【日々のみことば】2月28日

見て喜ぶ[ヨハネの福音書 8章42節-59節]

あなたがたの父アブラハムは、
 わたしの日を見るようになることを、
大いに喜んでいました。
             ヨハネ 8:56

*聖書をお持ちでない方は
 以下のページをご覧ください。
 朗読も聴くことができます。
 https://prs.app/ja/bible/jhn.8.jdb

イエスさまを信じた
はずのユダヤ人たち。
けれど彼らはイエスさまの
ことばを聞きながら揺らぐ。

それは彼らがこれまで
信じてきた教えと、
イエスさまの教え・ことばが
全く違っていたからです。

そしてイエスさまを信じるとは、
イエスさまが父なる神さまから
遣わされた神であると
受け入れること。

そこに彼らはつまずく。
まだ彼らは悪魔に属し、
罪の奴隷から
自由になっていなかった。

イエスさまはアブラハムが
ご自分の日、ご自分が来られ、
救いが成し遂げられる日を
大いに喜び、それを遙か先に見て
喜んだのに、彼らはそれを
否定していると指摘されるのです。

さらにイエスさまは最後に彼らに
アブラハムが存在する前から
「わたしはある」と告げられます。

「わたしはある」
イエスさまはご自分が
神であることを
はっきり示されるのです、

これに対して、彼らは怒る。
神さまを冒涜したとして
イエスさまを
石打ちにしようとする。

ユダヤ人にとって、
イエスさまが神であると
信じることの難しさを
覚えるのです。

私たちは今、イエスさまは
神の子キリストであると
信じる心が与えられています。

そして私たちは主のことばに
聞き従う心が与えられているのです。
それはただ主のあわれみであり、
イエスさまによって新しく生まれた
確かなしるし。

しかも、その私たちは
「いつまでも決して
死を見ることがない」のです。

私たちには永遠のいのちが
与えられていて、
肉体の死は迎えても、
霊的に死ぬことはない。

この素晴らしい望みが
与えられていることを
主に感謝し、キリストの日を
大いに喜んでいけたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエスさまがキリストであると
信じる心を与えてくださり、ありがとうございます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月27日

本当の自由[ヨハネの福音書 8章31節-41節]

ですから、子があなたがたを
 自由にするなら、あなたがたは
本当に自由になるのです。
             ヨハネ 8:36

*聖書をお持ちでない方は
 以下のページをご覧ください。
 朗読も聴くことができます。
 https://prs.app/ja/bible/jhn.8.jdb

イエスさまを信じるだけが
私たちのゴールではありません。
イエスさまはご自分のことばに
とどまるなら、本当に弟子だと
語られるのです。

「イエスさまのことばにとどまる」
とは単にことばを覚えているのではなく
イエスさまのことばに従う、
イエスさまのことばに生きること。

このようにイエスさまのことばに
とどまるなら、真理を知り、
真理は私たちを自由にする。

真理はイエスさまご自身。
イエスさまにあって私たちは
真の自由が与えられるのです。

その自由とは、罪の奴隷から
解放され、イエスさまのように
父なる神さまのみこころに生きる。

私たちは今、罪の奴隷から
解放され自由にされた。
その自由を自分のためではなく
キリストのために用いる。

そうしないと再び、私たちは
自由が奪われ、古い自分に
戻ってしまうから。

イエスさまのことばが
私たちのうちに入っているでしょうか。
みことばによって生きようと
しているでしょうか。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、キリストのように生かしてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月26日

罪の中で死ぬ[ヨハネの福音書 8章21節-30節]

・・・わたしが『わたしはある』で
 あることを信じなければ、
あなたがたは、自分の罪の中で
 死ぬことになるからです。」
             ヨハネ 8:24

*聖書をお持ちでない方は
 以下のページをご覧ください。
 朗読も聴くことができます。
 https://prs.app/ja/bible/jhn.8.jdb

イエスさまはご自分が
去って行くと言われます。
そしてイエスさまが
行かれるところに
彼らは来られないと。

どういうことでしょうか。
イエスさまは一人
十字架への道を行かれる。

それは罪の中で死ぬ私たちが
イエスさまの死と
復活によって生きるため。

イエスさまは100%人ですが
100%神さま。
「わたしはある」お方。
下からでは上から来られたお方。

このお方を信じるかどうか、
それによって私たちの生死が
決まるのです。

またイエスさまはご自分の思いを
成し遂げられるのではなく、
父なる神さまの教えられたとおりに
行われたと告げられます。

それはイエスさまと
父なる神さまが
一つだからです。

私たちもイエスさまとともにあり、
イエスさまと一つにされています。
それは私たちがともにおられる
イエスさまに倣い、父なる神さまの
教えを行うことができることを
意味しているのです。

