主の民となる
ヨアシュは、祭司エホヤダが生きている間は、
主の目にかなうことを行った。
Ⅱ歴代誌24:2
エホヤダは南ユダの人々に
主の民となるという契約を結ばせ、
偶像礼拝によって汚れた国を
立て直す。
律法に従っていけにえをささげ、
主の宮をきよく保つ。
このことを民たちは心から喜ぶ。
ヨアシュもその改革を喜び、
主に従った一人であった。
彼はエホヤダという助言者が生きている間、
主の前にかなうことを行うことができた。
私たちには今、聖霊なる神という助け手が
与えられている。
この聖霊は私たちとともに常にいてくださり、
私たちが主のみこころに生きるように
導いてくださる。
父よ、あなたのみこころに従い、
喜びが増し加わるために、
聖霊を与えてくださったことを感謝します。
聖書箇所:ヨハネの福音書1章1-5節
タイトル:光は闇の中に
礼拝堂での礼拝は再開していますが、礼拝ライブ配信を引き続き行っています。9時30分から「イズミンキッズ」(子ども向け)、主日礼拝は10時半から配信しています。
→ こちらよりご参加ください。
奮い立つエホヤダ
七年目に、エホヤダは奮い立って、、、。
Ⅱ歴代誌23:1
祭司エホヤダはアハズヤの子ヨアシュを
アタルヤから隠したエホシェバの夫。
彼は主によって奮い立ち、
主がダビデと結んだ約束を思い起こさせる。
ダビデの血筋でないアタルヤが
王であることの異常さをはっきり告げ、
ヨアシュを王とする。
またレビやユダの人々もエホヤダの
ことばを聞き、それに従う。
こうして南ユダが主に立ち返り、
主への務めを果たすことができた。
この時、彼らはみな喜んで賛美する。
ひとりの人が主によって奮い立ち、
主のみこころに生きるように
人々を導いたとき、
人々の内に喜びが回復していることがわかる。
私たちも主のみこころに生きたとき、
私たちの内に喜びがあふれ、
周りの人々にも喜びが訪れる。
主によって今日も奮い立たせていただきたい。
父よ、奮い立って、あなたのみこころに
生きる者とさせてください。
アハブの罪の結果
人々は彼をエフーのもとに引いて来て殺したが、
「これは心を尽くして主を求めた
ヨシャファテの子である」と言って、彼を葬った。
Ⅱ歴代誌22:9
ヨシャファテの子ヨラムの子アハズヤは
母アタルヤの影響から主の目に悪を行う。
そのため主が油注がれたエフーによって
殺されます。
その結果、南ユダの王となったのが、
アタルヤでした。
主の目に悪を行う張本人が
南ユダのリーダーとなる。
このことは南ユダの人々にとって
大きな試練であったはずです。
でも主はダビデとの契約ゆえに、
ダビデの家を断ち滅ぼされません。
ダビデの家が南ユダの王として
続いていくために、
ヨアシュのいのちを救われるのです。
悪が入って放置しておくと、
私たちの心をどんどん主から離れさせます。
悪が私たちのリーダーとなり、
私たちを悪の道に引きずり込んでいくのです。
ですからいつでも私たちは悪を捨て、
主を求めていきたいと願います。
父よ、悪を捨て、あなたから目を離さずに
歩む者とさせてください。
常にともしびを
しかし、主はダビデと結ばれた契約のゆえに、
ダビデの家を滅ぼすことを望まれなかった。
主はダビデとその子孫に常にともしびを
与えると約束されたからである。
Ⅱ歴代誌21:7
ヨシャファテの息子ヨラムは、
アハブの娘と結婚したため、
アハブのように主を捨ててしまう。
そのため彼にも、そしてユダにも
大きな災いが起こるのである。
それでも主はダビデとの約束のゆえに
ダビデ家を滅ぼされなかった。
ともしびを灯し続けてくださり、
彼らを導かれた。
私たちもイエス様のゆえに
イエス様の十字架の贖いによって
罪に死に、神に対して生きる者とされた。
そして私たちの内にキリストの光が
常に輝いてくださり、
私たちを義の道に導いてくださる。
父よ、キリストが私たちの内に住んでくださり、
輝いてくださることを心から感謝します。
喜びと賛美の声
主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。
Ⅱ歴代誌20:21
ヨシャファテは敵に立ち向かうとき、
主に向かって歌う者、
賛美する者たちを任命する。
そして彼らが喜びと賛美の声をあげ始めると
主は敵を打ち負かされる。
主を喜び、賛美することは私たちの力。
私たちは目の前の状況に恐れ、
目を上げることができないときがある。
でも私たちが主を見上げ、
主を喜び、賛美するとき、
大きな力をいただき、
主の助けを味わうことができます。
父よ、あなたを喜び、賛美し、
あなたの力を味わう一日とさせてください。
主の救いを見よ
この戦いは、あなたがたが戦うのではない。
堅く立って、あなたがたとともに
おられる主の救いを見よ。
Ⅱ歴代誌20:17
ヨシャファテは敵が攻めてきたとき、
心を決めて主を求めた。
そして祈りの中で、主の力を讃美し、
自分たちの無力さを告白し、
主にのみ目を注ぐとする。
この祈りに主は答えてくださり、
恐れるなと励ましてくださる。
そしてこの戦いは主の戦いであり、
堅く立って彼らとともにおられる
主の救いを見よと語られる。
その神のことばを聞いたとき、
まだ勝利していなかったが
彼らは主を礼拝し、主をほめたたえる。
私たちにもみことばが与えられている。
恐れ、思い煩う私たちを主は
みことばによって励まし、強めてくださる。
そして、そのみことばが必ずなると信じるとき、
状況は変わっていなくても、
サムエルの母ハンナのように
「その顔は、もはや以前のようでは」なくなる。
父よ、私たちをあなたのみことばの
確かさに拠り頼む者とさせてください。
主のためのさばき
あなたがたがさばくのは、人のためではなく、
主のためだからだ。
この方は、さばきが行われるとき、
あなたがたとともにおられる。
Ⅱ歴代誌19:6
ヨシャファテは人々を主に立ち返らせ、
彼らのリーダーたちを任命する。
そのリーダー、さばき人たちに
彼は「さばくのは、人のためではなく、
主のため」と告げる。
主のためにさばく。
それは人々が主を恐れ、
真実と全き心をもって主に仕えるため。
自らの熱心さだけで人を
責めたりすることが多い私たち。
主はただ人をさばくことを願っておられず、
愛をもって人々を主のもとに返し、
主の愛によって生きることを求めておられる。
父よ、私たちが人を自分の思いだけで
さばくのではなく、あなたの愛と真実によって
導く者とさせてください。