【日々のみことば】1月31日

一生の間覚えておく[申命記 16:1-17]

あなたがエジプトの地から
 出て来た日を、
一生の間覚えているためである。
           申命記 16:3

主の過越を祝うように。
イスラエルの民がエジプトを
脱出するとき、次のように
命じられました。

一歳の雄の子羊かやぎを屠り、
その血を二本の門柱と鴨居に
塗らなければならない。

そして夜に肉を焼いて、
種なしパンと苦菜を
添えて食べるように。

さらに主がエジプトにわざわいを
下すとき、血のしるしを見て、
わざわいを過ぎ越すと主は語られ、
実際にそれが成就したのです。

このことによってイスラエルは
奴隷から解放され、エジプトを
脱出することができました。

このようなすばらしい主のみわざを
覚えておくために、
過越の祝いをするように
モーセは命じるのです。

私たちもまた、イエス様の十字架の
血によって、私たちの罪は赦され、
私たちは永遠の死から
永遠のいのちへと移されました。

この恵みを覚え続けていくために、
私たちは毎週主を礼拝し、
聖餐式に招かれているのです。

ですからいつも主への礼拝、聖餐式を
大いに喜び、主の恵みを
受け取ることができたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様の十字架の血によって

罪赦されていることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】1月30日

隣人を愛する[申命記 15:1-23]

必ずあなたの手を彼に開き、
 その必要としているものを
十分に貸し与えなければならない。
           申命記 15:8

自分の祝福、利益だけでなく、
隣人のことを考え、彼らの祝福、
利益を求めるように語られます。
それは主が必ず祝福してくださるから。

その祝福を自分の内に
とどめるのではなく、
貧しい人たちに
還元していくように。

どうしても自分が得する
ことばかりを考えてしまう私たち。

すべては主からの賜物、
祝福であるのに、
それを惜しんでしまいます。

隣人の必要を覚え、
彼らのために仕えていくとき、
主はさらに祝福を与え、
豊かにしてくださる。

今日一日、
受けるよりも与えるほうが
幸いである
というみことばを思い巡らし、
隣人の必要に応えていけたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、どうしても自分のことばかりを

考えてしまう弱い者です。
 隣人の必要を覚え、
それに応えていく者とさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】1月29日

十分の一を[申命記 14:22-29]

あなたは毎年、種を蒔いて
 畑から得るすべての収穫の
十分の一を、
 必ず献げなければならない。
         申命記 14:22

収穫の十分の一を主に献げる。
また主が御名を住まわせる場所に
様々なささげ物を持っていき、
それを主の前で食べるように。

すべての中心は神様です。
でも十分の一を献げるのも、
主の前で食べるのも、
主のためではありません。

イスラエルの民がいつまでも
主を恐れることを学ぶためです。
すべての必要を満たしてくださる
主を忘れないため。

さらにモーセは隣人たちのために、
自分たちの収穫を
置いておくように命じます。

自分ですべてを囲い込んで、
自分たちだけが恵まれ、
祝福されれば良いという
考えを否定されるのです。

私たちはすぐに自分のこと
ばかり考えてしまいます。
そんな私たちに主はいつも
神を愛し、隣人を愛するように
働きかけてくださるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたを愛し、

隣人を愛するものとさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】1月28日

主の聖なる民[申命記 14:1-21]

あなたは、あなたの神、
 主の聖なる民だからである。
         申命記 14:5

イスラエルの民が主の命令を守り、
主の目にかなうことを
行わなければならないのは、
彼らが主の聖なる民だからです。

彼らは聖なる神様の
素晴らしさを反映し、
主のために生きる者と
されているのです。

また彼らは主の宝の民です。
だから主の宝にふさわしく、
主の前にも、人々の前にも
生きることが求められたのです。

私たちも同じです。
私たちは今、イエス様によって
罪赦され、聖なるものとされました。

だからこそ聖なるものとして
生きることが求められているのです。
主が喜ばれることを選び取り、
主をいつも喜ぶ。

このように生きるときに、
私たちを通して主の素晴らしさが
ほめたたえられるのです。
何と素敵なことでしょうか。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様によって聖なるものとされた

恵みを忘れることがありませんように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】1月27日

悪を取り除く[申命記 13:1-18]

あなたがたの中から
 その悪い者を取り除きなさい。
         申命記 13:5

イスラエルの民を惑わし、
主に背かせるような
言動をする者たちを
取り除くように命じます。

これはとても厳しい
恐ろしい命令に思えますが、
自分たちの信仰を守り、
主に仕える上では大切なことでした。

罪・悪を放置しておくと、
知らず知らずのうちに
心が神様から
離れてしまうからです。

私たちも内にある悪・罪を
日々取り除き、
主に従って行きましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちのうちに罪・悪をとどめず、

取り除いていけますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】1月26日

主の目にかなうこと[申命記 12:20-32]