私たちは父なる神さまが
喜ばれることをいつも行える。
それは不可能にも思えますが、
主にあって、私たちは祈る。

諦めないで、祈る。
祈る中で、私たちは変えられる。
いや主が変えてくださる。
このことを待ち望んでいきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの喜ばれることを
行うことができるよう、助けてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月25日

罪のない者が[ヨハネの福音書 7章53節-8章20節]

「わたしもあなたにさばきを下さない。
 行きなさい。これからは、
 決して罪を犯してはなりません。」
             ヨハネ 8:11

*聖書をお持ちでない方は
 以下のページをご覧ください。
 朗読も聴くことができます。
 https://prs.app/ja/bible/jhn.8.jdb

律法学者、パリサイ人が
イエスさまのところに
姦淫の場で捕らえられた
女性を連れてきます。

それはイエスさまを試し、
イエスさまに恥を
かかせるためでした。

彼らは自分たちの規律を
守ることしか頭にありません。
女性の心を思う気持ちは
全くないのです。

ただ律法に反することをしたから、
彼女は石打ちにすべきだ。
そうでしょう、イエスさまと。

ここでもしイエスさまが
彼女を罪に定め、
石打ちにすることを
良しとされたら、
イエスさまを信じている人たちも、
幻滅したことでしょう。

律法学者、パリサイ人たちと
何ら変わらず、そこに愛を
感じることはなかった。

逆に、律法を軽んじるなら、
律法学者、パリサイ人たちに
神さまの戒めを破って、
不信仰だと指摘されたはず。

このような中で、イエスさまは
何をされたか。
地面に何かを書いておられた。

何を書いておられたのかは
分かりません。
律法学者たちはイエスさまが、
問題から逃げているように
思ったのでしょう。

しつこくイエスさまに問いかける。
するとイエスさまは立ち上がって一言。
「あなたがたの中で罪のない者が、
 まずこの人に石を投げなさい」

そしてまた黙って、地面に
何かを書き続けられるのです。
このことばを聞いて、
そこにいた人たちは自問します。

それから年長者から始めて、
一人ひとり、女性とイエスさまから
離れ去っていくのです。

すべての人が自分に
罪があると分かっていた。
彼女にさばきを下す人は
誰もいなかったのです。

残されたのは全く罪のない
イエスさまと女性だけ。
そのイエスさまが
彼女に宣言されます。

「わたしもあなたに
 さばきを下さない」

イエスさまは彼女の罪を赦された。
彼女が何かしたから赦されたのですか。
彼女は何もしなかった。
ただイエスさまのところにとどまった。

私たちにとって大切なことは
イエスさまから離れず、逃げないこと。
人は私たちを責めるし、
罪に定めるかもしれない。

でもイエスさまは私たちとともにおられ
私たちに対して「わたしもあなたに
さばきを下さない」と言われるのです。

私たちの罪は赦されている。
大切なのは、罪を犯し続けないこと。
イエスさまから離れず、
イエスさまとともに生きること。

このようにイエスさまにある私たちを
だれも罪に定めることはないのです。
なんと幸いなことでしょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエスさまのゆえに私の罪を赦し、
生かしてくださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月24日

生ける水の川[ヨハネの福音書 7章37-52節]

わたしを信じる者は、
 聖書が言っているとおり、
その人の心の奥底から、
 生ける水の川が
流れ出るようになります。」
             ヨハネ 7:38

*聖書をお持ちでない方は
 以下のページをご覧ください。
 朗読も聴くことができます。
 https://prs.app/ja/bible/jhn.7.jdb

イエスさまは人々を招かれます。
「だれでも渇いているなら、
わたしのもとに来て飲みなさい」と。

イエスさまを信じるなら、
御霊が与えられると。
このことばを聞いて、
人々の間で分裂が生じます。

イエスさまのことを一番
信じられなかったのは、
ユダヤ人リーダーたちでした。

群衆や彼らの下役たちは
イエスさまのことばを信じ、
イエスさまをキリストだと
告白するのです。

イエスさまのことばを聞いて
信じられるか、信じられないか
その差はどれだけへりくだり、
心が打ち砕かれているかでしょう。

主が喜ばれるのは、
私たちが自分を誇り、
自分を示すことではありません。

イエスさまの十字架だけを誇り、
イエスさまを指し示すこと。
今日も一日
イエスさまを指し示し、
イエスさまのことを
証ししていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエスさまを
指し示す一日とさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月23日

