【日々のみことば】3月28日

ユダヤ人の王[マルコ 15:1-15]

ピラトはイエスに尋ねた。
 「あなたはユダヤ人の王なのか」
           マルコ 15:2

ピラトはイエス様が何も
悪いことをしていないと
分かっていました。

でも彼らは民衆を恐れて
イエス様を十字架につけるために
引き渡してしまうのです。

一方、イエス様はご自分に
不利な証言を語られても、
何も答えられません。

唯一答えられたのは、
ピラトが「あなたはユダヤ人の
王なのか」と質問したことだけです。

イエス様はユダヤ人の真の王として
この世に遣わされました。
この王をエルサレム入城の際
人々は喜んで迎えたのです。

しかし彼らは、この時、真の王を
十字架につけるように要求します。
イエス様はご自分のところに
来られたのに、ご自分の民は
イエス様を受け入れなかったのです。

それに対してイエス様はなおも
沈黙されます。彼らを説得したり、
彼らにさばきのことばを語らない。

この主の忍耐が私たちの救い。
主は今もなお私たちに対して
忍耐され、私たちが悔い改めて
生きるのを待っていてくださる。

だからこそ私たちも主の招きに
素直に応じて、悔い改めて
生きることができたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの忍耐と救いを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月27日

泣き崩れるペテロ[マルコ 14:53-72]

イエスが自分に
 話されたことを
思い出した。
 そして彼は泣き崩れた。
       マルコ 14:72

イエス様が捕えられたとき、
みんなイエス様を捨てて
逃げてしまいます。

けれどペテロだけは
遠くからイエス様の後に
ついていくのです。

イエス様がこれから
どうなるのか、
気になっていたのでしょう。

イエス様が裁判を
受けている間、
ペテロは役人たちと
一緒に火に当たっています。

闇の中で、光がペテロに当たる。
その光に照らされたペテロを見て、
一人の女性が彼に言うのです。

「あなたも、ナザレ人イエスと
 一緒にいましたね」

これを聞いて、ペテロは
即座に否定し、
彼女から逃げるのです。

でも彼女は周りの人たちに
「この人はあの人の仲間です」と
言い始めます。

またもペテロは否定するのです。
彼は自分を守ろうと必死。
さらに他の人がペテロに
「確かに、あなたはあの人たちの
 仲間だ」と言います。

それに対して彼は嘘なら
呪われてもよいと誓ってしまう。
どれだけペテロが追い詰められて
いたかが分かります。

このように誓ったあとに、
鶏がもう一度鳴くのです。
それを聞いて、ペテロは
我に返ります。

そして泣き崩れるのです。
ペテロは自分の弱さ、
愚かさに打ちのめされます。

私たちも自分の意志、
熱意によってイエス様について
行けるわけではありません。

なぜなら私たちの意志、熱意は
外からの攻撃にもろいからです。
でもそんな弱さを主は
知っていてくださるのです。

それだけでなく私たちのために
祈っていてくださいます。
この主の祈りによって
私たちは日々立つことができるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、弱い私たちのために

イエス様が日々とりなしてくださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月23日

過越の食事[マルコ 14:12-21]

あなたがたのうちの一人で、
 わたしと一緒に食事を
している者が、
 わたしを裏切ります。
       マルコ 14:18

イエス様は弟子たちと過越の
食事をするために、
場所を備えておられました。
彼らはそこで過越の準備をします。

その席上でイエス様は、
弟子たちにご自分を裏切る者が
ここにいると告げるのです。
彼らにとって寝耳に水の話し。

弟子たちは次々に
私ではないでしょうと
イエス様に言い始めるのです。

この時、イスカリオテのユダは
どんな心境だったでしょうか。
人の子を裏切る人はわざわいだ。
そんな人は生まれて来ない方がよかった。

このようにイエス様が言われても、
ユダは自らの罪を認めず、
悔い改められません。
彼の心の目は閉ざされていたからです。

罪に自らを委ねてしまうなら、
どんなに悔い改めるように語られても、
悔い改めることはできません。

だからこそ私たちはいつも罪を捨て、
イエス様に従っていくように
招かれているのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、罪を捨て、

イエス様に従っていけますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月22日

自分にできること[マルコ 14:1-11]

