【日々のみことば】11月21日

疲れ果てる[ヨブ記 16:1-17]

まことに神は今、
 私を疲れ果てさせました。
          ヨブ記 16:7

ヨブは友たちの言葉を聞き、
彼らがみな、人をみじめにする
慰め手であるとします。

しかも彼らに対抗して語っても、
ヨブの痛みは抑えられない。
忍んでも、それは去らない。
疲れ果てたと告白するのです。

主の御手に陥った苦しみを
ヨブは嘆きます。
自分の手に暴虐がなく、
祈りがきよいにもかかわらず。

絶望の淵で、ヨブは祈る。
苦しみの中で、ヨブは叫ぶ。
ヨブは決して神様から目をそらさない。

これがヨブの強さであり、
ヨブに与えられた信仰。
私たちも信仰の創始者であり、
完成者であるイエス様から
目を離さないで歩みたいと願います。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様から目を離さずに、

歩む者たちとしてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月20日

むなしいことに信頼するな[ヨブ記 15:17-35]

迷わされて、
 むなしいことに信頼するな。
その報いはむなしいからだ。
          ヨブ記 15:31

エリファズはヨブが苦難と
苦悩に遭っているのは、
彼が悪しき者であり、
横暴な者だからだと考えています。

確かに主の前に尊大にふるまい、
傲慢に神に向かって突き進む者は、
神様のさばきを受けるでしょう。
自分のしたことの報いが与えられます。

「迷わされて、むなしいことに
信頼するな」も、主以外のものを求めて、
むなしい考えや意見に
迷わされそうになることもあります。

でも、このようにヨブを非難するのは、
エリファズの役割であったでしょうか。
ただヨブの置かれた状況だけを見て、
判断することはできないはずです。

私たちも正しさを人に
押しつける過ちを犯さないように、
気をつけなければなりません。

自分のことはさておき、
みことばを人に当てはめ、さばくのではなく、
自分のうちにある梁をまず取りのけられるよう、
お祈りしていきたいと願いします。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、人をさばくのではなく、

みことばによって自分自身を変えることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月19日

神の慰め[ヨブ記 15:1-16]

神の慰めは、
 あなたには不十分なのか。
あなたに対して優しく
 語られたことばは。
          ヨブ記 15:11

エリファズの二回目の応答です。
彼の言葉はどんどん
攻撃的になっていきます。

ヨブを罪に定め、
彼の信仰を否定するのです。
ヨブは決して神様を
否定していませんでした。

神の御前で祈るのを
おろそかにしていません。
むしろヨブは主に祈り、
主の答えを待っているのです。

確かにエリファズの言うように
私たちは神様の前に正しくありません。
でも正しく生きたいという心を
主は喜んでくださるのです。

また自分をただ正しくない、
忌み嫌うべき腐り果てた者と
自分を卑下することを
主は悲しまれます。

私たちは主に愛され、
主のために造られた者たち。
この主の愛を覚えて、
主の愛のうちに歩んで生きましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたに愛されている者として

喜んで歩んでいけますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月18日

ヨブの願い[ヨブ記 13:20-14:22]

ただ二つのことを、
 私になさらないでください。
そうすれば、私は御顔から
 身を隠しません。
          ヨブ記 13:20

ヨブは自分の思いを
神様にぶつけます。
ヨブの願いは二つ。

一つは主の手を
遠ざけてくださること。
ヨブは主の手に陥り、
苦しんでいたからです。

もう一つは主が
返答してくださること。
ここまでヨブが語ることに、
主は沈黙されています。

主が何も語ってくださらないことは、
ヨブにとって大きな苦しみ。
生きている意味さえ見失いそうになる。

自らの罪ゆえに試練にあっているのなら
自分の罪に目を留めず、
咎をおおってくださいと祈ります。

試練の中でのヨブの葛藤が良く分かります。
私たちも苦しみの中で、自分を責めたり、
生きる意味を見失いそうになることがあるのです。

それらを自分の内側に
仕舞い込むのではなく、
主の前にすべてを明らかに
することが大切であると教えられます。

主は私たちの嘆きを
必ず聞いてくださるからです。
私たちも主にあって常に望みがある。
このことを覚えて、歩んでまいりましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちの叫び、嘆きを

すべて聞いてくださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月17日

私の救い[ヨブ記 13:1-19]

神もまた、
 私の救いとなってくださる。
          ヨブ記 13:16

ヨブは友人たちを偽りを塗る者、
みな無用の医者だと語ります。
彼らが高慢になり、神の顔を立て、
神のために争っていると思っていたからです。

神様の代わりにヨブを説得しようと
彼らは一生懸命でした。
ヨブと神様との仲介者気分だった。

それがヨブをさらに苦しめていたのです。
彼は15,16節で、たとえ主に殺されても、
主を待ち望み、自分の道を神の前に
主張すると語ります。

それは主だけが彼の救いであると
信じ切っているからです。
ヨブが何よりも求めていたことは、
神様と語り、論じ合うこと。

神様のことばを待ち望み、
救いを求めていたのです。
けれど主はすぐにヨブに
答えてくださいません。

私たちに対しても主はいつも
すぐに答えを下さるわけではありません。
耐え忍ぶときもあるのです。
しかし主は決して私たちを見捨てておられない。

主は私たちとともにいてくださる。
そして主はご自分のタイミングで
救いを成してくださるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの救いを待ち望みます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月16日

