だれを恐れるか[イザヤ書56:9-57:13]
あなたは、だれにおじけ、だれを恐れて、
まやかしを言うのか。
あなたはわたしのことを思い出さず、
心にも留めなかった。
わたしが久しく黙っていたので、
わたしを恐れないのではないか。
イザヤ57:11
イザヤはイスラエルの民が
まことの神様を捨てて、
異教の神々に仕えていることを
非難します。
彼らが恐れるべきお方は、
まことの神様なのに、
彼らはまことの神様を忘れ、
心にも留めません。
それに対して主なる神様も、
忍耐され、沈黙されていたので、
彼らはさらに主を恐れず、
他の神々に助けを求めるのです。
私たちは自分が主を忘れないと
思っています。
ほかの神々に助けを求めるなど、
あり得ないと考えるのです。
けれど私たちは油断すると、
すぐに主を忘れてしまいます。
主以外のもので自らを満たそう、
頼り切ってしまうのです。
今日一日、主を真に恐れ、
主を第一にしているかを
吟味しながら歩むことが
できたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、あなただけを恐れる歩みへと導いてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
祈りの家[イザヤ書56:1-8]
なぜならわたしの家は、
あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。
イザヤ55:8
主なる神様は選びの民、イスラエル人だけでなく、
主につながり、主に仕え、主を愛する
主のしもべとなった私たちに
一つの約束を与えられます。
それは主の安息を守り、
主の契約を保つなら、
「わたしの祈りの家」で
私たちを楽しませてくださること。
主は私たちの祈りを聞き、
私たちの礼拝を受け入れてくださるのです。
イエス様の時代、異邦人は救いから
除外されていると考えられていました。
異邦人たちの祈りの場は汚され、
主との交わりは断絶されていたのです。
しかしイエス様がその場をきよめられ、
祈りの家を回復して下さいました。
そのため私たちは今、祈りの家である
主のもとで憩い、主を喜び、
楽しむ者とされています。
この恵みを十分味わうことができますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、私たちを祈りの家に招いて下さり、ありがとうございます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
主の思いと私たちの思い[イザヤ書55:1-13]
「わたしの思いは、
あなたがたの思いと異なり、
あなたがたの道は、
わたしの道と異なるからだ。
イザヤ55:8
私は自分の考え、行動が
何よりも最善だと考えています。
でも主の考え、思いは、
私たちとは異なると言われるのです。
主は私たちの思い、考えを
はるかに超えた素晴らしいことを
計画され、実行されます。
それは誤ることがないのです。
いや私たちが失敗だ、マイナスだと、
思うことさえ、主はプラスに変え、
主の思いを成し遂げてくださいます。
そして私たちに平安を与えられるのです。
今日も主の思いだけがなります。
ですから私たちの思いを主にゆだねて、
主を待ち望みましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、あなたの思い、道を教えてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
良い知らせを伝える足[イザヤ書54:1-17]
永遠の真実の愛をもって、
あなたをあわれむ。
イザヤ54:8
主なる神様に背き続けたイスラエルの民。
その彼らを主は怒り、
約束の地からアッシリア、バビロンと
彼らが捕囚されるのを許されます。
主は彼らを少しだけ見捨てられましたが、
永久にではありませんでした。
永遠の真実の愛をもって、
彼らをあわれんでくださったのです。
私たちも主の御怒りを
受けるべき者たちでした。
そんな私たちを主は
永遠の真実の愛をもって
あわれんでくださいました。
今日も主は私たちを
永遠の真実の愛であわれんでくださいます。
私たちを赦し、私たちを恵み、
愛で満たしてくださるのです。
今日も主のあわれみにすがって
歩む幸いを味わうことができますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、あなたのあわれみ、
永遠の真実の愛をありがとうございます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
良い知らせを伝える足[イザヤ書51:17-52:12]
良い知らせを伝える人の足は、
山々の上にあって、なんと美しいことか。
イザヤ52:7
伝道は足でするものだと教えられました。
母教会でも、泉教会でも、
毎月トラクト、ニュースレターを
ともに配布しています。
反応は薄いです。
でも福音を携えていく足は
美しいと言われます。
主は私たちの足を用いてくださるのです。
教会で人が来るのを待っているのではなく、
出て行って、福音を宣べ伝える。
このとき、私たちの父なる神さまの救いを
人々は見ることができるのです。
今日もそれぞれ遣わされていくことでしょう。
その先々で良い知らせを伝える恵みを
味わうことができますように。
父なる神様の救いを見せていただきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、良い知らせを伝える足とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
私たちを慰める方[イザヤ書51:9-16]
