【日々のみことば】5月22日

新しい人に変えられます[Ⅰサムエル10:1-16]

主の霊があなたの上に激しく下り、
 あなたも彼らと一緒に預言して、
新しい人に変えられます。
       Ⅰサムエル記10:6

サウルが王として立てられたのは、
主の一方的な選びです。
彼は主の主権のもと、王として油注がれ、
主の霊が下り、新しい心が与えられたのです。

それは彼が主の召しを全うするためでした。
けれど彼は主の召しを全うできなかったのです。
それは彼が主のみこころよりも、
自分の思いを第一としてしまったからです。

私たちも主のみこころに生きるために、
そして神様を第一とするために主に召され、
新しい人になったのです。

でも機械的に、意識しないで、
神様に喜ばれる歩みを
することはできません。

なぜなら私たちの内にはまだ、
自分の好きなように生きたいという
思いが残っているからです。

そのような肉の思いと戦って行く
必要があるのです。
けれど私たちは一人で戦うのではありません。

主は私たちを御霊によって
新しく変え続けてくださり、
私たちが神様のみこころに生き、
神様を第一として生きる召しを全うすることが
できるように力を与え続けてくださるのです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちを新しく造り変え

続けてくださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月21日

主が目を留められる[Ⅰサムエル9:15-27]

民の叫びがわたしに届き、
 わたしが自分の民に目を
留めたからだ。
       Ⅰサムエル記9:16

主なる神さまはサムエルが
サウルのところに来る前に
すべてのことを告げておられました。

サウルがイスラエルの王となり、
彼を通してペリシテ人から
イスラエルの民を救われること。

それはイスラエルの叫びが
主なる神さまに届き、
主が彼らに目を留められたからでした。

私たちの叫びは、常に主に届いています。
そして私たちの叫びに
主は目を留められ、
救いを成してくださるのです。

時に沈黙されているように
感じることもあります。
主から見放されたのではないかと
不安になる時もあるのです。

しかし主は私たちのために
救いを用意してくださり、
主のタイミングで
救いを成し遂げてくださいます。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちの叫び・祈りに目を留め、

救いを成し遂げてくださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月20日

行く道を[Ⅰサムエル9:1-14]

この人の言うことはみな、
 必ず実現します。
今そこへ参りましょう。
 私たちが行く道を
教えてくれるかもしれません。
       Ⅰサムエル記9:6

サウルが主によって王として
選ばれる少し前の出来事です。
このところを読むと、
主がすべてのことを導いて
おられることが分かります。

雌ろばがいなくなったのも、
サウルが探しに行くように
命じられたのも、
雌ろばが見つからなかったのも、
サウルたちが行き着いた先に
サムエルがいたことも、
偶然ではありませんでした。

主がサウルをサムエルのもとに
導かれ、彼を王として
召すためだったのです。

私たちの歩みも一つ一つが
主の導きの中にあります。
私たちは色々な計画を立てますが、
主のみこころだけがなるのです。

ですから私たちのすべてのわざを
主に委ね、主のみこころを
待ち望む者でありたいと心から願います。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、すべてのことを働かせて、

益としてくださることを心から感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月19日

主に祈る[Ⅰサムエル8:1-22]

そのことばはサムエルの目には
 悪しきことであった。
それでサムエルは主に祈った
       Ⅰサムエル記8:6

サムエルはイスラエルの民が
自分を退け、「私たちをさばく王を
私たちに与えてください」と
要求してきたことを快く思いません。

彼の目には悪と映るのです。
彼は今までリーダーとして
仕えてきた苦労が、誰からも認められず、
拒絶されたと感じました。

しかし彼は反論することなく、
黙って退き、主に祈るのです。
彼は主の前に自らの心の内にあることを
すべて注ぎだしたことでしょう。

またサムエルは神様がイスラエルの
身勝手な願いを聞かれるわけはない
と考えていたはずです。

そんな彼の思いに反して主は
「民があなたに言うことは
何であれ、それを聞き入れよ」
と命じられます。

一方、主なる神様は彼が
同胞から拒絶された痛みをご存知でした。
ですからサムエルに、
イスラエルが王を求めたのは、
あなたを拒んだからではない。

彼らはわたしが王として
自分たちを治めることを
拒んだのだと語られるのです。

このサムエルの気持ちはよく分かります。
私たちも自分が認められることを求め、
拒絶されるとショックを受けるからです。
自分の目に悪と見えることもあります。

この時、サムエルは、その怒り、不満を
人々の前にあらわにするのではなく、
主の前にすぐに持っていくのです。
そのとき主のみこころを知ります。

私たちも不当な扱いを受けたり、
悪と見えることが
起こることがあるのです。

そんなとき自らで解決しようとか、
不平不満をぶちまけるのではなく、
主の前に持っていくことが
できたら幸いです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたにすべてを注ぎだして

