【日々のみことば】8月17日

主のことばを忠実に[エレミヤ書 22:1-9]

もし、あなたがたが
 このことばを忠実に行うなら、
           エレミヤ 22:4

ダビデの家系、南ユダの王に向かって
主は主のことばを聞け、主のことばを
忠実に行えと命じられます。

でも彼らは主のことばを
忠実に行わないのです。
その結果として、
滅びが予告されています。

そして滅びた理由が多くの
国々に知られるのです。
それは「彼らが、自分の神、
主の契約を捨ててほかの
神々を拝み、仕えたからだ」と。

なぜ自分の神を捨ててしまうのか。
なぜ神様のことばを行えないのか。
そこにしか救いがないのに。

それは罪によって霊的な目が
閉ざされているからでしょう。
私たちもいつの間にか霊的な目が
閉じてしまうことがあります。

だからこそいつも目を覚まし、
主の御声に聴き続けて
いくことが大切なのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、いつも霊的な目を開き続けて

いくことができるよう、助けてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】8月16日

いのちの道と死の道[エレミヤ書 21:1-14]

見よ。わたしはあなたがたの前に、
 いのちの道と死の道を置く。
           エレミヤ 21:8

ゼデキヤ王は使者をエレミヤの
もとに遣わし、主のみこころを
尋ね求めるのです。

それに対して主は、主ご自身が
彼らと戦われること。
多くの人を主が打たれること。

また生き残った者たちは、
バビロンの王の手に渡され、
彼らは惜しまず、容赦せず、
あわれみをかけないと告げられます。

さらに主は都にとどまる者は、
剣と疫病によって死ぬこと。
逆に降伏する者は生き、
自分のいのちを戦勝品として得ると。

降伏するしか生きる道がない。
主の愛とあわれみの中で
生きてきた彼らにとって
何とも辛い宣告です。

でもこれは彼らが主を捨て
自分勝手に歩んできた結果。
その報いを彼らは受けています。

このように主はいったん
イスラエルの民を手放される。
しかし彼らを完全に見放され、
見捨てたわけではなかったのです。

彼らへのわざわいは、彼らをもう一度
取り戻すための主のみわざ。
主は彼らをご自分の民とするために
彼らを敵の手に渡されたのです。

私たちも主の御声に聞かず、
自分の道を行くなら、
主のさばきの中に置かれるでしょう。

しかしそれは一時的なものであり、
私たちが主に立ち返るための
主の愛のみわざ。

そのときに私たちは頑なにならず、
主の御声に聴き、主に従って
歩むことができたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたは私たちを決して

見捨てられないことを心から感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】8月15日

燃えさかる火[エレミヤ書 20:7-18]

主のことばは私の心のうちで、
 骨の中に閉じ込められて、
燃えさかる火のようになり、
 私は内にしまっておくのに
耐えられません。もうできません。
            エレミヤ 20:9

エレミヤは主のことばを語るごとに
人々の笑いものとなり、嘲られます。
それに耐えられず、もう主のことばを
宣べ伝えないと思うのです。

でも主のことばは彼の内で
燃えさかる火のようになり、
内にしまっておくことができないと
エレミヤは告白します。

主のことばを宣べ伝えたら、
すべての人が喜んで受け入れ、
救われるわけではないのです。
それはエレミヤにとって辛いこと。

でも真理を知り、みことばを
委ねられたエレミヤは
主のことばを伝えざるを得ない。

パウロもコリント人への手紙第一
9章16節で次のように告白します。

「私が福音を宣べ伝えても、
 私の誇りにはなりません。
 そうせずにはいられないのです。
 福音を宣べ伝えないなら、
 私はわざわいです」

どんなに否定されても、
嘲られても、主のことばを伝える。
これは私たちの強い意志とか、
熱心さでどうにかなりません。

主がともにいてくださり、
主が語ってくださる。
この主のみわざに自らを委ね
みことばを語る力を与えていただきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、時が良くても悪くても、

