【日々のみことば】4月30日

アロンの死[民数記 20:14-29]

アロンは自分の民に加えられる
            民数記 20:24

20章の始めに、モーセの姉ミリアムが
死んで葬られています。
そしてこの後半でモーセの兄アロンの
死が記されているのです。

今までモーセを支えてきた
二人が死ぬことで、
新しい時代に向かって
イスラエルが進んでいることが分かります。

この時、アロンは自分で歩いて
山に登っているようですので、
足腰は元気だったようです。

でも彼はメリバの水のことで
主に反逆したために、
約束の地に入ることができず、
ホル山でいのちが取られます。

この姿は、主の厳しさは
イスラエルの目に
焼き付いたことでしょう。

主は愛のお方。あわれみ深いお方。
でも聖なるお方、義なるお方。
だから罪に対して、常に厳しいのです。

この主の愛と聖を
常に心に留めて
歩んでいきたいと願います。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの愛と聖を

心に留めて歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月29日

民の不平[民数記 20:1-13]

主はご自分が聖であることを
 彼らのうちに示されたのである。
            民数記 20:13

イスラエルの民は、
またもやモーセに不平を言います。
自分たちの仲間が死んだとき、
一緒に死んでいたらよかった。

自分たちをなぜエジプトから、
こんなひどい場所に引き入れたのか。
飲み水もない。

その不平を聞かれた主はモーセに
彼が岩に命じたら、水を出すと
告げられます。

それを聞き、モーセは会衆を集め、
彼らの目の前で、杖で岩を
二度たたくのです。

けれどこれは主が命じられた
ことではありませんでした。
それでも豊かな水があふれ出て、
民たちも家畜も水を飲むのです。

しかし主はモーセの行いを罰せられ、
彼とアロンを約束の地に導き入れないと
厳しいことばを告げられます。

この出来事、モーセが何だか
かわいそうに感じるのです。
民たちの不平を聞き続けた結果、
主のことばに従えなかったからです。

でも主はご自分が聖であることを
現さなかったことを問題とされています。
主を聖とするとは、どういうことでしょうか。
私たちは主を聖とできているでしょうか。

主を聖とするとは、主の素晴らしさ、
主の偉大さ、主のあわれみを
民に語ることだと考えられます。

それを語らず、モーセは憤ってしまう。
ここが大きな問題だったのでしょう。
私たちも日々の生活の中で、
主を聖とする歩みをしていくことができるよう、
主の助けを祈り求めていくことができたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたを聖とする歩みを

みちびいてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月28日

汚れときよめ[民数記 19:11-22]

そのきよい人が、それを汚れた者に
 三日目と七日目に振りかけ、
七日目にその人の汚れを
 除くことになる。
            民数記 19:19

死人に触れる者は汚れるとあります。
また人の骨、墓に触れる者も
汚れるとされています。

死の汚れを取り除くために、
罪のきよめのために焼いて
作った灰を水で溶いたものを
振りかけるのです。

しかし、一回ではなく、
三日目と七日目に
振りかける必要がありました。

このようにきよめを行うことで、
イスラエルの全体に汚れが
広がることがないようにしたのです。

私たちも日々、自らの罪を口で告白し、
悔い改めていく必要があります。
このことのゆえに私たちは
イエス様の十字架の血によって
きよめられるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、日々、あなたの前に罪を認め、

イエス様の十字架の血によるきよめを
 経験していくことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月27日

汚れを除く水[民数記 19:1-10]

