【日々のみことば】4月30日

いのちの限り[詩篇 104:19-35]

私はいのちの限り
 主に歌い
生きるかぎり
 私の神をほめ歌います。
        詩篇 104:33

神様は適当に
思いつくままに
この世界を造られ、
みわざをなされている
わけではありません。

主は知恵をもって
それらを造られ、
地は主のもので
満ちているのです。

それらを覚える中で、
詩篇の記者は主を賛美します。
いのちの限り、主を歌う。
生きる限り 主をほめ歌う。

さらに34節で自分の心の思いが
みこころにかないますようにと
祈ります。

もし自分の心を主が探られたら、
どうでしょうか。
みこころにかなう思いで
満たされているでしょうか。

答えはNoですね。
知られたくない思い、
主のみこころに反する考えが
心に満ちているのです。

では詩篇の記者はどのような
気持ちで私の心の思いが
みこころにかないますように
と祈っているのでしょうか。

それは主の前に誠実で
ありたいという願いからです。
主を喜びとする彼は
主のみこころに生きたいと
心から望んでいました。

私たちも主を喜び、
主の前に誠実に生きたいと
願う者であれたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたを喜び、誠実に歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月29日

人の心を支える[詩篇 104:1-18]

ぶどう酒は人の心を喜ばせ
 パンは人の心を支えます。
          詩篇 104:15

主なる神様は偉大なお方。
栄光に満ちておられ、
すべてを造られ、
今も支配しておられるお方。

そんな大いなるお方が
私たちの心を喜ばせ、
私たちの心を支えるために
私たちの必要を満たしてくださるのです。

また鳥が大木に巣を作り、
高い山、岩が動物の
隠れ場になるように
主は私たちのための住まいとなり、
私たちの隠れ場となってくださいます。

このような主の支えと
主の守りによって私たちは
日々生かされているのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、日々の支えと守りを心から感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月27日

主が良くしてくださったこと[詩篇 103:1-14]

主が良くしてくださったことを
 何一つ忘れるな。
           詩篇 103:2

主を賛美する。
主をほめたたえる。
このことを無意識にするのは
難しいですね。

自己中心になりやすい
私たちは主を賛美するよりも
自分を誇ってしまうのです。

そんな私たちに詩篇の記者は
主が良くしてくださったことを
何一つ忘れるなと呼びかけます。

主が良くしてくださったこと、
日々主は私たちに良いことを
してくださり、私たちの一生を
良いもので満ち足らせてくださるのです。

このことを忘れず、
主に感謝するとき、
私たちのうちから
喜びがわき上がってきます。

私たちの心から賛美が
あふれてくるのです。
その喜び、賛美は
私たちの生きる力となります。

今日も主にしてくださる
良いことを一つひとつ覚え、
主に感謝し、
主をほめたたえていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのしてくださった良いことを

何一つ忘れることがありませんように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月26日

幸いなイスラエル[申命記 33:18-34:12]

幸いなイスラエルよ、
 だれがあなたのような、
主に救われた民であろうか。
           申命記 33:29

モーセはイスラエルの
一つひとつの部族に
ふさわしい祝福を与えた後、
イスラエル全体を祝福します。

イスラエルに敵対するものを
主は追い払われることで、
彼らは安らかに住まい、
恵みに満ちあふれる。

だからイスラエルは幸い。
イスラエルほど、主が愛され
救われ、助けられた民は
他にはいないのです。

そして34章でモーセの死が
記されています。
主に選ばれ、荒野で40年
イスラエルを導いたモーセ。

彼は死ぬ直前まで、
目はかすまず、
気力は衰えていなかった。

でも彼の働きは終わり、
ヨシュアに引き継がれるのです。
私たちもやがて委ねられている
働きを終えるときがきます。

そのとき続く者たちを祝福し、
”幸いなあなたがた”と
彼らを励まし、主の助けを
祈るものとなれたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちもイスラエルの民のように

幸いなものとされていることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月25日

モーセの祝福[申命記 33:1-17]

