【日々のみことば】8月31日

主が私の助けでなかったら[詩篇 94:1-24]

もしも主が私の助けで
 なかったなら私のたましいは 
ただちに 沈黙のうちに 
 とどまったでしょう。
             詩篇 94:17

苦しみの中で、悪者が栄えるのを
見ながら、主に叫び求めます。
そんな彼らを詩篇の記者は、
励ますのです。

14節で「主はご自分の民を見放さず、
ご自分のゆずりの民を 
お見捨てになりません」と。

苦難のとき、主の助け、力を
忘れそうになります。
でも主はどんなときにも
私たちの助け。

主が私たちの助けでなければ、
私たちはただ空しい人生を
歩むことになります。

主に自らの弱さを告白し、
主の恵みに支えられる人生こそ、
私たちにとって何よりも幸い。

主は私たちを日々支え、
多くの恵みを与えてくださいます。
この主に信頼し、主の助けを
待ち望んでいきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの助けを待ち望みます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】8月30日

主こそ王[詩篇 93:1-5]

主こそ王です。
 威光をまとっておられます。
             詩篇 93:1

主は私たちの王。
主は力に満ちておられる。
私はこのことをどれくらい
深く味わっているだろうか。

そんなことを考えました。
この世界を創造される前から
主は王であられ、栄光が
全地に満ちていました。

しかし人の罪ゆえに主の栄光が
私たちの目にはかすんでしまう。
私たちは主の栄光を見て、
主を王として迎えられない。

けれど私たちがどれほど不信仰で、
罪深くても、主の栄光は決して
なくならない。主はとこしえに
威光をまとっておられる。

その威光、主の力を知る、見る、
味わうことこそ私たちの幸いです。
そして主の素晴らしさを仰ぎ見て、
主を賛美することを主は待っておられます。

今日も威光をまとっておられ、
とこしえまからおられる主を
ほめたたえて歩んでいきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの力と栄光をほめたたえます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】8月29日

主に感謝することは[詩篇 92:1-15]

主に感謝することは 良いことです。
 いと高き方よ あなたの御名を
ほめ歌うことは。
             詩篇 92:1

主に感謝をすることを
すぐに忘れてしまう私たち。
そんな私たちに詩篇の記者は
「主に感謝することは良い」と歌います。

主に感謝するとは、主をほめたたえること。
主に感謝するとは、主の恵みを告げること。
主に感謝するとは、主の真実を現わすこと。
そして主の正しさを喜び、賛美すること。

主は私たちに良いことをしてくださり、
主は私たちを決して見捨てられません。
主の御思いは深く、主は年老いてもなお、
多くの実を実らせてくださるのです。

ですから主のしてくださったことを
何一つ忘れず、感謝をしつつ
歩みたいと願います。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの恵みに感謝する

歩みができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】8月28日

苦しみのときに[詩篇 91:1-16]

わたしは苦しみのときに
 彼とともにいて
彼を救い 彼に誉れを与える。
             詩篇 91:15

主は私の避け所、私の砦。
私が信頼する私の神と告白する
記者は、主に絶大な信頼を
置いています。

そして仲間を励ますのです。
わざわいは降りかからない。
主がすべての道で
あなたを守られるからと。

どうして主が守られ、
助けられるのか。
それは彼が主を愛し、
主の名を知っているから。

主を愛し、主を知る。
これは私たちが主の守りの中にあり、
主がともにいてくださる
確かなしるしです。

14節以降の括弧内の「彼」は
イエス様のことを
預言しているように感じます。

イエス様は父なる神様を愛し、
父なる神さまのことを知っておられた。
父なる神様を呼び求め、
主の救いを見せられた。

そして今、主イエス様の救いに
あずかった私たちはイエス様と
同じように主を愛し、
主を知る者とされているのです。

その私たちはどんなことがあっても
主が私たちとともにいてくださり、
とこしえのいのちで満ち足らせてくださいます。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたを愛し、

あなたを知る恵みを心から感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】8月27日

私たちの齢は[詩篇 90:1-17]

私たちの齢は七十年。
 健やかであっても八十年。
そのほとんどは、労苦とわざわいです。
             詩篇 90:10

詩篇の記者は主の主権を賛美します。
また主の前に自分のすべてが明らかで
激しい怒りの中に置かれていることを
覚えるのです。

その怒りの中で、彼は主のあわれみを
待ち望みます。苦しみとわざわいに
応じて喜ばせてくださいと祈るのです。

詩篇の記者が述べるように、
私たちの人生、労苦とわざわいが
満ちています。

ときに挫折したり、つまずいたり、
倒れ込みそうになったり。
でも詩篇の記者は絶望しません。
主のみに望みを置くのです。

私たちもどれだけ労苦とわざわいを
味わったとしても、主に信頼し、
喜び歌い、楽しむことができるよう、
お祈りしていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、どうか私たちをあわれみ、

喜び歌い、楽しむことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】8月19日

だれにも顧みられない[エレミヤ書 22:20-30]

この人エコンヤは、蔑まれて
砕かれる像なのか。
だれにも顧みられない器なのか。
          エレミヤ 22:28

主は南ユダの王エコンヤ(エホヤキン)が
バビロンに捕囚され、
約束の地に帰れないと告げられます。

28節のことばはエレミヤの嘆き。
エホヤキンは本来、蔑まれて
砕かれる像ではない。

だれにも顧みられない器ではない。
主の愛する王であり、
主が顧みてくださる宝。

でもそれを自ら捨て、
自分勝手な道に邁進するのです。
だから主は彼を「一生栄えない男」と
記録するように命じます。

私たちも蔑まれて砕かれる器ではありません。
だれにも顧みられない器でもないのです。
私たちは主に愛され、赦され、
顧みられる者たち。

このことを心に刻み、
”一生栄えない男”と記録されないよう、
主の御声に聞き従っていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたが私たちを愛し、赦し、

顧みてくださることを忘れることがありませんように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】8月18日

自分の利得に向けられる[エレミヤ書 22:10-19]

しかし、あなたの目と心は、
 自分の利得に、
・・・向けられている。
          エレミヤ 22:17

主は南ユダの王ヨシヤの子シャルムに
向けて告げられます。
彼の父ヨシヤは主の目に
かなうことを行ったのです。

そのとき、彼は幸福でした。
でもシャルム(エホアハズ)は
主の目に悪を行うのです。

自分の利得ばかりを求め、
自分だけ裕福な生活をします。
そのため彼はさばきにあい、
エジプトに死ぬのです。

その後、エホヤキムが王となります。
彼も主の目に悪を行うのです。
南ユダの滅亡前、王たちは
自分のことしか考えません。

民たちを全く顧みないのです。
もう王たちに委ねられた民を
牧する心が全くありません。

これは彼らの心が神様から
離れていたからでしょう。
私たちも心が神様から離れるなら、
利己的になります。

自分さえ良ければという
心になってしまうのです。
それは神様が一番悲しまれること。
幸いからほど遠い歩み。

ですからいつも神様につながり、
神様のみことばに
生きていくことができるよう、
ともにお祈りしていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたから離れることがありませんように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。