血はいのちそのもの[レビ記 17:1-16]
すべての肉のいのちは、
その血がいのちそのものである。
レビ記17:14
動物の血によって、
人の罪の宥めを行います。
けれど血を食べることは、
禁じられているのです。
それはすべての肉のいのちは、
その血がいのちそのものだからです。
動物のいのちによって、
罪に死んでいた人は生きるのです。
私たちもイエス様の十字架の
血によって罪からきよめられました。
それだけでなくイエス様の血、
イエス様のいのちそのものを
飲むことによって私たちは
生きる者となったのです。
これを覚え続けるために、
イエス様は聖餐を
定めてくださいました。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主なる神様、イエス様の血を飲むことで、
生きる者とされていることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
全き休み[レビ記 16:23-34]
これがあなたがたの全き
休みのための安息日であり、
あなたがたは自らを戒める。
これは永遠の掟である。
レビ記16:31
ここまで、きよめ・宥めのために
行うべき様々な規定を
主がモーセを通して
教えてくださいました。
けれど第七の月の十日は、
主がイスラエルをきよめてくださるために
全き休みを取るように言われるのです。
何かをするのではなく、何もしない。
それによって彼らの罪が
主の前ですべて罪からきよくなるのです。
これはとても興味深いですね。
最終的に私たちが罪から
きよめられるのは、
私たちのわざではなく、
主のわざであるということでしょう。
このことを覚え、
ただ黙って主のみわざを
待ち望む一日でありますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主なる神様、ただあなたの恵みによって
あなたの救いがなされたことを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
すべての咎を[レビ記 16:11-22]
雄やぎは彼らのすべての咎を負って、
不毛の地へ行く。
その人は雄やぎを荒野に追いやる。
レビ記16:22
アロンは彼とその家族、
またイスラエルのために
宥めを行います。
そしてイスラエルを
汚れからきよめ、
聖別するのです。
その後、生きている雄やぎの
頭に両手を置き、
すべての咎・背き・罪を告白し、
それらを雄やぎに負わせます。
そして雄やぎを荒野に
追いやるのです。
これはすべての罪を
共同体から遠ざけるということでしょう。
本来なら自分たちが負うべき、
罪・咎の責めを雄やぎが
すべて負ったのです。
私たちの罪・咎も
イエス様がすべて負ってくださいました。
しかしイエス様は荒野に
追いやられたわけではありません。
不毛の者であった私たちに
いのちを与えてくださったのです。
私たちを罪から遠ざけ、
生かしてくださっています。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主なる神様、イエス様が私たちの罪・咎を
負ってくださり、私たちを罪から遠ざけ、
生かしてくださっていることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
聖所に入るために[レビ記 16:1-10]
『宥めの蓋』の上で、
わたしは雲の中に
現れるからである。
レビ記16:2
アロンの二人の息子は
好き勝手な礼拝をささげ、
主に打たれ、死にます。
そうならないために、
主なる神様は聖所に
入るためにすべきことを
彼らに教えられるのです。
自らの身を水で洗って、
聖なる装束を身につけます。
それから罪のきよめのささげ物、
全焼のいけにえを献げるのです。
私たちは今、主なる神様の前に
出るために、このようなことは
行いません。
それはイエス様のゆえに
私たちの罪・汚れは赦され、
きよめられているからです。
また私たちはキリストを
着る者とされ、キリストのきよさを
身にまとう者とされているからです。
だからこそいつでも大胆に
主に近づくことができ、
主に祈り、主を礼拝できるのです。
この恵みを心から感謝していきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主なる神様、今私たちはキリストを着て、
キリストのきよさにあずかっていることを
ありがとうございます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
聖書箇所:レビ記14章1-20節
タイトル:きよめられるために
[レビ記 15:19-33]
あなたがたは、イスラエルの子らを
その汚れから離れさせなさい。
彼らが、彼らのただ中にある
わたしの幕屋を汚し、
自分たちの汚れで死ぬこと
のないようにするためである。
レビ記15:31
漏出を病む女性の汚れときよめに
ついての教えが記されています。
