【日々のみことば】11月30日

光の道[ヨブ記 24:1-25]

これらの者は光に背く者。
 光の道を認めず、
光の通り道にとどまろうとしない。
           ヨブ記 24:13

ヨブは悪者とは、どのような者であるか、
友人たちに語ります。
結局は13節にあるように
光に背く者たちのこと。

光とは、主なる神様のことでしょう。
悪者たちは主の道を認めず、
主の道にとどまろうとしません。

自分勝手な道に進み、
好き勝手なことをするのです。
イエス様もすべての人を照らす、
まことの光として世に来られます。

しかし人々はイエス様を知らず、
イエス様を受け入れませんでした。
そんな彼らが光に生きるために、
イエス様は十字架で死なれ、
よみがえられました。

それゆえ今、私たちは光の中に
とどまることができているのです。
今日もイエス様の光の中にとどまり、
歩んでいきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様の光の中に

とどまることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月29日

試されると[ヨブ記 23:1-17]

しかし神は、私の行く道を
 知っておられる。
私は試されると、
 金のようになって出てくる。
           ヨブ記 23:10

ヨブは自分の苦しみ、
嘆きを訴えます。
そして神様に会って
自分の言い分を訴えたいと。

でも彼はどこに行っても
神様を見つけることが
できないと語るのです。

だからと言って神様の存在を
否定するわけではありません。
主が自分のことを知って
おられることを認めるのです。

また神様が自分を試され、
それによって金のようになる。
整えられていくということでしょう。

彼はどんなことがあっても、
主に従い、主を恐れます。
彼は、試練とともに、さらに
神様への信頼が強固になる。

私たちも様々な試練が与えられます。
チャレンジがやってくるのです。
それらを通して私たちの主への
信頼が強固になっていきます。

この素晴らしい恵みを喜び、
祈りつつ待ち望んでいきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、様々なチャレンジによって

あなたへの信頼が増し加えられていることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月28日

神の役に立てるか[ヨブ記 22:1-30]

人は神の役に立てるだろうか。
 賢い人でさえ、
ただ自分自身の役に立つだけだ。
           ヨブ記 22:2

エリファズはヨブに答えます。
人は神の役に立つだろうか。
正しい者が全能者の喜びとなるか。
全き行いが神様に益となるか。

エリファズにとって答えはNOでしょう。
私たちは神様の前に取るに足りない者。
私たちが神様の役に立つなど、
恐れ多いことだということ。

でも本当にそうでしょうか。
主は私たちを用いてくださいます。
私たちとともに働かれることを
心から望んでおられるのです。

私たちが正しく生きるなら、
私たちの行いを喜ばれます。
そして私たちが正しく生きるなら、
神様の御名が人々の間であがめられ、
神様にとって益となるのです。

そして確かなことは、
私たちは良い行いをするために
キリスト・イエスにあって造られたこと。

しかもその良い行いさえも、
神様が備えてくださるのです。
これを選び取っていくか、
自分の道を行くかは
私たちに委ねられています。

ぜひ神様が備えてくださった
良い行いを選び取っていくことが
できるよう祈っていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたが備えてくださった

良い行いに励むことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月27日

空しいことばで[ヨブ記 21:17-34]

それなのに、どうしてあなたがたは
 空しいことばで
私を慰めようとするのか。
           ヨブ記 21:34

ヨブは友人たちの計画を
知っていました。
それはヨブを悪者として
断罪すること。

でもヨブは自分が悪者たちのように、
ともしびが消えて神の怒りによって
滅び分けられることがなかったのです。

また悪者の行くべき道を告げたり、
彼のしたことに対して、
誰が報いることができるのかと
友人たちに問いかけます。

これは悪者たちに何を言っても、
結局は滅びに向かうだけだ
ということでしょう。

ヨブにとって友たちのことばは、
慰めではなく、空しく聞こえていた。
私たちの語ることばは、
どうでしょうか。

上っ面の、不誠実なことばを
語ることがあるような気がします。
だからこそ生きたことば、
人を生かすことばを語ることが
できたらと願うのです。

それはまさにみことばでしょう。
でもみことばを人に語るときにも、
私たちは気をつけなければなりません。

みことばによって人をさばいたり、
責めたりしてしまうことがあるからです。
そうすると生かすことばが、
空しくなってしまう。

ですから時宜にかなったことばを
語ることができるように、
祈っていけたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、時宜にかなったことばを

語ることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月26日

ヨブのおびえ[ヨブ記 21:1-16]

