【日々のみことば】3月31日

非常に高価な香油を注ぐ女性[マタイ 26:1-16]

「なぜこの人を困らせるのですか。
 わたしに良いことをしてくれました。
               マタイ 26:10

イエス様は弟子たちに
「人の子は十字架につけられるために
 引き渡されます」と告げられます。

同じ時期に祭司長たちや長老たちも
イエス様を捕えて、
殺す相談をするのです。

こんな緊迫した状況でしたが、
弟子たちはとても無知でした。
イエス様が十字架で死なれることを
全く理解していないのです。

そんな中、ある女性が非常に
高価な香油をイエス様の
頭に注ぎます。

これを見ていた弟子たちが
憤慨し、「何のために、
こんな無駄なことをするのか」と
問いかけるのです。

女性が自分の精一杯の愛を
イエス様に現わしたのに、
彼らは無駄なことと断罪します。

これは弟子たちがイエス様のことを
見ていたのではなく、
この世のことばかりを見ていた証拠です。

一方、霊的な目が開かれていた女性は、
イエス様を埋葬する備えとして
香油を注ぐのです。

けれど彼女がどれだけそのことが
分かっていたかは定かではありません。
彼女のイエス様に対する愛が、
このような結果となったのです。

同じように私たちの一つひとつの行いは
主の前に無駄なことはありません。
主イエス様を愛する愛から出ている行動を
イエス様は心から喜んで下さるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様を愛し、

イエス様に心から仕える者としてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月30日

羊かやぎか[マタイ 25:31-46]

まことに、あなたがたに言います。
 あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、
それも最も小さい者たちの
 一人にしたことは、わたしにしたのです。
               マタイ 25:40

主が再臨された時、
すべての国の人々が集められ、
羊飼いが羊とやぎに振り分けます。

羊とやぎの違いは何でしょう。
最も小さい者たちの一人に
愛をもって仕えたかどうかということ。

その最も小さい者たちは
イエス様ご自身だったのです。
ある人はすべての人をイエス様だと思い、
イエス様をもてなすようにもてなすようにと。

私自身、すぐに人を見た目で判断し、
愛をもって仕えられません。
イエス様を愛するように、
すべての人を愛せないのです。

ですからこのさばきのことばは
心に突き刺さります。
自分はやぎの方だと。

だからこそ自らをいつも顧みて、
イエス様を愛するように、
隣人を愛していくことができるよう、
祈っていくことができたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、人を見た目で判断することなく、

愛していくことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月29日

忠実なしもべ[マタイ 25:14-30]

よくやった。良い忠実なしもべだ。
 おまえはわずかな物に
忠実だったから、
 多くの物を任せよう。
主人の喜びをともに喜んでくれ。
           マタイ 25:21

有名なタラントのたとえ。
五タラント、二タラント、一タラントを
しもべに預けて、主人は旅に出る。

五タラント、二タラントを
預けられたしもべたちは、
商売をして、二倍にして
主人に返します。

それを主人は喜び、
上記のように語るのです。
主は私たちの働きを喜び、
それに報いてくださる。

このことは私たちにとって大きな喜びです。
それでも私たちは舞い上がることなく、
「私たちは取るに足りないしもべです。
 なすべきことをしただけです」と答えられたら幸いです。

一方で、一タラントを預かったしもべは
主人の金を土の中に隠します。
それは彼が主人のことを厳しい方だと
思っていたからです。

このような不健全な主人に
対する恐れが彼の行動を制限し、
彼に任されたものを十分に
発揮することができませんでした。

私たちは父なる神さまのことを
どのように思っているでしょうか。
いつも私たちを監視して、
厳しいお方だと感じているでしょうか。

それとも私たちのすべてを包み込み、
私たちをあわれんで下さるお方だと
受けとめているでしょうか。

主なる神様は私たちが
ご自分のために仕え、
多くの実を結ぶことを
ともに喜びたいと願っておられます。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたからいただいたものをもって

喜んであなたに仕えることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月28日

ともしびを整える[マタイ 25:1-13]

そこで娘たちはみな起きて、
  自分のともしびを整えた。
           マタイ 25:7

主の再臨に備えることが
如何に大切であるかを、
ともしびを持って花婿を迎える
十人の娘にたとえて語られます。

賢い娘たちはともしびの他に、
油を用意するのです。
花婿が遅れた時に、
油が切れて、ともしびが消えないためです。

愚かな娘たちは、ともしびしか
持っていません。
先のことを全く考えず、
今を生きているのです。

けれど賢い娘も、愚かな娘も
花婿が来るのがあまりにも
遅れたために寝てしまいます。

ここから目を覚ましているとは、
ただ寝ないということではなく、
先々を考えて、用意をしておくと
いうことだとわかるのです。

私たちは何を用意するのでしょうか。
それはみことばに聞き、
絶えず祈ることでしょう。
また聖霊の火を消さないこと。

そうすると突然、主の再臨が来ても、
私たちは驚くことなく、焦ることなく、
主イエス様を迎えることができるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのみことばに聞き、

