【日々のみことば】4月9日

覚えておくこと[申命記 24:10-22]

あなたは、自分がエジプトの
 地で奴隷であったことを
覚えていなければならない。
          申命記 24:22

寄留者や孤児、やもめのことを
大切にするように命じられます。
それはイスラエル人がエジプトで
奴隷であったことを覚えるためでした。

主は彼らがエジプトの奴隷状態から
主によって救われたことを忘れず、
弱い立場の人たちを顧みることを
願っておられたのです。

私たちも罪の奴隷状態から
主のあわれみによって
救い出されたのに
それを直ぐに忘れそうになります。

だからこそ自分が
救われたときの状態を覚え、
へりくだっていくことが
求められているのです。

そして立場の弱い人たちを
顧みて、寄り添い、
気にかけていくことを
主は願っておられます。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、自分がどのような状態から

あなたによって救われたかを
 忘れずに歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月8日

手のわざを祝福されるため[申命記 23:19-24:9]

あなたの神、主が
 あなたのすべての手のわざを
祝福されるためである。
          申命記 23:20

隣人を愛することについての
規定が定められています。

利息を取らないこと、
隣人の畑のものを食べるとき、
その時に必要なものだけを
いただくこと。

主が与えてくださったものを
自分のためだけに用いない。
そして欲張らない。

当たり前のことのようですが、
私たちは独占欲が強いのです。
何でも抱え込もうとします。

だからこそ私たちは受けるよりも
与えるほうが幸いであると言われた
主の言葉にたち、
歩んでいけたらと願います。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたから受けた恵みを

分かち合うことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月7日

呪いを祝福に[申命記 23:1-18]

・・・あなたの神、主は
 あなたのために呪いを
 祝福に変えられた。
          申命記 23:5

アンモン人とモアブ人は、
主の集会に加わってはならない
と定められています。

それは彼らがエジプトを脱出した
イスラエル人に戦いを仕掛け、
バラムを雇って呪おうとしたからです。

でもイスラエル人を
愛しておられた主は
呪いを祝福に変えられます。

さらに大きな恵みは、
モアブ人のルツが
主の集会に加えられ、
イエス様の系図に
記されていることです。

民族に対する呪いも、
主は祝福へと変えて
くださいました。

私たちも以前は異邦の民であり、
主の祝福に直接あずかることが
できる者たちではありませんでした。

けれど今、主イエス様の恵みによって
神の民とされ、主の祝福に直接あずかり、
永遠のいのちの望みが与えられているのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、主イエス様にあって、

祝福の道を歩むことができて感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月6日

汚名をきせる[申命記 22:13-30]

人が妻を迎えて彼女の
 ところに入ったが、
彼女を嫌い、・・・
 汚名を着せる場合、・・・
          申命記 22:14

結婚において女性を
守るために、一つの規定が
定められています。

汚名を着せられたら、
女性はイスラエルの中で
恥辱となることをしたとして
殺されてしまうのです。

また婚前交渉の問題も
取り上げられています。

神様が備えてくださった
夫婦としての祝福を
乱用することが
禁じられています。

父と母と離れ、
ふたりは一体となるという
創造の初めに主が
約束してくださった夫婦の祝福を
享受することが求められています。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたが約束してくださった

夫婦としての祝福を大切に
 用いていくことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月5日

見て見ぬふり[申命記 22:1-12]

あなたの同族の者の牛
 または羊が迷っているのを見て、
見ぬふりをしてはならない。
           申命記 22:1

愛の実践について
語られています。
牛、羊、ろばを一頭でも
失うことは大きな損失。

だからこそ、見て見ぬふりをせず、
返すように命じるのです。
見て見ぬふりをしてしまうことが
多くあるように感じます。

それは自分中心だからでしょう。
主が自分にしてくださった恵みを感謝し、
相手の必要を覚え、
自分がしてもらいたいように
他の人にもする。

このように主を中心に、
他の人の事を考えて
行動するときに
愛が実を結ぶのです。

見て見ぬふりから、
多少主にあってお節介な
生き方に変えていただくことも
大切ではないかと教えられました。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、見て見ぬふりではなく、

愛を実践する者と変えてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月28日

ユダヤ人の王[マルコ 15:1-15]

ピラトはイエスに尋ねた。
 「あなたはユダヤ人の王なのか」
           マルコ 15:2

ピラトはイエス様が何も
悪いことをしていないと
分かっていました。

でも彼らは民衆を恐れて
イエス様を十字架につけるために
引き渡してしまうのです。

一方、イエス様はご自分に
不利な証言を語られても、
何も答えられません。

唯一答えられたのは、
ピラトが「あなたはユダヤ人の
王なのか」と質問したことだけです。

イエス様はユダヤ人の真の王として
この世に遣わされました。
この王をエルサレム入城の際
人々は喜んで迎えたのです。

しかし彼らは、この時、真の王を
十字架につけるように要求します。
イエス様はご自分のところに
来られたのに、ご自分の民は
イエス様を受け入れなかったのです。

それに対してイエス様はなおも
沈黙されます。彼らを説得したり、
彼らにさばきのことばを語らない。

この主の忍耐が私たちの救い。
主は今もなお私たちに対して
忍耐され、私たちが悔い改めて
生きるのを待っていてくださる。

だからこそ私たちも主の招きに
素直に応じて、悔い改めて
生きることができたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの忍耐と救いを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月27日

泣き崩れるペテロ[マルコ 14:53-72]

イエスが自分に
 話されたことを
思い出した。
 そして彼は泣き崩れた。
       マルコ 14:72

イエス様が捕えられたとき、
みんなイエス様を捨てて
逃げてしまいます。

けれどペテロだけは
遠くからイエス様の後に
ついていくのです。

イエス様がこれから
どうなるのか、
気になっていたのでしょう。

イエス様が裁判を
受けている間、
ペテロは役人たちと
一緒に火に当たっています。

闇の中で、光がペテロに当たる。
その光に照らされたペテロを見て、
一人の女性が彼に言うのです。

「あなたも、ナザレ人イエスと
 一緒にいましたね」

これを聞いて、ペテロは
即座に否定し、
彼女から逃げるのです。

でも彼女は周りの人たちに
「この人はあの人の仲間です」と
言い始めます。

またもペテロは否定するのです。
彼は自分を守ろうと必死。
さらに他の人がペテロに
「確かに、あなたはあの人たちの
 仲間だ」と言います。

それに対して彼は嘘なら
呪われてもよいと誓ってしまう。
どれだけペテロが追い詰められて
いたかが分かります。

このように誓ったあとに、
鶏がもう一度鳴くのです。
それを聞いて、ペテロは
我に返ります。

そして泣き崩れるのです。
ペテロは自分の弱さ、
愚かさに打ちのめされます。

私たちも自分の意志、
熱意によってイエス様について
行けるわけではありません。

なぜなら私たちの意志、熱意は
外からの攻撃にもろいからです。
でもそんな弱さを主は
知っていてくださるのです。

それだけでなく私たちのために
祈っていてくださいます。
この主の祈りによって
私たちは日々立つことができるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、弱い私たちのために

イエス様が日々とりなしてくださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。