御手のうちに[ヨブ記 12:1-25]

すべての生き物のいのちと、
 すべての肉なる人の息は、
その御手のうちにある。
          ヨブ記 12:10

ヨブはツォファルのことばを聞き、
自分も彼と劣っていない。
正しく誠実な自分が笑いものに
なっていると嘆くのです。

そしてヨブは自らの知識を語ります。
生き物と人のいのちは、
主の御手にあること。

国々を栄えさせるのも、
滅ぼされるのも、
主の手にあること。

主の主権の絶対性を告白するのです。
ここまで主の主権を認めることを
私たちはできるでしょうか。

どうしても私たちは神様を自分の
思いどおりに動かそうとしてしまいます。
自分の願うどおりに動いて
欲しいと願っているのです。

でもすべては主の御手にあります。
このことを忘れずに、
今日一日、主の御手にゆだねて
歩んでいくことができたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、すべてはあなたの御手にあることを信じます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月15日

望みがあるので[ヨブ記 11:1-20]

望みがあるので、
 あなたは安らぎ、
守られて安らかに住む。
          ヨブ記 11:18

ツォファルが次にヨブに語ります。
先の友人たちと同様に
神様についての知識を
ヨブに伝えるのです。

神が咎を忘れてくださること。
不法を住まわせないなら、
主の前に堅く立って恐れることがないと。

神様の前に正しくあるなら、
苦しみは起こらず、
平安と休息が与えられると。

これらは確かなことでしょう。
詩篇の記者も、このように主を
賛美しています。

それでもヨブが語ることと比べたとき、
何か大きな違いがあるように思うのです。
ヨブの神様は実際に生きていて、
友人たちの神様は机上の話しのよう。

それは彼らが神様を深く
味わっていないからでしょうか。
聖書に書かれてある神様は、
今も生きておられる。

私たちの、私の咎を赦し、
私たちに輝きを与え、
平安と休息を備えてくださる主。

この生きた信仰・証しこそ、
主が何よりも喜ばれること。
今日も主はともにいてくださいます。
この主の恵みを覚えていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたは今も生きて

働いてくださることを信じます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月14日

恵みをもっていのちを与え[ヨブ記 10:1-22]

恵みをもって私にいのちを与え、
 あなたの顧みが私の霊を守りました。
             ヨブ記 10:12

ヨブは苦しみの中で、
また友たちの言葉によって、
自分の罪によって苦しみに
あっているのではないかと思います。

一方で、彼は自分に悪しきことがない、
それにもかかわらず、
主が悪を探り出されると
訴えるのです。

彼の揺れる心がよく表現されています。
しかし彼は主への信頼を失っていないのです。
主が自分の肉体を形造り、
いのちを与えてくださったことを忘れない。

それでも自分を苦しめるなら、
生まれない方が良かった。
自分にかまわないで欲しいと
願うのです。

この神様への祈り、
嘆きを聞きながら、
ヨブの葛藤をみます。

これは決してヨブの不信仰ではない。
ヨブが神様に信頼を置き、
主が与え、主は取られると
委ねきっている確かな証拠。

私たちは何となく、神様の前に
優等生に振る舞ってしまいやすい。
もっと嘆いて、もっと問うても
良いのではないでしょうか。

私自身、まだまだつぶやくだけで
神様にすべてをぶつけられない者です。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたに委ねきることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月13日

仲裁者[ヨブ記 9:17-35]

私たち二人の上に手を置く
 仲裁者が、私たちの間にはいません。
             ヨブ記 9:33

ヨブの混乱は続きます。
主が理由もなく傷をつけ、
苦しみで満たされると。

自分が誠実であっても、
主が曲がった者とされる。
もう自分が分からない。

これがヨブの本心。
何が何だか分からない。
どんなに誠実に歩んでも、
神様の前には潔白とされない。

このことに彼は空しさを感じるのです。
ヨブの求めは、神様と自分の上に
手を置いてくれる仲裁者。
それがいないと彼は嘆く。

しかし私たちには仲裁者います。
そのお方こそ、イエス様。
イエス様は私たちと
父なる神様の間に立って下さいます。

そして私たちのために
とりなしてくださるのです。
このイエス様のゆえに私たちは
大胆に神様に近づくことができる。
何と幸いなことでしょうか。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちの仲保者として

イエス様が立って下さることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。