あなたは主の目にかなうことを
 行わなければならない。
         申命記 12:25

肉を食べても良い。
このように命じられるのは
民数記11章の出来事が
背景にあると考えられます。

イスラエルの民は主から
マナが与えられていたのに、
「ああ、肉が食べたい」
と不平不満を訴えるのです。

その不平を主は聞かれます。
そして彼らにあり余るほどの
うずらを与えられるのです。

それらを彼らが食べたとき、
主の怒りが彼らに向かって
燃え上がり、非常に激しい
疫病で民を打たれます。

そんなことがありながら、
モーセはここで「肉が食べたい」と
言ってよく、食べたいだけ食べろと
命じるのです。

これは神様がすべてにおいて
禁欲的に歩むことを
望んでおられないことを
現わしているのでしょう。

でも血を決して食べては
ならないと命じ、
何でも良いという
わけではありません。

いつでも身勝手な歩みでは亡く、
主の目にかなうことを行い、
主に喜ばれることを選び取り、
その上で主が与えてくださった
すべてのものを楽しむ。

これが私たちに与えられている
大きな恵みでしょう。
今日も主の目にかなうことを
選び取り、主の前に楽しみ
喜んで歩めたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの目にかなうことを

選び取ることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】1月25日

喜び楽しむ[申命記 12:1-19]

あなたがたは家族のものとともに、
 あなたがたの神、主の前で食事をし、
あなたの神、主が祝福してくださった、
 あなたがたのすべての手のわざを
喜び楽しみなさい。
           申命記 12:7

モーセは約束の地に入る
イスラエルの民に、
異邦人が仕えていた神々の
祭壇などを壊すように命じます。

それから主が住まいとして
御名を置く場所に行き、
礼拝をささげるよう、
教えるのです。

イスラエルの民は主への
ささげ物を携えて行きます。
それだけでなく、家族とともに
主の前に食事をするのです。

主が祝福してくださった
すべてのわざを喜び楽しむ。
ここに神の家族の恵みと
祝福があります。

私たちもともに主の前で
食事をし、主の祝福してくださった
すべての手のわざを
喜び楽しむように召されているのです。

詩篇133篇の記者も次のように歌います。

見よ。なんという幸せ
なんという楽しさだろう。
兄弟たちが一つになって 
ともに生きることは。

この幸せ、楽しさを味わい知り、
ともに神様を喜び賛美する
日々を感謝できたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのすべてのわざを

喜び楽しむ特権を与えてくださり、
 ありがとうございます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】1月24日

主のことばを刻む[申命記 11:18-32]

あなたがたは、
 わたしのことばを
心とたましいに刻み、
        申命記 11:18

主の定めと掟を守り行うために
主のことばを心とたましいに刻み、
それをしるしとして手に結びつけ、
額に置くようにモーセは命じます。

これは人が主のことばを
覚え続けていくためです。
主が願っておられるのは、
主の命令を確かに守ること。

主を愛し、主にすがり、
主の道を歩むこと。
これによって彼らは祝福され、
主の平安をいただくのです。

またモーセはイスラエルの前に
祝福とのろいを置くと語ります。
主の命令を行わず、特に偶像礼拝をするなら、
のろいを受けることになると。

実際、イスラエルの民は
偶像の神々に仕え、
それから完全に抜け出せず、
のろいを受けます。

でもそののろいをイエス様は
すべて負ってくださり、
のろいから救い出してくださったのです。

今、私たちは主を愛し、
主に仕える恵みが
与えられています。

それは私たちの努力や知恵に
よるのではありません。
私たちに与えられた
聖霊なる神様によるのです。

この聖霊なる神様の
導きに従って
今日も主の光の中を
歩ませていただきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたを愛し、

あなたに仕える喜びを与えてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】1月23日

主が求められる地[申命記 11:1-17]

そこは、あなたの神、
  主が求められる地で、
         申命記 11:12

モーセはイスラエルの民が
導かれる約束の地において、
エジプトのようではないと
告げるのです。

そこは主が常に潤してくださり、
主の恵みによって作物が与えられ、
食べ物に満ち足りると。

なぜなら約束の地は主が
求められる地であり、
ずっと主がその上に目を
とどめておられるから。

主はイスラエルの民に
約束の地を与えられたら、
それからはすべてを彼らに
委ねられるのではありません。

常に目をとどめてくださる。
だからこそ彼らは祝福からもれず、
主の恵みの中で歩めるのです。

しかしながらイスラエルの民が
何もせずに恵みだけを
いただくのではありません。

彼らは主を愛し、主の命令を守り、
仕えることが求められているのです。
それから逸れたときに、
彼らは祝福からもれてしまう。

私たちにも今、主は目を
とどめてくださいます。
私たちを恵もうと
待っていてくださるのです。

その愛に私たちも応え、
主を愛し、主に仕え、
主とともに歩んでいきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちに日々目をとめて

くださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。