男性の場合と同様、共同体を
汚れから守るための教えです。
汚れた状態で主の前に出るならば、
主の幕屋を汚すことになります。
その汚れによって彼らが
死ぬことのないようにとの主の配慮です。
一方で、新約時代、イエス様に
長血の女性が触れます。
それによって彼女の病が癒やされ、
救われたのです。
イエス様は汚れてしまうではないかと
彼女を責められませんでした。
彼女の信仰を見て、喜ばれ、
救いを宣言されるのです。
汚れから私たちをきよめてくださるのは、
イエス様だけです。
イエス様だけが自分を救い、
きよめて下さるお方だと信じ、
委ねるならば、私たちは救われ、
きよめられるのです。
このイエス様が今日も私たちを
礼拝に招いて下さいます。
今日の礼拝において、
主のきよさにあずかることができますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主なる神様、私たちの罪・汚れをきよめて
下さるお方はイエス様だけです。
このことを信じて、信頼して歩めますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”主日礼拝” が持たれます。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
漏出を病む者[レビ記 15:1-18]
漏出を病む者が漏出から
きよめられたときは、
自分のきよめのために七日を数え、
自分の衣服を洗い、
自分のからだに新鮮な水を浴びる。
こうしてその人はきよくなる。
レビ記15:13
漏出を病む者の汚れときよめに
ついての教えが記されています。
絶えず漏出物が出ている状態を
主は汚れとされるのです。
その状態で出歩くならば、
彼がさわったもの、
すわったものは、
すべて汚れてしまいます。
共同体に大きな迷惑をかけ、
汚れをばらまくことになるのです。
汚れ・悪を制御できない状態で、
出歩くなということでしょうか。
私たち自身も、汚れ・悪を制御できず、
ダダ漏れの時があります。
良い影響を与えず、
誰彼構わず、汚してしまうのです。
そんなときは家で静かにしている方が
良いのでしょう。
自分をしっかり見極める知恵が
主にあって豊かに与えられますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主なる神様、罪・汚れがダダ漏れしている時、
どうすべきかをしっかり判断できますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
家に付くツァラアト[レビ記 14:33-57]
こうして彼はその家のために
宥めを行い、その家は
きよくなる。
レビ記14:53
家に付く悪性のツァラアトについて
記されています。
家がツァラアトになると、
かなり大変です。
家を塗り直したり、
石材、木材、漆喰をすべて
取り壊して、
建て替える必要もありました。
主なる神さまはツァラアトの汚れ、
きよめをイスラエル人に教えることで、
常にきよめ・汚れというのを
意識させようとしておられたのでしょう。
私たちはすぐに独りよがりになり、
自らの汚れが見えにくくなるからです。
ですから、いつでも自らと家とを見張ることで、
主の前にきよくあろうとしたのです。
私たちもいつでも自分自身を見張り、
主に探っていただき、自らの汚れ・罪を
教えていただき、主によって
きよめていただけますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主なる神様、罪・汚れが私たちのうちで
広がり続けることがありませんように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
貧しい者のささげ物[レビ記 14:21-32]
きよめに必要なものを手に
入れることのできない者の
ためのおしえである。
レビ記14:32
主なる神さまは貧しい者が
ツァラアトからきよめられた時の
ささげ物について
告げられています。
ささげ物の数は明らかに
減っていますが、
何もささげないで良いとは
されていないのです。
自分のできる限りのものを
もって主にささげ、
きよめられるための宥めを
祭司に行ってもらいます。
私たちもすべての人が一律に
主に仕えたり、ささげたりするのではなく、
自分が今できる最高のものをもって、
主に仕え、ささげるように召されているのです。
そう考えますと、今、自分は本当に
最高のものを主にささげているだろうかと
探られます。
自分に今できる最高のものを主にささげ
主に仕えることができるように、
ともにお祈りしていきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主なる神様、私が今できる最高のものを
あなたにささげ、あなたに仕えることができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。