私の訴えについて
神様がいるなら、神様が愛なら
なぜこんな苦悩があるのか。
そんな叫びを何度も聞いてきた。
一方、ハバククは神様がいるのか、いないのか、
愛であるか愛ではないかではなく、
聖なる神、主に叫び、訴える。
どうして強暴な異邦人を用い、
自分たちに裁きを下し、苦しめられるのか。
どうして悪しき者が正しい者を呑み込んでいるのに、
黙っておられるのか。
その答えを待つ。
すべてを見極め、すべての意味が
明らかにされるわけではないかもしれない。
けれど自分で自分を納得させたり、
現実逃避するのではなく、
聖なる義なる主に向かう。
すべてを主にぶつける。
私の心はいつも主に向かっているのだろうか。
本気で主に自らの苦しみ、悩みを
ぶつけているだろうか。
父よ、あなたは聖なる、義なるお方です。
私たちの心をあなたに向けさせてください。
あなたに全てのことをぶつけ、
あなたの答えを待ち望むものとさせてください。
あなたは昔から主ではありませんか。
私の神、私の聖なる方よ、
私たちが死ぬことはありません。
ハバクク1:12