【日々のみことば】6月4日

救い出して下さる主[Ⅰサムエル17:24-40]

獅子や熊の爪からしもべを
 救い出してくださった主は、
このペリシテ人の手からも
 私を救い出してくださいます。
          Ⅰサムエル記17:23

サウルはダビデがゴリヤテと
戦うのは無理だと考えます。
けれどダビデは「主が私を
救い出して下さる」と告白するのです。

この告白を聞いたサウルは
ダビデがイスラエルの代表として
戦いに出ることを認めます。

この時、サウルはダビデに自分の
武具を着せるのです。
けれどダビデには
その武具は役に立ちませんでした。

いつも通りの服装と
いつも通りの武器で
ゴリヤテに向かうのです。
これがダビデの強さでした。

私たちも普段どのように
生きているかが試練の時に
問われます。

普段から主に頼り、主に祈り、
主がどんなときにも救い出して下さると
信じて歩んでいるなら、
大きな試練の中でも恐れたり、
焦ったりすることなく
いつも通りでいられるのです。

順境の時にも逆境のときにも
主に祈り、主の救いの確かさに
望みをおいて歩んでいけるように
お祈りしていきましょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたが私たちの救いであることを

いつでも忘れないようにさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】6月3日

ゴリヤテのことば[Ⅰサムエル17:1-23]

彼は前と同じことを語った。
 ダビデはこれを聞いた。
          Ⅰサムエル記17:23

ゴリヤテの脅しに、サウルと全イスラエルは、
気をくじかれ非常に恐れます。
40日間、彼らは何もできず、
その場にただ経ち構えるのです。

そこにダビデが父に命じられて、
兄たちの安否を尋ねに来ます。
彼もまたゴリヤテのことばを
聞くのです。

けれど彼は他のイスラエル人のように
気をくじかれ恐れません。
ゴリヤテに立ち向かおうとするのです。

ここから何を聞くかではなく、
どのような心で聞くかが
問題であると分かります。

私たちの周りにも、
ネガティブなことばがあふれているのです。
それらをただ聞くなら、
私たちは恐れてしまいます。

けれど主の視点で、主のフィルターを通して、
私たちがそれらを聞くなら、
恐れることはないでしょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、ネガティブなことばに

惑わされることがありませんように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】6月2日

ダビデの油注ぎ[Ⅰサムエル16:1-23]

人はうわべを見るが、主は心を見る。
          Ⅰサムエル記16:7

サムエルはサウルの次の王に
油を注ぐために、
エッサイのところに遣わされます。

そしてサムエルはエッサイの
長男エリアブを見て、彼こそ、
主に油を注がれる者だと考えるのです。

恐らく彼はサウルと同じように
見た目がよく、背も高かったのでしょう。
けれど主は告げられます。

「彼の容貌や背の高さを見てはならない。
 わたしは彼を退けている。
 人が見るようには見ないからだ。
 人はうわべを見るが、主は心を見る」

このところを新共同訳聖書では
「人は目に映ることを見るが、
主は心によって見る」と訳されています。

確かに私たちは目に映る、外見ばかりを見て、
人を判断することが多いのです。
また私たちは外見ばかりを気にします。
しかし神様は私たちの心を見られるのです。

私たちが今、何に怒り、何を求め、
何が重荷となり、誰を許すことができず、
どんなことで悩んでいるのか、
すべてをご存じです。

このように神様とはうわべの
付き合いができません。
だからこそ私たちは主なる神さまの前に
すべてを包み隠さないことが大切なのです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、心を見られるあなたに

包み隠すことなく歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】6月1日

主が喜ばれること[Ⅰサムエル15:16-35]

主は、全焼のささげ物やいけにえを、
 主の御声に聞き従うことほどに
喜ばれるだろうか。
 見よ。聞き従うことは、
いけにえにまさり、耳を傾けることは、
 雄羊の脂肪にまさる。
          Ⅰサムエル記15:22

サウルを主がイスラエルの王として
選ばれたのは彼を通して
すべての民が主の御声に聞き従い、
主の祝福を受けるためだったのです。

しかしサウルは主の御声に聞き従わず、
主の祝福を自ら放棄してしまいます。
そのように主に背を向け、主のことばを
守らなかったサウル。

主はそんな彼をイスラエルの王と
したことを悔いたのです。
残念に思われ、悲しまれました。

なぜなら主の御声に聞き従わない道は、
苦しみであり、悲惨だからです。

私たちも主の御声に聞き従わず、
主に背を向けてしまうときがあります。

自分の声、人の声だけに頼り、
従うならば、私たちの主は心から悲しまれ、
嘆かれるのです。そこに祝福がないからです。

主が世界の基の据えられる前から
イエス・キリストにあって、
ご自分の子にしようと、
愛をもってあらかじめ定めておられたのは、
私たちを祝福して、私たちが主にある喜びに満たされるため。

そのように主にある喜びに満たされるために、
主なる神さまに祈り、助けていただきましょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの御声に聞き従っていけますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。