【日々のみことば】8月5日

主の憤り[エレミヤ書 15:1-9]

わたしはあわれむのに疲れた
          エレミヤ 15:6

上記の6節のみことばは、衝撃的です。
ここまでイスラエルの罪に対して
忍耐され、あわれまれた主。

その主がイスラエルを
あわれむのに疲れたと告げられる。
どれほどあわれんでも、
忍耐しても立ち返らない民。

どんなに愛しても、
主の愛が分からない民。
この頑なさに主は疲れ果てる。

主はたとえモーセとサムエルが
とりなしても、
心が民に向かわないと言われるのです。

これはとても厳しいさばきのことば。
これを聞いても、イスラエルの民は
分からない。立ち返らない。

私たちの罪が、私たちの頑なさが、
神様を疲れさせると
知っているでしょうか。

忍耐深く、怒るのに遅い神様だから、
私たちが罪を犯しても、
仕方ないと赦してくださる。
そんな風に考えてしまいます。

でも実際は、私たちの罪深い姿を見られ、
本当に疲れ切ってしまうのです。
この主の苦しみを忘れず、
頑なな心を主に砕いていただきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちの罪はあなたを

疲れさせるものであると知りました。
 どうか私たちの頑なさを砕き、
日々あなたに立ち返ることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】8月4日

罪の中にある[エレミヤ書 14:13-22]

本当に私たちは、
 あなたの御前で罪の中にあります。
          エレミヤ 14:20

偽預言者たちは偽りを預言します。
それに対して主は、
さばきを下されるのです。

またイスラエルの民の傷は
癒やしがたく、ひどい打ち傷だと。
そんな彼らのことを預言者、
祭司たちは何も知らないと。

このような状況の中で、
エレミヤはなおもイスラエルの
民のためにとりなします。

エレミヤは主のあわれみにすがり、
自分たちの罪を告白するのです。
主がイスラエルの民と結んでくださった
契約を覚えておいてくださいと。

そして主こそ自然を
支配するお方である。
その主を待ち望むと告白するのです。

イスラエルの民はただ耳に
良いことばを聞き、
全く悔い改めることなく
そのことばに信頼していました。

私たちはどうでしょうか。
耳に良いみことばばかりを選び、
自分の心を突き刺すような
みことばを避けていないでしょうか。

私たちを愛してくださる主は、
私たちが日々、ご自分に立ち返り、
生きるために、みことばによって
導いてくださるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのみことばに目を背けることなく、

従う者としてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】8月3日

ただ中におられる主[エレミヤ書 14:1-12]

主よ。あなたは私たちの
 ただ中におられ、
私たちはあなたの御名をもって
 呼ばれているのです。
          エレミヤ 14:9

エレミヤは苦難の中で、
主のあわれみにすがります。
「イスラエルの望みである方、
 苦難の時の救い主よ」と。

でもその祈りを主が
聞いてくださらないことを
嘆きます。

主なる神様が自分たちのただ中に
おられるはずなのに、自分たちは
苦難から抜け出せない。
主が自分たちを置き去りにされている。

これはイスラエルの罪ゆえでした。
彼らは主に立ち返らず、
ずっとさまようことを愛していました。

だからこそ主も彼らを
退けられ、受け入れず、
罰せられたのです。

主は私たちとともにおられます。
私たちの救い主です。
でもそれを告白するだけで、
私たちが自分勝手に生きるなら、
主は私たちを置き去りにされる。

ですから私たちは口先だけなく
心から主に信頼し、
主に信頼するにふさわしく
生きることが求められているのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、口先だけでなく心から

あなたに信頼して歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】8月2日

主に栄光を[エレミヤ書 13:15-27]

あなたがたの神、
 主に、栄光を帰せよ。
          エレミヤ 13:16

エレミヤはイスラエルの民に、
主に栄光を帰せよと命じます。
主が闇を送り、彼らがつまずき、
暗黒とされる前に。

そして彼らのために嘆くのです。
エレミヤは彼らがなおも高ぶり、
主に立ち返れないことを
知っていました。

エチオピア人の肌の色を
ヒョウの斑点を変えられることが
できないようにないように、
悪に慣れたイスラエル人は善を行えない。

人の計ることは悪。
これはイスラエルだけの問題ではなく、
私たちも一緒です。

私たちも以前、悪に慣れ、
善を行えない、
神様の喜ばれることを
行えない存在でした。

そんな私たちが今、神のみこころを知り、
少しずつ神様に喜ばれる歩みができるのは、
イエス様によって私たちの心が変えられ、
御霊なる神様がともにいてくださるから。

この大きな恵みを忘れず、
主の用意してくださった良い行いを
喜んで行うことができたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、悪に慣れた私たちをイエス様によって

変えてくださったことを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】8月1日

主の願い[エレミヤ書 13:1-14]

それは、彼らがわたしの民となり、
 名声となり、栄誉となり、
栄えとなるためだった。
          エレミヤ 13:11

主はエレミヤの腰につけさせた帯を
岩の割れ目に隠すように命じます。
そして何年後に再び、それを取り出すように
命じられるのです。

取り出した帯はボロボロで何の
役にも立たなくなります。
これはイスラエル人が主の前に頑なになって
何の役にも立たないことを意味していたのです。

主が彼らを選ばれたのは、
彼らが主の民となり、名声となり、
栄誉となり、栄えとなるためでした。

でも彼らはそれを見事に裏切り、
主の民としての特権を自ら
拒否してしまうのです。

そのために主は彼らを容赦せず、
惜しまず、あわれみをかけずに
滅ぼすと告げられます。

ずっと忍耐して、イスラエルを
導いて来られた主。
でも主は御怒りを燃やされ、
彼らをしばらくの間、見捨てられる。

これは主なる神様にとっても
大きな痛みです。
でもこれは彼らをもう一度、
ご自分の者とされるためでした。

このことば通り、彼らはバビロンに
捕囚としてとらえられてしまうのです。
しかしずっと彼らが捕囚として、
異国の地にいることはありませんでした。

主は彼らを約束の地に戻して下さるのです。
これが主の永遠に変わらない愛であり、
尽きることのないあわれみ。

この愛とあわれみによって
私たちも今、
生かされているのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの尽きることのない

愛とあわれみを心から感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。