弟子たちに告げるのです。
それがイスカリオテのユダでした。

彼のうちに後々、サタンが入り、
イエス様を祭司長たちに
引き渡してしまうのです。

三年半イエス様といっしょに生活し、
イエス様の教えを良く聞いていた
弟子の一人がイエス様を
裏切ってしまうとは、、、

ユダの姿を見ながら、
私たちもいつも自分の心を見張り、
自分の心がイエス様から離れていないか、
自問していく必要があることを
深く覚えさせられました。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 主よ、何よりも自分の心を見張り、
見守る者とさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】1月21日

キリストによって生きる[ヨハネの福音書 6:41-59]

わたしを食べる者も、
 わたしによって生きるのです。
          ヨハネ6:57

ユダヤ人たちはイエス様の
話しを聞いて、小声で文句を
言い始めます。
それはイエス様が真理を
語られたからです。

しるしを見て、彼らはイエス様を
求めましたが、真理を聞いて、
彼らの心はイエス様から
徐々に離れて行くのです。

さらにイエス様が「わたしの肉を食べ、
わたしの血を飲む者は」と言われたことで、
彼らは完全にイエス様につまずきます。

イエス様を食べる、信仰をもってイエス様を
受け入れず、イエス様を拒絶するのです。
だから彼らはイエス様によって
生きることができません。

私たちは今、イエス様を食べる、
すなわちイエス様を信じる心が
与えられているのです。
これは私たちが主によって
選ばれているからです。

私たちの人間的な知恵で
私たちはイエス様のことばを理解し、
受け入れることは不可能です。
主が私たちの心を開いてくださり、
私たちに理解する知恵を
与えてくださったのです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 主よ、今、私たちにイエス様を信じる心を
与えてくださり、心から感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】1月20日

いのちのパン[ヨハネの福音書 6:30-40]

わたしがいのちのパンです。
 わたしのもとに来る者は
決して飢えることがなく、・・・
          ヨハネ6:35

ユダヤ人たちはイエス様を
信じることができるように、
しるしを求めます。

彼らの先祖たちが荒野でマナが
与えられたように。
そんな彼らにイエス様は、
ご自分こそいのちのパンだと
告げられるのです。

イエス様を信じ、イエス様のもとに
行くなら、飢えることなく、
渇くことがないと。
でも彼らは信じない。

それは彼らが父なる神様によって
イエス様に与えられていなかったから。
彼らの心が開かれておらず、
頑なにされていたからです。

私たちはどうでしょうか?
イエス様を信じる者、
イエス様のもとに近づく者
とされているのです。

このような私たちをイエス様は
外に追い出したりはしないと、
語られます。
何という慰めのことばでしょうか。

けれど自分は主に選ばれた者だと
高慢になるなら、
私たちはイエス様のもとに
行くことができなくなります。

ですからいつも主のあわれみによって
自らが選ばれ、永遠のいのちを
持つ者とされたことを覚えて、
歩んでいくことができたら幸いです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 主よ、イエス様がいのちのパンであることを信じ、
イエス様のもとに日々近づく者とさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】1月19日

神のわざとは[ヨハネの福音書 6:16-29]

神が遣わした者をあなたがたが
 信じること、それが神のわざです。
             ヨハネ6:29

人々はイエス様のしるしを見て、
イエス様を求めたのではなかったのです。
肉の欲求が満たされたからです。

そんな彼らにイエス様は
なくなる食べものではなく、
永遠のいのちに至る
食べ物のために働くように言われます。

永遠のいのちに至る食べ物とは、
人の子が与える食べ物。
これは何でしょうか。
それはキリストご自身のことでしょう。

けれど群衆はイエス様が言われたことを
理解することができません。
だから働くと言われたことを受けて、
神のわざを行うために何をすべきか問うのです。

ここでイエス様ははっきり言われます。
神のわざとは、私たちが何か特別なことを
するということではなく、イエス様を信じること。

父なる神様に背いていた私たちが
イエス様を信じることができたのは、
私たちのわざではなく、
父なる神様のわざに他なりません。

この恵みをすぐに忘れてしまう私たち。
そして自らが満足するためだけに、
イエス様を求めてしまう弱さがあります。
イエス様を信じ、信頼する一日となりますように。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 主よ、どうか私たちが永遠のいのちに至る
食べ物のために働くことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】1月18日

試されるイエス様[ヨハネの福音書 6:1-15]

イエスがこう言われたのは、
 ピリポを試すためであり、
ご自分が何をしようとしているのかを、
 知っておられた。
             ヨハネ6:6

イエス様はご自分が何を
しようとしているかを
知っておられたのになぜ
ピリポを試されたのでしょうか。

それはピリポや他の弟子たちの
イエス様への信頼がまだまだ
低いことを明らかにされるため
だったのではないでしょうか。

だれもイエス様が5,000人以上の
人の食事を用意できるとは、
思っていません。

でも少年が持っていた5つのパンと
二匹の魚をイエス様は用いられ、
すべての人のお腹を満たすのです。

私自身のことを振り返ってみても、
主イエス様の力を小さく
見積もっていることが良くあります。
自分の限界とイエス様の限界を
同じように考えてしまうのです。

そんな私たちを主は試され、
私たちがさらにイエス様に
信頼して、素晴らしいみわざを
経験するように導いてくださいます。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 主よ、あなたに信頼して歩む者とさせてください

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】1月17日

神への愛[ヨハネの福音書 5:30-47]

しかし、わたしは知っています。
 あなたがたのうちに
神への愛がないことを。
           ヨハネ5:42

イエス様はユダヤ人たちが
永遠のいのちを求め、
聖書を調べているが、
聖書はご自身について
証ししていると告げます。

けれど彼らはイエス様の
ところに来ません。
イエス様を受け入れず、
信じないのです。

今日の箇所で一番衝撃を
受けたのは、42節です。
「あなたがたのうちに
神への愛がない」

私のうちに父なる神様、
キリストへの愛があるだろうか。
聖書を読んでも、礼拝をささげても、
自己満足、自分を満たすためではないか。

そんな私のうちに父なる神様、
子なるキリストへの愛を
増し加えていただきたいと
祈ります。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 主よ、私のうちにはあなたへの愛がありません。
どうか私のうちに愛を増し加えてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。