絶えず祈るものとさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月27日

目を覚まして[マタイ 24:36-51]

ですから、目を覚ましていなさい
           マタイ 24:42

イエス様は主の再臨、終わりの日が
いつであるか分からないので、
目を覚ましているように命じられます。

目を覚ましているとは、
どういうことでしょう。
それは油断せず、
主のみこころに生きること。

油断して、好き勝手に生きるなら、
思いがけない時に、
終わりがやってくるのです。

ですからいつ主が再臨されても
良いように用心しながら、
備えて行くことができたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、油断せずに、

目を覚ましていられますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月25日

最後まで耐え忍ぶ[マタイ 24:1-14]

しかし、最後まで
 耐え忍ぶ者は救われます。
           マタイ 24:13

イエス様と弟子たちが宮を
出て行くとき、弟子たちは
立派な宮に感動をします。

そんな彼らにイエス様は
宮が永久に残ることはないと
告げられるのです。

それに対して弟子たちは、
いつそのようなことが起こるのか。
イエス様が来られて、世が終わるときの
しるしは何かと尋ねます。

偽キリストが現れて惑わすこと。
戦争や戦争の噂をきくこと。
そうなってもうろたえるな。
それは終わりではないと言われるのです。

内紛、戦い、飢饉、地震が起こる。
多くの人がつまずき、裏切り、
憎しみ合う。
どんどん人々の愛が冷めていく。

まさに今の世界で起きていること。
私たちの周りでも例外ではないのです。
このようなことが起こると、
私たちは「なぜ?」と問いたくなります。

でもそのように疑問を持ったり、
恐れたり、うろたえるのではなく、
イエス様は耐え忍ぶように
教えてくださるのです。

耐え忍ぶとは、
ただ我慢することではないでしょう。
イエス様の救いを待ち望み、
救いの確かさを握りしめる。

そうするとき私たちは
どんな嵐の中でも
主とともにある平和が
もたらせるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、嵐の中でうろたえることなく、

耐え忍ぶことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月24日

翼の下に[マタイ 23:29-39]

わたしは何度、めんどりがひなを
 翼の下に集めるように、
お前の子らを集めようとしたことか。
            マタイ 23:37

イエス様は律法学者、パリサイ人たちを
痛烈に非難され、彼らの悪を
明らかにされました。

これは彼らをおとしめるためではなく、
彼らが悔い改めて生きることを
願っておられたからです。

でもイスラエル人は旧約時代から
ずっと主なる神様の御声に心を閉ざし、
主なる神様の愛を受け入れませんでした。

そのことをイエス様は37節以降で
嘆かれるのです。
主なる神様はイスラエルの民を
引き戻すために何度も預言者を遣わされます。

御翼の下に彼らを集めようとされたのです。
しかしそれを彼らは望みませんでした。
なぜでしょうか。
それは彼らの心が頑なになっていたからです。

心が頑なになっているとき、
私たちも主の御翼の下に
集められることを拒絶しやすいのです。

どんなに大変でも、傷ついていても、
その事実を認めず、
自分で生きようとしてしまいます。

そんな私たちを主なる神様は諦めず
招き続けてくださるのです。
今日、素直に父なる神様の招きに
応答しようではありませんか。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの翼の下に集い、

あなたの平安をいただけますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月23日

白く塗った墓[マタイ 23:13-28]

わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。
 おまえたちは白く塗った墓のようなものだ。

               マタイ 23:12

イエス様の厳しいことばが
パリサイ人、律法学者たちに
告げられます。

彼らは自分たちが主の前に正しく、
主に喜ばれる者たちだと
自認していたのです。

でも彼らは彼らの偽善を
はっきりと指摘されます。
白く塗った墓と言われた彼らは
侮辱されたと感じたでしょう。

でも実際、彼らの心は偽善と
不法でいっぱいでした。
神様から心が離れた状態で、
律法だけを守っていても
何の意味もないのです。

私たちの心はどうでしょうか。
白く塗った墓でしょうか。
確かに人に見せられない思いは
たくさんあります。

偽善、不法でいっぱいです。
そんな内側にイエス様は
いつも光を当ててくださるのです。

そのように光を当てられ、
明らかにされると、
私たちはもうそれらを隠す
必要がなくなります。

主の前にすべてを告白し、
悔い改めるときに、
私たちは白く塗った墓から
抜け出すことができるのです。

今日も心をイエス様の光で
照らしていただき、
悔い改めてきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様の光でいつも照らしてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。