【日々のみことば】4月22日

ヨナの祈り[ヨナ書2:1-10]

しかし、私の神、主よ。
 あなたは私のいのちを滅びの穴から
引き上げてくださいました。
              ヨナ2:6

魚の腹の中から、ヨナは主に祈ります。
この祈りは、主が自分の声を聞き、
助けてくださったという
感謝にあふれているのです。

ヨナは自分が主の御顔を避けたことで、
自分が苦しみに会ったことを
よく知っていました。
でも海に沈むなかで、
彼は主に祈り、悔い改めたのでしょう。

その祈りが主に届き、滅びの穴から
引き上げられたことを心から喜びます。
そして「救いは主のものです」と
信仰告白するのです。

このように主は私たちが
自分勝手な道に行っても
そのままに放置されません。
私たちを引き上げてくださるのです。

私たちが悔い改めて、
生きることをいつも
願っておられます。
そして私たちの救い、
助けは主のものです。

このことを心に留めて、
主の救いを待ち望むもの
とさせていただきましょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、救いはあなたにあります。

このことを忘れることがありませんように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月21日

ヨナへのあわれみ[ヨナ書1:1-17]

主は大きな魚を備えて、
 ヨナを吞み込ませた。
ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。
             ヨナ1:17

主なる神様は、預言者ヨナに
「立ってあの大きな都ニネベに行き、
これに向かって叫べ」と言われます。

ヨナはこれを聞くと、主の御顔を避けて、
ニネベとは逆方向に行くのです。
けれど主は大嵐を起こさせ、
ヨナが乗る船が難破しそうになります。

その嵐の原因を探ろうと、
くじを引くとヨナに当たるのです。
ヨナは自分の素性をあかし、
自分を海に投げ込めば、
海が静かになると伝えます。

ヨナは海に投げ込まれても、
助かると思っていたでしょうか。
もしかしたら自暴自棄に
なっていたかもしれません。

しかし主はヨナを救うために、
大きな魚を備えてくださるのです。
主は私たちの願いや思い以上に、
私たちに対してあわれみ深いおかたです。

私たちが自分の道に行っても、
ご自分のもとに帰るように、
道を備えてくださるのです。
この主のあわれみにすがる者で
ありたいと願います。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたが備えてくださる

あわれみにすがる一日でありますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月20日

わたしに従いなさい[ヨハネ21:15-25]

「ヨハネの子シモン。あなたは、
 この人たちが愛する以上に、
 わたしを愛していますか。」
          ヨハネ21:15

イエス様は食事の後、ペテロに冒頭の
質問をされます。
ペテロは素直に愛しますと答えられず、
「はい、主よ。私があなたを愛していることは、
あなたがご存じです」と答えるのです。

ペテロはイエス様を知らないと
3度言ってしまった
後ろめたさがありました。
そんな彼の心をご存じのイエス様は
三度同じ質問をされるのです。

これは彼の失敗、弱さを全面的に
赦しておられる何よりのしるしでした。
またイエス様は「わたしの羊を飼いなさい」と
彼に新たな使命を与えられます。

その使命に応えるために必要なことは、
自分の願望を脇に置き、
イエス様に従うことだったのです。

イエス様は私たちにも日々
「わたしを愛しますか」と
問われます。
私たちは自信を持って、
「はい、愛します」と応えられないかも知れません。
そんな私たちの気持ちを主はご存じです。

その上で「わたしに従いなさい」と
私たちを招いてくださるのです。
今日もイエス様を愛し、
イエス様に従う歩みとなりますように。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、今日も一日、あなたを愛し、

あなたに従う歩みをさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月19日

大量の魚[ヨハネ21:1-14]

イエスは来てパンを取り、
 彼らにお与えになった。
また、魚も同じようにされた。
          ヨハネ21:13

イエス様がよみがえられてからも、
ペテロたちは何をしたらよいか分からず、
漁に出るのです。

でもその日、魚は一匹も取れません。
失望の中にいる彼らにイエス様が
語りかけられます。

この状況、ペテロが召されたときと同じです。
けれど何点か違いことがあります。
一つはイエス様だと気づきませんでしたが、
その声に素直に従った点です。

またペテロは「主だ」と聞くと、
イエス様のもとに素直に
近づいていきます。

そしてイエス様は彼らのために
食事を用意してくださったのです。
イエス様がよみがえられても、
平安がなく、自分たちのところに帰って行く彼ら。

そんな彼らがご自分のもとに帰るように、
イエス様は彼らを励まし、
声をかけ続けてくださるのです。

私たちも自分のところに
不安と恐れと失望の中に、
帰ってしまうことがあります。

けれどイエス様はご自身のもとに
帰るように、私たちを日々
導いてくださるのです。
その導きに素直に従うことができますように。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、日々よみがえりの

イエス様のところに帰ることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月18日

私の主、私の神よ[ヨハネ20:19-31]