わたしがいるところ[ヨハネの福音書 7章25-36節]

・・・あなたがたはわたしを捜しますが、
 見つけることはありません。
わたしがいるところに
 来ることはできません。
             ヨハネ 7:34

*聖書をお持ちでない方は
 以下のページをご覧ください。
 朗読も聴くことができます。
 https://prs.app/ja/bible/jhn.7.jdb

多くのユダヤ人はイエスさまが
キリストであるかどうか
迷っていたのです。
彼らは信じ切れない。

それは彼らがイエスさまのことを
よく知っていたから。
イエスさまがどの町の出身で、
どこから来たかを。

そんな彼らにイエスさまは
ご自分のことを
知っているかもしれないが
父なる神さまを知らないと
言われるのです。

ユダヤ人は自分たちが
父なる神さまのことをよく知り、
父なる神さまに仕えていると
考えていた。

だからイエスさまを
捕らえようとする。
パリサイ人、祭司長たちも
イエスさまを捕らえようとする。

しかしまだイエスさまの時が
来ていなかったので、
イエスさまは捕まえられません。

そしてイエスさまは
もう少し彼らとともにいてから
父なる神さまのもとに行くこと。
彼らが捜しても見つからない。
ご自分がいるところに
来ることができないと言われる。

この時点で、だれ一人
イエスさまの歩みに
倣うことはできないのです。

それは彼らが主に逆らい、
自分の道を歩んでいたから。
そんな彼ら、そして私たちのために
イエスさまは十字架の道を
歩まれます

そして後々、私たちは
イエスさまのいるところ来て、
イエスさまの十字架の後に
従うことができるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、レントの期間、
主イエスさまの十字架への歩みを
 深く味わうことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月21日

イエスさまの時[ヨハネの福音書 7章1-13節]

「わたしの時はまだ来ていません。・・・
             ヨハネ 7:6

*聖書をお持ちでない方は
 以下のページをご覧ください。
 朗読も聴くことができます。
 https://prs.app/ja/bible/jhn.7.jdb

イエスさまの兄弟は
イエスさまから多くの弟子が
去ったことを受けて、
イエスさまにユダヤに行って
ご自分のわざを行うように勧めます。

ご自分を世に示すなら、
弟子たちがイエスさまのところに
帰ってくるはずだと思ったのです。

でもイエスさまはそれを
否定されます。
「わたしの時は
まだ来ていません」と。

イエスさまの時、ご自分を公に現し
神さまのわざを成し遂げられるとき。
それはもう少し先でした。

それにしてもイエスさまの素晴らしい
みわざを見聞きした人たちの中に
様々な反応があったことは
とても興味深いことです。

私たちがイエスさまのことを
証ししていても、
同じような反応があります。

でも一つ大切なのは、
彼らはイエスさまに
無関心ではないこと。

そんな彼らのところに
イエスさまは入って行かれる。
そして彼らにご自身のことを
証しされるのです。

私たちも恐れず、
主の御言葉を持って
人々の中に入っていき、
みことばを宣べ伝えていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、みことばを語り、
主イエスさまのことを証しする力を与えてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月20日

つまずく人々[ヨハネの福音書 6章60-71節]

「主よ、私たちはだれのところに
 行けるでしょうか。
 あなたは、永遠のいのちの
 ことばを持っておられます。
             ヨハネ 6:68

*聖書をお持ちでない方は
 以下のページをご覧ください。
 朗読も聴くことができます。
 https://prs.app/ja/bible/jhn.6.jdb

イエスさまのことばを聞いて
多くの人たちがつまずく。
肉なる心ではイエスさまの
霊なることば、いのちのことばを
受け入れることができないのです。

私たちはどのような心で
イエスさまのことば、
みことばを読んでいるでしょうか。

自分の益のため、
自分の求めのために読むなら、
つまずくか、全くみことばが
私たちのいのちとはならない。

それだけではなく、
イエスさまとともに
歩めなくなるのです。
敵対するようになる。

イエスさまはペテロに
「あなたがたも離れて
行きたいですか」と
質問されるのです。

ペテロはそれを否定する。
私たちにも問われます。
「わたしから離れて
行きたいか」

永遠のいのちのことばを
持っておられるイエスさまから
離れることなく、
イエスさまにとどまる。

でもそれも私たちのわざではなく
主の選びであり、主のあわれみ。
主イエスさまを信じる者と
されていることを感謝し、
主イエスさまにつまずくことが
ありませんように。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、みことばを肉の思いで
聞くことがありませんように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。