【日々のみことば】3月7日

塩気を保つ[マルコ 9:38-50]

あなたがたは自分自身の
 うちに塩気を保ち、
互いに平和に過ごしなさい。」
           マルコ 9:50

塩があることで食べ物に
アクセントがついて、
美味しく食べられます。

ここでの火によって
塩気がつけられるとは、
聖霊の働きによって
生きるということでしょう。

聖霊の火を消すことなく、
聖霊の導きに従うなら、
私たちはどんどんキリスト者として、
塩味の効いた者となります。

たとえ上に立とうとしなくても、
人々に影響を与える人になるのです。
そして、無言の振る舞いによって
人を変えることができます。

逆に聖霊を無視して、
この世と調子を合わせるなら、
私たちは塩けを無くした
キリスト者となってしまうのです。

そのような人は世に影響を与えず、
役に立たないものとなってしまう。
だからこそ「塩気を保ち」と
命じられるのです。

今日も遣わされる場所場所にあって
塩気を保ち、互いに平和に過ごすことが
できるようお祈りしていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたが与えてくださった

御霊の火を消すことがありませんように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月6日

誰が一番偉いか[マルコ 9:30-37]

「だれでも、このような
 子どもたちの一人を、
 わたしの名のゆえに
 受け入れる人は、
 わたしを受け入れるのです。
           マルコ 9:37

イエス様が苦しまれ、
十字架にかかって死なれ、
三日目によみがえると言われても、
それを悟れない弟子たち。

彼らの関心事は、
イエス様が完成される王国で
誰がイエス様の次に権力を持つか、
偉いかということでした。

結局、自分のことしか
考えられない弟子たち。
私たちも自分のこと、
自分の将来のことだけを
考えてしまうことがあります。

あの人より立派、
あの人よりも信仰深い、
あの人よりも幸せ。

そんな自分のことばかり、
自分を高めようとする
弟子たちにイエス様は言われます。

このような子どもたちの一人を
イエス様の名のゆえに受け入れる人は、
イエス様を受け入れるのだと。

子どもたちをイエス様の
名のゆえに受け入れるとは、
どういうことでしょうか。

それは子どもたちを
イエス様の心で愛すると
いうことでしょう。

人間的な思いでは
子どもを受け入れることは
難しいことがあります。

でもイエス様が子どもを
そして周りの人を愛する愛で
私たちも彼らを愛するなら、
その愛をイエス様は喜ばれる。

このことがイエス様を愛し、
父なる神様を愛することになる。
今日も、出会う人たち一人ひとりを
イエス様の愛で愛せますように。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの愛で、あなたの愛する

一人ひとりを愛する心をください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月5日

信じる者には[マルコ 9:14-29]

「できらなら、と言うのですか。
 信じる者には、
 どんなことでもできるのです。」
           マルコ 9:23

弟子たちは子どもから
悪霊を追い出すことが
できませんでした。

このため子どもの父親は
イエス様への信頼が
薄れてしまうのです。

「おできになるなら、
 私たちをあわれんで
 お助けください」と。

私たちも自分の祈り・
願いがかなえられないとき、
主への信頼が薄れて
しまうことがあります。

そんな私たちに言われるのです。
「できるなら、と言うのか。
 信じる者には、
 どんなことでもできる」

私たちはどのように
答えるでしょうか。
私たちは父親のように
主に叫ぶしかないのです。

「信じます。
 不信仰な私をお助けください」

どこまでも主を信じ、信頼し、
主のあわれみにすがる。
そうしたら主は私たちを
あわれみ、みわざをなしてくださる。

主が待っておられるのは、
私たちがどんな状況でも
ご自分に信頼して生きること。

でも私たちは不信仰。
それを認めて、主のもとに
日々帰って行きましょう。
主は喜んで迎えてくださいます。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたを信じます。

不信仰な私を助けてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月4日

御姿が変わるイエス様[マルコ 9:2-13]