祈ることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月18日

主に叫ぶ[Ⅰサムエル7:3-17]

私たちから離れて
 黙っていないでください。
私たちの神、主に叫ぶのを
 やめないでください。
       Ⅰサムエル記7:8

イスラエルの全家が
主を慕い求めたとき、
再びサムエルが登場します。

そして主に立ち返り、
偶像の神々を取り除き、
主にのみ仕えるように
命じるのです。

このサムエルのことばに
イスラエル人は聞き従います。
さらに彼らはサムエルに黙らず、
主に叫び続けてくれるように願うのです。

この願い、叫びに主は答えてくださり、
ペリシテ人に対して勝利します。
彼らは主の助けを覚え、その場所を
エベン・エゼルと名づけるのです。

主を慕い求めたとき、
主への飢え渇きが与えられたとき、
みことばの門が開かれ、
悔い改めが始まっています。

私たちも頑なにされているとき、
主に立ち返ることも、
みことばに聞くこともできないのです。

けれど主への渇きが与えられると、
私たちの心は主のみことばを聞くに
ふさわしい状態とされ、
主に聞き従う者とされます。

そんな私たちに主は助けの手をのべ、
私たちをすべての悪から
救ってくださるのです。
この主の救いを待ち望みましょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちの心を常に開いてくださり、

あなたのみことばに聞き従う者としてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月17日

主を慕い求める[Ⅰサムエル6:1-7:2]

イスラエルの全家は
  主を慕い求めていた。
          Ⅰサムエル記7:2

ペリシテ人たちは自分たちに
わざわいを下す神の箱を
イスラエルに返すには
どうしたらよいか考えます。

また彼らは神の箱を
奪ったことの償いとして
金の品物を用意するのです。

そして雌牛二頭に主の箱を運ばせ、
それらの行くがままに任せます。
そうするとイスラエルの領土
ベテ・シェメシュに進み続けたのです。

ところがベテ・シェメシュの人たちは、
主の箱を軽んじ、
その中身を見てしまいます。
そのため、彼らは主に打たれるのです。

それからキルヤテ・エアリムに
主の箱は運ばれました。
それから20年、そこに神の箱は
置かれることになるのです。

そんな中、主を求めなかった
イスラエルの民が主を慕い求めます。
主への飢え渇きが与えられるのです。
これは主からきたものでしょう。

私たちも本来、自らで主を求めることが
できない者です。そんな私たちの心に
主は飢え渇きを与えられます。

この飢え渇きによって私たちは
主に立ち返り、
主を慕い求める者とされるのです。

今日も主を慕い求める者とされていることを
心から感謝して歩んでいきましょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたへの飢え渇きを

与えてくださり、ありがとうございます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月16日

助けを求める声[Ⅰサムエル5:1-12]

助けを求める町の叫び声は
  天にまで上った。
            Ⅰサムエル記5:12

神の箱を手に入れたペリシテ人でしたが、
主の手が彼らの上に重くのしかかります。
そして彼らは嫌というほど、
主なる神様の力を味わい、
主なる神様の前に恐れおののきます。

そのような神様への恐れと死の恐怖と、
疫病による苦しみで、
「助けを求める町の叫び声は
天にまで」上るのです。

ペリシテ人は一連の災いを通して、
なすすべが何一つなく、叫ぶ。
この叫びが天にまで上るとは、
ペリシテ人が主なる神様に助けを
求めたということでしょうか。

いずれにしてもペリシテ人は
主なる神様の力を目の当たりにし、
主の栄光を見ることになるのです。

このようにイスラエルの不信仰によっても、
主の栄光は地に落ちることはなく、
逆に異教の地でご自身の栄光を
現されました。

同じように主の栄光、主の御力は
決して地に落ちることはないのです。
私たちがどんなに弱くても、
不信仰でも主はご自身の素晴らしい栄光を
現してくださいます。

今週も、この主の栄光を
仰ぎ見ることができますように。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの栄光を仰ぎ見て、

あなたの御名をあがめる者とさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。