「わたし、わたしこそ、
あなたがたを慰める者。
イザヤ51:12
人を恐れ、不安になります。
顔色ばかり伺い、失敗するのです。
そんなときはいつも慰めてくださる主を
完全に忘れています。
父なる神様は私たちを慰め、
すべての災い、危険、試みから
助け出してくださるのに、
このお方に信頼できないのです。
主こそ私たちを慰めて下さるお方、
このことを覚えていくとき、
父なる神様の愛する子であることを
私たちは味わうことができます。
楽しみと喜びがついて来て、
悲しみと嘆きは逃げ去る。
父なる神様の素晴らしい導きを待ち望み、
主の慰めによって強められますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、あなたの慰めを心から感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
私を義とする方[イザヤ書50:4-51:8]
私を義とする方が近くにいてくださる。
イザヤ50:8
誰も自分で義・正しい者とはなれません。
そんな私たちを義としてくださる、
正しいと認めてくださる方が、
父なる神様が近くにいてくださるのです。
私たちは自らの行いではなく、
主イエス様によって
父なる神様の前に義と認められています。
これは私たちが完全な者、
正しい者となったのではありません。
依然として、私たちは間違いを犯し、
主の義から遠ざかってしまうこともあるのです。
けれど私たちには主によって
悔い改める心が与えられています。
私たちが悔い改め、主に立ち返るとき、
私たちの不義はすべてきよめられ、
主の前に義と認められるのです。
私たちはもう罪ありとして責め立てられません。
主が私たちの近くにいてくださり、
私たちの助けであるからです。
今日も主は私たちの味方として、
近くにいてくださり、
私たちを弁護してくださいます。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、私たちを義としてくださるあなたが
近くにいてくださることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
あなたを忘れない[イザヤ書49:14-50:3]
たとえ女たちが忘れても、
このわたしは、あなたを忘れない。
イザヤ49:15
捕囚されたイスラエルの民は、
主に見捨てられ、
忘れられたと嘆きます。
そんな彼らに主は語るのです。
母がお腹を痛めた子を忘れ、
あわれまないだろうか。
こんなことは普通ありません。
でもたとえ、そのようなことがあったとしても
主は彼らを忘れないと告げられるのです。
そして主の御手に彼らの名を刻み、
常に彼らの盾となってくださいます。
私たちも主が見えず、
主に見捨てられた、
忘れられたのはないかと
感じるときがあるのです。
しかし主は私たちのことを
決して忘れられない。
それだけでなく私たちのところに
訪れてくださり、
私たちを呼んでくださっています。
これになかなか気づかない私たち。
主は今日も御手を伸ばして、
私たちを救い出して、
義の道に導こうとしてくださるのです。
どうか素直に応答できますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、私たちを見捨てず、
忘れられないことを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
恵みの時に[イザヤ書49:1-13]
主はこう言われる。「恵みの時に、
わたしはあなたに答え、救いの日に、
わたしはあなたを助ける。
イザヤ49:8
主はイスラエルの民が
ご自身のしもべであるのは、
彼らが約束の地に
帰還するためだけではない。
彼らが国々の光となり、
地の果てまで主の救いを
もたらすためなのだと語られます。
それが恵みの時、救いの日なのでしょう。
私たちが主のあわれみによって救われ、
主の恵みによって神の子とされたのも、
私たちのためだけではありません。
主の栄光を輝かせ、主の救いを伝えるため。
まさに今が恵みの時、今が救いの日です。
主が私たちにしてくださった恵み、救いを
心から感謝し、主の栄光のため、
神の国の福音のために仕えていきたいと願います。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、あなたの栄光を輝かす器となさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
私を導く主[イザヤ書48:12-22]
「わたしはあなたの神、主である。
わたしはあなたに益になることを教え、
あなたの歩むべき道にあなたを導く。
イザヤ48:17
主なる神様は繰り返し、
「わたしに聞け」と仰せられます。
けれどイスラエルの民は聞かない、
いや聞けないのです。
主がいくら益になることを教えられても、
歩むべき道に導こうとされても、
それを無視して、自らの道を
突っ走ってしまいます。
そのために彼らに平安がないのです。
私たちも常に主が語りかけてくださるのに、
それを無視してしまいます。
みこころが分かっているのに、
他の道に行こうとするのです。
それは主のことばが、主の道が、
自分の願うものではないからでしょう。
でも自分の道を行くとき、
心に平安がありません。
不安と恐れでいっぱいになるのです。
これは主からの警告。
この主の警告を受けとめ、
主のみこころに生きることができますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、あなたに聞き、あなたの道に歩ませてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。