すると、彼らの目の前で
  その御姿が変わった。
          マルコ 9:2

ペテロがイエス様を
「あなたはキリストです」と告白し、
イエス様がご自分の苦しみ、
死と復活を預言されてから六日後のこと。

今度は3人の弟子たちを連れて
山に登られます。
そこでイエス様の姿は
変わるのです。

栄光を帯び、光り輝きます。
イエス様は弟子たちに
救い主としてのご自分の姿を
明らかにされたのでしょう。

それだけでなくエリヤとモーセが
現れて、イエス様と話をされます。
それを見て、ペテロは何を言ったら
良いか分からなくなるのです。

ですから彼らのために
幕屋を造りますと言います。
それに対する応答はなく、
雲がわき起こり、声がするのです。

「これはわたしの愛する子。
 彼の言うことを聞け」

すべてが弟子たちにとって
驚きであり、恐怖でした。
自分たちの予想外のことが
たくさん起こっているからです。

このことで3人の弟子たちは
イエス様こそ真の神様であり、
真の救い主であると思ったことでしょう。

でもイエス様は彼らにこのことを
言わないように口止めします。
イエス様が死からよみがえるまでは。

この意味が彼らには
よく分からないのです。
だれもイエス様が実際に
死んでよみがえるまで、
イエス様がよみがえることを
信じることができませんでした。

いいえ、イエス様がよみがえった後も
多くの弟子たちはイエス様のよみがえりを
信じられなかったのです。

でも、もしイエス様が
死んで終わりだったら
私たちの信仰は空しい。
何の希望もなくなります。

しかしイエス様は死んで
三日目によみがえられ、
今も生きておられるのです。

ですから私たちは死を
恐れることはありません。
主イエス様がよみがえられたように、
私たちもよみがえることができるからです。

この素晴らしい福音に生きるなら、
私たちは絶望することなく、
歩むことができるでしょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様がよみがえられ、

今も生きておられることを心から信じます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月2日

パン種[マルコ 8:14-26]

「パリサイ人のパン種と
 ヘロデのパン種には、
 くれぐれも気をつけなさい。」
          マルコ 8:15

弟子たちがパンを
持ってくるのを忘れる。
このことでお互いに
言い争っていたのかも知れません。

そのときイエス様は
パリサイ人とヘロデのパン種に
くれぐれも気をつけるように命じます。

でも弟子たちはイエス様が
何を言っているのか
良く分からないのです。

パンを忘れたことを
責めておられるように
感じます。

イエス様が言われたパリサイ人、
ヘロデのパン種とは、
何のことでしょうか。
それは彼らの教えのこと。

彼らは主のことばではなく、
自分たちの考え・教えを
大切にしていたのです。

だからこそ彼らはイエス様に反発し、
イエス様を殺そうとします。
私たちの心の中はどうでしょうか。
どんなパン種があるでしょうか。

いのちのことばではなく、
この世の教え、自分の考えが
心に満ちているなら、
いつまでも主のみこころを
悟ることができません。

ですから私たちの内にある
みことば以外のものを捨て、
主のことばで私たちのうちを
満たしていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、この世の教え、自分の考えではなく、

あなたのみことばに生かしてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月1日

しるしを求める[マルコ 8:1-13]

彼らは天からのしるしを求め、
 イエスを試みようとしたのである。
            マルコ 8:11

今日から3月に入ります。
今、私たちはレント、
受難節を過ごしています。

少し前に5つのパンと
2匹の魚で、5000人以上の
人たちが満足した奇跡を
経験した弟子たち。

ところが再び同じような
状況になったときに
またしてもイエス様の
力に信頼できません。

それでもイエス様は
7つのパンで4000人以上の
人たちを満足させられ、
7つのかごを残されるのです。

それからイエス様たちは
ダルマヌタ地方に行かれますが、
そこでパリサイ人たちは
天からのしるしを求めます。

そんな彼らにイエス様は
「今の時代には、どんな
 しるしも与えられません」
とはっきり語られるのです。

それは彼らがいくら
しるしを見ても、
心が頑なにされているため
何の意味もないからです。

いや神の国が来ている
しるしをイエス様は
たくさんされていました。
でも彼らは気づかない。

それは彼らの心の目が
閉ざされていたからです。
私たちの心の目は今、
開いているでしょうか。

神様が何もしてくれないと
嘆いていないでしょうか。
主はいつも私たちに恵みを
備えてくださっています。

その一つ一つの恵みに
感謝しつつ歩むことができたら
幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちの心の目を日々開き、

あなたの恵みに感謝する者となれますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。