トマスはイエスに答えた。
 「私の主、私の神よ。」
          ヨハネ20:28

イエス様がよみがえられたことを
知らされても、弟子たちは喜ぶどころか、
ユダヤ人を恐れてビクビクしていました。

そんな彼らの真ん中にイエス様は立ち、
「平安があなたがたにあるように」と
言われるのです。

不安と恐れの中にいた彼らに
一番必要だったのは、
主にある平安でした。

また、この時、トマスだけが
弟子たちといっしょにいなかったのです。
ですからよみがえられたイエス様に
会うことができませんでした。

トマスは他の弟子たちが
復活のイエス様に出会ったと聞いて、
とても悔しかったことでしょう。
だから彼の心は頑なになります。

そしてイエス様の傷の跡を見て、
脇腹に手を入れて見なければ、
決して信じないと言ってしまうのです。

それから八日後、次の主の日に
イエス様は再び弟子たちの中に
現れてくださいます。
この時、トマスもいたのです。

トマスは一週間、どんな気持ちで
過ごしたことでしょうか。
復活の主に会って、主の復活を信じたい
と心から願っていたはずです。

このトマスの気持ちをすべて
ご存じのイエス様は
トマスが8日前に言ったとおりに、
トマスに言われるのです。

それを聞いてトマスは、
弟子たちの中で最初に
復活されたイエス様に向かって
「私の主、私の神よ」と
信仰告白するように導かれます。

よく疑い深いトマスと言われますが、
トマスだけが疑い深いわけではありません。
しかもトマスはただイエス様の復活を
疑ったわけではなかったのです。

本当はイエス様に会って、
イエス様の復活を信じたかった。
その心にイエス様は
答えてくださったのです。

私たちも主のみことばを疑ったり、
信じられないときがあります。
そんな私たちの心を主はご存じです。

そして私たちが信じない者ではなく、
信じる者となるように導いてくださるのです。
この主の導きに今日も一日従っていきましょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、主の復活を信じ、

イエス様を私の主、私の神よ
 と信仰告白できる恵みを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月16日

イエス様を埋葬した人々[ヨハネ19:31-42]

彼らはイエスのからだを取り、
 ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、
香料と一緒に亜麻布で巻いた。

            ヨハネ19:40

十字架で死なれたイエス様の遺体を
取り降ろすことを願ったのは、
アリマタヤのヨセフでした。

彼はユダヤ人を恐れて、
イエス様の弟子であることを
隠していたのです。
でもイエス様が死なれた後、
勇気を出して、申し出ます。

またニコデモもイエス様を
葬るために没薬を持って来るのです。
イエス様にこれまで従ってきた弟子たちは、
この時、イエス様を葬る余裕はありませんでした。

このように主はイエス様の
弟子であることを
公に宣言できなかった彼らを
用いられるのです。

これはとても興味深いことですね。
私たちはクリスチャンとは
”こうあるべきだ”という
考えに縛られがちです。

でも私たちの”こうあるべき”を超えて、
私たちを用いてくださるのです。
主は私たちの弱さや恐れも、
ご自身の働きのために用いられます。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたは私たちの弱さ、

恐れをも用いてくださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月15日

ユダヤ人の王[ヨハネ19:17-30]

ピラトは罪状書きも書いて、
 十字架の上に掲げた。
それには「ユダヤ人の王、
 ナザレ人イエス」と書かれていた。

            ヨハネ19:19

イエス様のかかられた十字架の上には
「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」と
書かれていました。
それをユダヤ人たちは嫌がりましたが、
ピラトはそのままにするのです。

ピラトの少しばかりの抵抗だったのでしょう。
それでも、これはイエス様の本質を現すもので、
多くの人がそれを目にすることになったのです。

イエス様はユダヤ人の王として、
ユダヤ人のために、そして私たちのために
死んでくださいました。

最後にイエス様は「完了した」と
言われ、霊をお渡しになるのです。
こうしてイエス様は私たちのために死なれ、
私たちの救いを完了して下さったのです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちのためにイエス様が

救いを完了してくださったことを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月14日

十字架につけろ[ヨハネ18:39-19:16]

彼らは叫んだ。
「除け、除け、十字架につけろ」
          ヨハネ19:8

ピラトはイエス様に罪を
見いだせないと群衆に訴えます。
それでも彼らは「十字架につけろ」と
叫びまくるのです。

またピラトはユダヤ人たちが
「自分を神の子としたのですから」との
声を聞き、ますます恐れを覚えます。

ピラトはイエス様がただ者ではなく、
神さまからの使いかもしれないと
思っていたのでしょう。
だからイエス様を釈放しようとするのです。

けれど群衆は、ますます激しく叫びます。
「除け、除け、十字架につけろ」と。
その声に押され、ついにイエス様を
十字架につけるために引き渡すのです。

「十字架につけろ」との叫び。
誰ひとり自分が救い主に
逆らっているなんて、
考えていなかったはずです。

自分は正しいことをしているのだと。
これこそ私たちの罪です。
私たちも自分の正しさを誇り、
主に逆らうことがあります。

だからこそいつでも自分を吟味し、
主に逆らっていることはないか、
探っていただく必要があるのです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、常にあなたに逆らう弱さがあります。

いつも私の内を探ってくださり、
 あなたに立ち返る者とさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。