なぜ悪しき者が生きながらえて
 年をとっても、
なお力を増し加えるのか。
           ヨブ記 21:7

ヨブは友たちに、とにかく
自分の話を聞いて欲しかった。
ヨブは一つのことでおびえます。

それは悪者が生きながらえ、
年をとっても増し加えること。
悪者に正しいさばきがなされず、
のうのうと生きていること。

そんな彼らと自分が
一緒にされていることが
ヨブにとって耐えられないのです。

なぜならヨブは正しく
生きてきたのに、
苦しみがあり、
死に瀕しているから。

この不条理さにヨブは嘆く。
でもこれはただの不平不満、
悪口ではなかったのです。

この素直な気持ち、怒り、
おびえを主の前に素直に
言い表します。

ヨブは本当に正しい自分が
なぜ苦しみにあうのか、
主に問いたかったのでしょう。

私たちも生きている上で
理不尽なことがたくさん起こります。
そのときその思いを主にぶつけ、
主に聞いてもらうことは大切です。

ただ内にとどめて、
良い人ぶるのではなくて。

今週も私たちの全てを
知っておられる主に自らの思いを
聞いていただきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたに私の素直な思いを

語ることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月25日

悪者の喜びは短く[ヨブ記 20:1-29]

悪しき者の喜びは短く、
 神を敬わない者の楽しみは
束の間だ。
           ヨブ記 20:5

ツォファルは悪者の歩みが
どれほど悲惨であるかを
繰り返し語ります。

彼が語るように最終的に
悪者、神様を敬わない者は、
主のさばきにあうでしょう。
彼がしたことの報いを受ける。

でもこの世において、
悪しき者が正しいさばきを受け、
正しい者がその報いを
受けるだけではありません。

正しくても苦しむことがある。
誠実に生きていても
痛手を被ることもある。

その代表がヨブでした。
このことをツォファルは理解せず、
ただただヨブを責めるのです。

確かに悪者は滅び、
正しい者は平安であることを
私たちは願います。

けれど、そうならないとき、
自分を責めたり、
当事者をさばいたりせず、
思い巡らすことができたら幸いです。

私たちには分からないことがたくさんある。
このような謙虚さが
何よりも大切なのでしょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、謙遜に歩むことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月24日

私を贖う方[ヨブ記 19:1-29]

私は知っている。
 私を贖う方は生きておられ、
ついには、土のちりの上に
 立たれることを。
           ヨブ記 19:25

ヨブは友たちのことばで、
悩まされ、いじめられていると
訴えます。

誰も自分に味方して、
自分の声に耳を
傾けてくれる人はいないと
嘆くのです。

そんな友たちにヨブは
「私をあわれんでくれ」と
叫びます。

けれど彼らのあわれみだけを
求めるのではありません。
ヨブは自分を贖い、
助けてくださる主に目を向けます。

苦しみの中でも、
友たちのことばによっても、
ヨブの心は決して神様から
離れなかったのです。

神様にのみ望みを置いていました。
だからこそ沈み込むことがなかったのです。
私たちを贖ってくださるお方も、
私たちの主だけです。

この主に頼り切って
歩むことができたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたに頼り切って歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月23日

悪しき者の光[ヨブ記 18:1-21]

まことに、悪しき者の光は消え、
 その日の炎も輝くことはない。
            ヨブ記 18:5

ビルダデはヨブの苦しみ、
わざわいの原因は、
彼が主の前に悪しき者で
あるからだと責めます。

光が消え、炎は輝かない。
光が暗くなり、
ともしびは消える。

光から闇に追いやられ、
世から追い出される。
ここでの光とは、
何のことでしょうか。

それは主に照らされ、
主が導かれる道のこと。
私たちも救われる以前、
暗やみの中にありました。

でも私たちを照らす
まことの光としてイエス様が
来てくださったのです。

このイエス様によって
私たちの闇は照らされ、
光のなかを歩む者とされています。

ですから今日も光の子どもとして
主の光に照らされて
歩んでまいりましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様が私たちの光と

なってくださったことを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月22日

とりなしてくださる方[ヨブ記 16:18-17:16]

その方が、人のために
 神にとりなしてくださいますように。
人の子がその友のためにするように。
            ヨブ記 16:21

ヨブは苦しみの中で、
目を天に向けます。
それは天に自分の証人がいる
と信じているからです。

彼は自分の正当性を誰かに
弁護して欲しかった。
それを友たちがしてくれるはずでしたが、
逆に彼らはヨブを責めるのです。

ところがヨブは絶望しません。
それは自分のために神様に
とりなしてくださる、
友なるお方がいるからです。

このヨブが信じている方こそ、
イエス様のことでしょう。
イエス様は今、父なる神様の
御座に座っておられます。

そして私たちのために
とりなし続けてくださるのです。
私たちはこのイエス様のとりなしによって
神の前に生きるものとされています。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様が私たちのために

とりなしてくださることを心から感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。