【日々のみことば】1月31日

収穫の主

 収穫は多いが、働き手が少ない。
  だから、収穫の主に、
 ご自分の収穫のために働き手を
  送ってくださるように祈りなさい。
            ルカの福音書10:2

収穫は多い。そう思えないこともあります。
でもイエス様は確かに収穫は多いと。
だから働き手を送ってくださるように祈れと。
働き手って、牧師とか、宣教師とか、
特別な使命を与えられている人だけでは
ないのかもしれません。

クリスチャン、すべてが働き手。
職場、家庭、地域、学校などなど、
私たちはそれぞれのところに
主によって送り出されているのです。

そして職場、家庭、地域、学校には、
私たちと同じ平安の子が主によって
備えられています。
誰だかすぐには分からないかもしれませんが、
福音を語り続ける中で分かるのです。

今日も私たちが福音を語るのを、
主を証しするのを、平安の子たちが
待っています。

父よ、 平安の子として召された私たちを、
 収穫の働き手として用いてください。

【日々のみことば】1月30日

イエス様に従う

 「鋤を手にかけてからうしろを見る者はだれも、
   神の国にふさわしくありません。」
              ルカの福音書9:62

イエス様が十字架にかかってくださるために
エルサレムに向かう途中のことです。
サマリア人からは拒絶されます。
一方で、3人の人に出会うのです。

一人はイエス様に自ら従うと申し出ます。
その彼にイエス様に従う道の厳しさを
告げられるのです。

二人目はイエス様に招かれています。
でも彼はすぐに従わず、
「まず父を葬らせてくれ」と
願うのです。

三人目は一人目と同様、自らイエス様に
従うと申し出ます。
でも「まず家の者たちに別れを告げさせてくれ」と
と願うのです。

この三人がこの後、どうなったのか
書かれていません。
それは主が私たちに「あなたはどのように応答するか」と
問いかけておられるからでしょう。

そして「まず」ではなく、「すぐに」
主に従うことができるよう、
祈っていけたら幸いです。

父よ、 あなたを第一として生きる者とさせてください

【日々のみことば】1月29日

だれが一番偉いか

 だれでも、このような子どもを、
  わたしの名のゆえに受け入れる人は、
 わたしを受け入れるのです。
          ルカの福音書9:48

イエス様の様々な奇跡や栄光の姿を
見てきた弟子たち。
受難の予告を何度も
聞いてきた弟子たち。

けれど彼らの関心事は、
だれが一番偉いかということでした。
誰かの先に立ちたいと
彼らは考えていたのです。

そんな彼らに対してイエス様は
子どもをご自分の前に立たせます。
そして「子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる」
ことを求められます。

小さな取るに足りない子どもも、
イエス様を迎えるように受け入れる時、
イエス様は何よりも喜んでくださるのです。
そして私たちが低く低くなることを
望んでおられます。

今日出会う一人ひとりを
イエス様を迎えるように
受け入れることができたら幸いです。

父よ、今日もあなたの名のゆえに
 すべての人を受け入れていくことができますように。

【日々のみことば】1月28日

光り輝く姿

 栄光のうちに現れ、イエスがエルサレムで
  遂げようとしておられる最期について、
 話していたのであった。
             ルカの福音書9:31

栄光にみちたイエス様の姿。
イエス様が神様であることが
弟子たちの前に明らかにされます。
そしてモーセとエリヤが現れるのです。

モーセは律法を主なる神様から
与えられました。
エリヤは預言者です。
彼らはイエス様とイエス様がエルサレムで
遂げようとしておられる最期について
話し合っていたのです。

これはイエス様の十字架の死と復活が、
律法と預言の成就であることを
意味しているのでしょう。

父なる神様は愛する大切なひとり子
イエス様を十字架につけて
死に渡されることを通して
私たちを救ってくださいました。

その父なる神様が望んでおられることは、
イエス様のことばに聞くことなのです。

父よ、主イエス様の救いに預かった者として、
 みことばに聞き続けていけるよう助けてください。

【日々のみことば】1月27日

受難と復活の予告

 だれでもわたしについて来たいと思うなら、
  自分を捨て、日々自分の十字架を負って、
 わたしに従って来なさい。
             ルカの福音書9:23

ペテロがイエス様のことを
「神のキリストです」と告白した時から
イエス様は受難と復活の予告を
弟子たちに語り始めます。

この意味はイエス様が復活され、
ペンテコステの日に聖霊が下るまで、
はっきりと彼らには分かりませんでした。
けれどイエス様は、この時から
繰り返し語られるのです。

またイエス様はイエス様についていく
心得を教えておられます。
それは自分を捨て、日々自分の十字架を負うこと。
これらは簡単ではありません。

自分中心で、自分に与えられている使命を
積極的に負おうとしないからです。
なぜこんな難しい、不可能に思えることを
イエス様は命じられるのでしょうか。

それはキリスト中心に、父なる神様に与えられた使命に
生きる時、私たちは生き生きと生きられるからです。
主はいつでも私たちが生きた信仰に生きることを
望んでおられるのです。

父よ、生き生きとした信仰によって
  歩むことができますように。

【日々のみことば】1月26日

喜んで迎えられるイエス様

 ところが、それを知った群衆が
  イエスの後について来た。
 イエスは彼らを喜んで迎え、
  神の国のことを話し、また、
 癒やしを必要とする人たちを治された。
           ルカの福音書9:11

イエス様から権威をいただき、
遣わされた弟子たち。
彼らは大きな働きをして、
イエス様のもとに帰ってきます。

イエス様は彼らを休ませるために、
ベツサイダに退かれます。
しかし群衆がイエス様を求めて、
イエス様のあとについてくるのです。

その彼らをイエス様は喜んで迎えられます。
それだけでなく、彼らの必要を知り、
彼らに食べるものを与えるように、
弟子たちに命じられるのです。

けれど弟子たちは大勢の群衆を
養うことは不可能だと思います。
今まで主イエス様の力をいただき、
大きな働きをなすことができたのに、
急に現実的になるのです。

私たちも主の大きなみわざを
味わったすぐ後に、
主の力を疑ったり、
主に信頼できないことがあります。

それでもなお主は私たちに恵みを
注いでくださり、
ご自身のみわざを私たちを通して、
行ってくださるのです。

父よ、不信仰な私たちをあわれんでください。
  あなたに期待していく者とさせてください。

【日々のみことば】1月25日

ただ信じる

 これを聞いて、イエスは答えられた。
 「恐れないで、ただ信じなさい。
  そうすれば、娘は救われます」
              ルカの福音書8:50

12年間、病に苦しむ女性と、
死にかけている12歳の少女。
イエス様は二人とも癒やされ、
救われます。

イエス様を信じ続ける幸いを
この出来事を通して
味わうことができるのです。
ただ信じ続けることは、
簡単なようでむずかしい。

そんな私たちに今日も、
「恐れないで、ただ信じなさい」と
主は語ってくださいます。

父よ、私たちがあなたをただ信じ、
  頼る者とさせてください。