みことばを伝える勇気を与えてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】8月14日

祭司パシュフルの無知[エレミヤ書 19:14-20:6]

パシュフルは、預言者エレミヤを打ち、
 彼を主の宮にある、上のベニヤミンの
門にある足かせにつないだ。
            エレミヤ 20:2

主の宮でエレミヤが主のさばきの
ことばを預言したとき、
祭司パシュフルはエレミヤを打ち、
足かせにつなぎます。

パシュフルはエレミヤが
悪いことばかりを告げるので、
耐えられなかったのでしょう。

これこそ彼の目が罪ゆえに
閉ざされていた確かなしるし。
翌日、パシュフルはエレミヤの
足かせを解きます。

そうするとエレミヤは彼に
さらに詳しく南ユダの人々に
どのようなさばきが下るかを
告げるのです。

それはパシュフルが偽って語り聞かせた
彼の愛するすべての人たちが
バビロンへ引かれ、すべての富・財宝が
かすめ奪われてしまうこと。

「大丈夫、大丈夫」と何の根拠もない
安心感を南ユダの人たちに
与えてきたパシュフル。

それが彼の愛する人たちを
さらに苦しめてしまう結果に。
このことを聞いて、
彼はどのように感じたでしょうか。

もしかしたら無知な彼は
何も思わず、悔い改めも
しなかったかもしれません。

罪に罪を重ねていると、
みことばがうっとうしくなったり、
みことばに耳を閉ざして
しまうことがあるのです。

そうならないために私たちは
日々みことばに聞き、
みことばによって私たちの心を探り、
悔い改めていくことが大切でしょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちが頑なにならず、

みことばを素直に受け入れることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】8月13日

はかりごとを砕く[エレミヤ書 19:1-13]

・・・わたしはこの場所で、
 ユダとエルサレムのはかりごとを
打ち砕く。
           エレミヤ 19:7

イスラエルの民はベン・ヒノムで
ほかの神々に自分の子どもたちを
犠牲にささげていました。

これは主なる神様が語ったことも、
思いつきもしなかったことでした。
罪が、悔い改めない心が、
彼らをもっと悪い方向に向かわせます。

そんな彼らに主は彼らのはかりごとを
打ち砕くと告げるのです。
彼らに対する主のわざわいは
目を覆いたくなるようなもの。

神の宝の民とされていた彼らは
ことごとく砕かれ、
約束の地は荒れ放題となります。

これは主にとっても大きな
苦しみであり、悲しみ。
主の名が異邦の民によって
汚されてしまう。

それでも主は彼らを砕かれる。
わざわいを下される。
それは彼らを立て直されるためでした。

主は私たちが悪の道にいくなら、
私たちをも砕かれることでしょう。
それは私たちが主に立ち返り、
主とともに歩むための主の愛。

だからこそ主に砕かれたら、
素直に悔い改めて、
主に立ち返ることができるよう、
ともにお祈りしていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちを日々立て直し、

あなたに立ち返る道を備えてくださり、
 ありがとうございます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】8月6日

イスラエルの民の無知[エレミヤ書 16:1-13]

・・・わたしはあなたがたに、
 いつくしみを施さない。
          エレミヤ 16:13

主はイスラエルの民に対して、
さらに厳しいさばきを告げられます。
頑なな彼らへのさばきが
もう間近に迫っているのです。

主は彼らから平安と
恵みとあわれみを
取り去ったと。

でもイスラエルの民は、
何で自分たちが主のわざわいに
あっているのか分からないのです。

主を捨て、主の律法を
守っていなくても、
それが罪であると理解できない。

彼らの霊的な目が
罪によって
閉ざされていたからです。

今、私たちは自らの罪を
知ることができています。
これは主のあわれみであり、
霊的な目が開かれているしるし。

だからこそ私たちは自らの罪を
そのままにせず、告白し、
主の赦しをいただく必要があります。

そうしないといつの間にか、
気づかないうちに頑なになり、
主を捨ててしまうことになるからです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちの罪を教えてくださり、

悔い改める力を与えてくださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。