主に愛されている者。
 彼は安らかに主のそばに住まい、
主はいつも彼をかばう。
 彼は主の背中に負われる。
           申命記 33:12

モーセは召される直前、
イスラエルの部族を祝福します。
特に今回、印象に残ったのは、
ベニヤミンへの祝福のことばです。

彼は主に愛されている者。
安らかに主のそばに住まう。
主がいつもかばってくださり、
主が彼を背負われる。

主に愛されている実感。
主がどこにおいても
かばってくださる恵み。

それをすぐに忘れて
しまう私がいます。
攻撃されても、
ののしられても
主はともにおられる。

だからこそ私たちには
安らぎが与えられるのです。
不安なとき、恐れに満たされたとき、
主のそばにいきましょう。

主に目を向けましょう。
主の愛は今日も私たちに注がれ、
私たちを愛で満たしてくださいます。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのもとで

安らげることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月24日

御民をかばう[申命記 32:34-52]

主は御民をかばい、
 主のしもべらをあわれまれる。
         申命記 32:36

イスラエルの民の罪によって
さばかれても、主はなおも
御民をかばい、
あわれんでくださいます。

他の神々に仕えていた彼らに
あなたがたを立たせ、
助け、隠れ場となられるのは
主ご自身だけだと言われます。

主だけが唯一の神様です。
主は殺し、また生かす。
主は傷つけ、また癒やす。
主の手から救い出すことはできない。

すべての主権は主の御手の
なかにあるのです。
そして主は私たちを生かし、
癒やしてくださいます。

それなのに私たちは二心になり、
主だけに信頼することができない。
主のもとに隠れ場を求めない。
だから苦しいのに、それに気づかない。

主に頼る恵みを求め、
主のもとに隠れ場を求める
幸いに目を留め
心の目を開いていただきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたが私たちの唯一の隠れ場です。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月23日

神を忘れる[申命記 32:15-33]

あなたは自分を生んだ
 岩をおろそかにし、
産みの苦しみをした
 神を忘れてしまった。
        申命記 32:18

イスラエルの民の未来に
ついて語られています。
彼らは神を捨て、
救いの岩を軽んじる。

そして神様を忘れ、
他の神々に仕えてしまう。
それによって主のねたみを
引き起こすのです。

その結果、外では
剣が子を失わせ、
内には恐怖があると。

主は彼らを一掃し、
彼らの記憶を消して
しまおうと思ったとあります。

彼らの不信仰に主が
耐えられなくなったからでしょう。
でも主の敵に侮りの心を
起こさせないために、
滅ぼし尽くされないのです。

私たちはこのように主を捨て
主を軽んじ、主を忘れること
などないと思います。

でも気づかないうちに主に
敵対していることがあるのです。
それに対して主は怒られますが、
忍耐してくださいます。

それは私たちのためというより
主に敵対する者たちが
主を馬鹿にして、主に勝っていると
誇らないためなのです。

主が侮られず、
主がほめたたえられるように
主を愛し、主に仕えていけますように。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたを知らずに

否んでいる私たちを赦してください。
 そして私たちがあなたを愛し、
あなたの栄光を表せますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月22日

瞳のように守られた[申命記 31:30-32:14]

主は荒野の地で、
 荒涼とした荒れ地で
彼を見つけ、これを抱き、
 世話をし、
ご自分の瞳のように守られた。
        申命記 32:10

モーセは主の素晴らしさを
賛美します。
一方でイスラエルは
自らの汚れで主との
交わりを損ないます。

それでも主は荒野で
イスラエルを見つけ、
彼らを抱き、世話をし
ご自分の瞳のように
守られたのです。

主はいつも彼らを守り、
彼らを大切にされます。
そして彼らを導かれるのです。

同じように主は私たちを
いつも気にかけてくださり、
私たちを大切に思い、
私たちを守られます。

これが主の愛であり、
あわれみです。
私たちはすぐに主との
交わりを損なってしまいます。

よこしまで、
心が曲がっているのです。
そんな私たちの心を真っ直ぐにし
ご自分の交わりの中に
私たちを入れてくださいます。

そして「わたしの愛する子よ」と
呼びかけ、私たちを御翼の陰に
かくまってくださるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたが私たちを見つけ、

抱き、世話をし、ご自分の瞳のように
 守ってくださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。