彼女は、自分にできる
 ことをしたのです。
         マルコ 14:8

イエス様の十字架が
迫るなか、ある女性が
イエス様の頭に高価な
ナルドの香油を注ぎます。

それを見た何人かの人が
何でこんなもったいないことを
したのかと怒るのです。

彼女は自分の精一杯、
自分にできることをしました。
それをイエス様は喜ばれたのです。

私たちも自分にできる最善を
主に献げることができたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたに自分のできる最善を

献げることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月20日

主の再臨[マルコ 13:14-27]

そのとき人々は、
 人の子が雲の内に、
偉大な力と栄光とともに
 来るのを見ます。
         マルコ 13:26

主の再臨、終わりの日の前に
起こることをイエス様は
預言されてます。

今までに経験したことの
ないような苦難が起こると。
それが長く続いたら、
誰も救われないと。

けれど主のあわれみによって
主が選んでくださった者たちの
ために、主は日数を
少なくしてくださると言われます。

ただ人をさばき、滅ぼすのが
目的はありません。
主は誰一人滅びることを
望んでおられないからです。

苦しみの中で悔い改め、
主に寄りすがる者たちを
あわれみ、救ってくださる。

その後で、キリストが
主の栄光の内に再臨されます。
それはすべての苦しみから
解放されるときでしょう。

私たちはこの世にあって
苦難があります。
でも私たちはキリストにあって
打ち勝つ力が与えられているのです。

このみことばの確かに
拠り頼み、今日も主の再臨を
待ち望みつつ、歩んでいきましょう。
マラナタ!!

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、キリストの再臨を待ち望みつつ、

この世の苦難に耐え忍ぶ力を与えてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月19日

最後まで耐え忍ぶ[マルコ 13:1-13]

しかし、最後まで
 耐え忍ぶ人は救われます。
         マルコ 13:13

神殿を立派だと感動する
弟子たちにイエス様は
神殿は崩壊すると
預言されるのです。

それを聞いて、神殿が崩壊し
すべての終わりが近づくときの
しるしは何かを質問します。

偽キリストが現れ、
戦争や戦争の噂を聞く。
地震、飢饉が起こる。

でもこれらは産みの
苦しみの始めにすぎない。
クリスチャンは迫害され、
すべての人に憎まれる。

とても苦しい、悲惨なことが
たくさん預言されています。
未来に対して、少しネガティブ
になりそうです。

そして続く13節でイエス様は、
最後まで耐え忍ぶ人は
救われると言われるのです。

しかし耐え忍ぶことが
できるだろかと思います。
そんな強い信仰は自分には
ないような気がするのです。

けれど耐え忍ぶことが
できるのは私たちの
強い意志ではなく、
主から来るものでしょう。

私たちはただ主に信頼し、
どんなときにも変わらず、
主とともに歩むこと。

終わりの日をただ
恐れるのではなく、
耐え忍ぶことが
できるよう祈りましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、最後まで耐え忍ぶ信仰を与えてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月18日

レプタ銅貨二枚[マルコ 12:35-44]

この人は乏しい中から、
 持っているすべてを、
生きる手立てのすべてを
 投げ入れたのですから。」
          マルコ 12:44

私たちの一番の関心は
何でしょうか。
律法学者たちの関心は、
人々から敬われ、
信仰深くみられること。

お金持ちも自分たちが
どれだけ多くのものを
献げているかを誇っていました。

でもイエス様が目に
留められたのは、
貧しいやもめだったのです。

彼女は自分の生きる手立てを
すべて主に献げます。
この行為は誰にも
注目されませんでした。

彼女自身、そのことを誰かに
知らせようというつもりは
なかったでしょう。

ただ彼女は主に信頼し、
すべてを主に委ねた。
その信仰を主は
見てくださるのです。

この後、彼女がどうなったか
何も書かれていません。
でも全面的に主に信頼した彼女を
主は決して見捨てられなかったでしょう。

私たちが彼女を見倣うことは
難しいかもしれません。
しかし人の目よりも、
主の目にかなうことを
選び取っていくことは
できるのではないでしょうか。

自分を誇り、
人々から敬われることを
第一にするのではなく、
主を誇るものとさせていただきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたを誇り、

あなたの目にかなうことを
 選び取ることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。