大いなる御力[出エジプト記14:15-31]
イスラエルは、主がエジプトに行われた、
この大いなる御力を見た。
それで民は主を恐れ、
主とそのしもべモーセを信じた。
出エジプト14:31
これまで雲の柱としてイスラエルの
先頭を進まれた主は、
今度は彼らのうしろに立たれます。
エジプトとの隔ての壁となってくださるのです。
また主が命じられたとおり、
モーセが手を伸ばすと
海の真ん中が分かれ、
乾いた地をイスラエル人は
進んで行きます。
後ろも左右も壁があり、
主の守りが完璧にあるのです。
これを通してイスラエルは完全に
エジプトから自由にされます。
私たちの行く先々には、
様々な試練があることでしょう。
けれど主は前からうしろから
私たちを取り囲み 御手を私たちの上に
置いてくださるのです。
この主に信頼して歩む人生は幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
あなたの守りの確かさを心から感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
ただ黙っていなさい[出エジプト記14:1-14]
主があなたがたのために戦われるのだ。
あなたがたは、ただ黙っていなさい。」
出エジプト14:14
主なる神様が告げられたとおり、
ファラオは頑なにされ、
イスラエルを追いかけるのです。
それを見たイスラエルは大変恐れます。
そして主に不平不満をぶつけるのです。
あんなに奴隷から解放されることを
願っていたのに、エジプトのほうが
良かったと。
このように恐れおののき、
主に信頼できないイスラエルに
モーセは「恐れるな」と
告げるのです。
主の救いを見るように。
主が戦ってくださる。
何と力強い励ましでしょうか。
イスラエルがすることは一つ。
ただ黙っていること。
私たちも苦しみ、悲しみの中で、
主に信頼できないときがあります。
アタフタして、
主の助けを待ち望めないのです。
そんな私たちに主はいつも、
恐れるな、わたしがあなた方のために戦う。
だからただ黙っているように、
語りかけてくださいます。
主が私たちの味方であることは、
何と大きな恵みでしょうか。
今日も主は私たちのために戦い、
私たちを救い出してくださいます。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
あなたの救いを待ち望みます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
雲の柱 火の柱[出エジプト記13:1-22]
主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、
また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、
彼らの前を進まれた。
彼らが昼も夜も進んで行くためであった。
出エジプト13:21
エジプトから出発したイスラエル人とともに
主は昼も夜も離れずおられました。
雲の柱、火の柱によって
主は彼らの前を進まれたのです。
脱出させたら、後は自分たちで
頑張るようにということではありません。
主は彼らの先頭に立ち、
彼らを導かれたのです。
私たちの歩みの先頭にも
主はいつも離れず、いてくださいます。
困難な時、悲しみの時、
主はそばにいてくださるのです。
時に私たちが心変わりしないように
遠回りされるときもあります。
でも主は私たちを確実に、
救いの完成へと導いてくださるのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
あなたが昼も夜もともにいて導いてくださることを信じます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
エジプトの地を出る[出エジプト記12:37-51]
四百三十年が終わった、ちょうどその日に、
主の全軍団がエジプトの地を出た。
出エジプト12:41
イスラエル人は苦しみから
解放されます。
430年滞在したエジプトから出て行くのです。
彼らの喜びはいかばかりだったでしょうか。
けれど彼らの喜びとか、歓声とかは
全く記録されていません。
記録されているのは、
主が寝ずの番されたことです。
主が寝ずの番をされるという表現は、
何か違和感を感じます。
なぜなら主は眠ることも、
まどろむこともないお方だからです。
では、どうして寝ずの番と表現したのでしょうか。
それは主の守りが確かにあることを、
イスラエル人が分かるためでしょう。
同じように主は私たちが行くにも帰るにも、
今よりとこしえまで守ってくださっています。
私たちをとこしえの道へと導いてくださるのです。
この主に信頼する歩みは何と幸いでしょうか。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
あなたは私たちを守り、導いて下さるお方です。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
過ぎ越されたわざわい[出エジプト記12:21-36]
あなたがたはこう答えなさい。
『それは主の過越のいけにえだ。
主がエジプトを打たれたとき、
主はエジプトにいたイスラエルの子らの家を
過ぎ越して、私たちの家々を
救ってくださったのだ。』」
すると民はひざまずいて礼拝した。
出エジプト11:27
最後のわざわいによって
主がエジプトを打たれるとき、
イスラエルの民は主が命じられたとおり、
過越のいけにえをささげます。
そしてわざわいがイスラエルの家々を
過ぎ越して、主が自分たちを
エジプトの奴隷から
救い出してくださったことを
覚え続けるために過越の儀式を
守り続けるように命じられるのです。
一方、最後のわざわいによって打たれた
ファラオとエジプト人は、
せき立ててイスラエル人を出て行かせます。
ファラオは自らの祝福も祈るように
モーセに命じるのです。
私たちのイエス様の十字架の血によって、
罪が赦され、永遠の滅びのわざわいは
過ぎ越されます。
この恵みを忘れないために、
私たちには聖餐式が定められているのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
キリストの十字架の血によって、
罪が赦されていることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
聖書箇所:出エジプト記12章1-14節
タイトル:過ぎ越される恵み
9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”主日礼拝” が持たれます。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
好意を持つように[出エジプト記11:1-10]
主は、エジプトがこの民に
好意を持つようにされた。
モーセその人も、エジプトの地で
ファラオの家臣と民に
たいへん尊敬された。
出エジプト11:3
主はモーセに最後のわざわについて
告げられます。
それはエジプト中の長子が
打たれることでした。
それをファラオに伝えますが、
ファラオはなおも聞き入れません。
その頑ななファラオにモーセは、
怒とともに去るのです。
今日の箇所で興味深いことは、
敵また奴隷である
モーセとイスラエル人を
エジプト人が好意を持ち、
尊敬したことです。
自分たちだけに災いガクだっても、
彼らはねたまず、恨まない。
それはイスラエル人の行いのゆえではなく
主がそのようにされたから。
私たちも私たちの行いゆえに
人々から好意を持たれようとし、
実際にそのように思うことがあります。
けれどすべては主のみわざ。
主は私たちが遣わされている場所で、
人々が好意を持ち、主を信じる者として
尊敬されるようにしてくださるのです。
この主の恵みを心に留めていけたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
あなたによって好意を
持つようにされていることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。