・・・汚れを除く水を
 作るために保存しておく。
これは罪のきよめのささげ物である。
            民数記 19:9

罪のきよめのささげ物について
主がモーセに告げられます。
ささげ物の雌牛はくびきを
負ったことがなく、
傷のない完全なものであること。

それを祭司が屠って、
皮、肉、血、汚物にわけて
すべてを焼きます。

この罪のきよめのための
ささげ物を献げる祭司は
夕方まで汚れます。

また雌牛の灰を集める者も
夕方まで汚れるのです。
罪のきよめが行われるために、
きよめられている人が
汚れるとはとても興味深いです。

さらに雌牛の灰は、
汚れを取り除く水を作るために
保存しておくのです。

この水によって人々は
きよめられます。

私たちの主イエスさまも、
私たちの罪をきよめるために、
傷のないご自身をお献げになりました。
私たちの汚れをすべて負ってくださったのです。

この犠牲によって私たちの罪は
きよめられました。
そして私たちは死んだ行いから離れ、
生ける神さまに仕える者とされています。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様が私たちの汚れをきよめるために

ご自身をお献げ下さったことを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月26日

レビ人への主の恵み[民数記 18:21-32]

・・・あなたがたは
 その十分の一の十分の一を、
主への奉納物として献げなさい。
           民数記 18:26

主はレビ人に対して
彼らの奉仕の報いとして、
イスラエルのうちの十分の一をみな、
ゆずりのもとして与えると約束されます。

彼らは相続地を受け継ぐことが
許されませんでしたが、
イスラエルの民が主に献げる
十分の一を主が与えてくださったのです。

そして彼らに対して主は、
その十分の一の十分の一を
主への奉納物として
献げるように命じられます。

これは主への感謝をあらわすためであり、
主なる神様がすべての必要を
満たしてくださることを
忘れないためでした。

私たちも主が与えてくださったものに対して
主にささげものをします。
これは強制ではないのです。
主の恵みに自ら応答する手段。

主は私たちが喜んで献げる
ささげものを心から
喜んでくださるのです。

そればかりでなく、
私たちも主に献げることで、
主への感謝があふれます。

また主がどんなときでも
満たしてくださるお方であると知り、
主に信頼して歩むことができることでしょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの恵みに感謝して、

喜んで献げるものとしてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月25日

主がゆずりである[民数記 18:8-20]

わたしがあなたへの
 割り当てであり、
あなたへのゆずりである。
           民数記 18:20

主はアロンに対して
彼とその子どもたちが
聖なるささげ物を受け取り、
永遠の割り当てとすると約束します。

主がアロンとその子どもたちを
永遠に養い、
導いてくださるということでしょう。

さらに20節で主は主ご自身が
彼らの割り当て、ゆずりであると
告げられます。

彼らには約束の地において、
割り当て地がありませんでした。
でも主が彼らの割り当て、
相続となってくださるのです。

これはどういうことでしょうか。
それは主のものとされるすべてが
彼らのものであるということです。

だからこそ彼らは決して捨てられることなく、
主の確かな助けとみたしの中で
歩むことができるのです。

イエス様にあって救われた
私たちも今、神様の相続人であって、
キリストとともに
共同相続人とされています。

だからこそ私たちは主に
捨てられることなく、
主の大きな恵みに
満たされているのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、今私たちはあなたのものとされ、

イエス様との共同相続人とされていることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月24日

主の選び[民数記 18:1-7]

わたしはあなたがたの
 祭司職の奉仕を賜物として与える。
            民数記 18:7

アロンの杖だけが芽を出した後に、
主はアロンにもう一度
彼とその子どもたちが
祭司として任命します。

またレビ族に対しても
天幕全体の任務に当たらせることを
告げられるのです。

けれど彼らは聖なる用具と
祭壇に近づくことを
禁じられます。

このことを守るなら
主の怒りは再び
下ることはないと
約束して下るのです。

さらにアロンとその子たちに対しては
祭司職の奉仕を賜物として
与えると告げられます。

奉仕は主の賜物。
主に仕えることは
主からのプレゼント。

この感覚を私たちはすぐに忘れ、
主に仕えること、主の働きをすることに
消極的になったり、誇ったりするのです。

主は私たちが主に仕え、
ともに喜ぶことを望んでおられます。
主の働きを委ねてくださっているのです。

ですから私たちも喜びと感謝をもって
主に仕えていこうではありませんか。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたに仕えることは

あなたから賜物であることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。