罪を除いて[レビ記 5:1-13]
祭司は彼のために、
罪を除いて宥めを行う。
レビ記5:6
5章も引き続き、罪のきよめの
ささげ物の規定が記されています。
どんな小さな罪でも、どんな汚れでも、
人は咎を負う必要があるのです。
罪を犯した人は、自らの罪を告白し、
償いとして自分にできるだけの
ささげものを用意し、
それを献げます。
それによって罪が取り除かれ、
宥めが行われるのです。
私たちも罪を犯した時、
大切なことは、口で告白することでしょう。
私たちが罪を告白するなら、
主は私たちの罪を赦して、
不義からきよめてくださいます。
今週も、自らの罪を隠さず、
言い表し、主の赦しの恵みを
十分に味わっていきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主なる神様、自らの罪を告白する時、
あなたが赦してくださることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
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宥め[レビ記 4:22-35]
こうして祭司はその人のために
宥めを行う。そして彼は赦される。
レビ記4:31
気づかずに罪を犯し、後になって
責めを覚える場合とあります。
私だったら、もう過去のことだし、
仕方ないと思ってしまいそうです。
でも罪をそのままにしない、
罪を残さないことが
私たちの歩みにおいても
大切だということでしょう。
全焼のいけにえなどと同様に、
ささげ物の頭に手を置いてから、
それを献げるのです。
そして祭司が焼いて煙にして、
宥めを行います。
これによって彼の罪は
赦されるのです。
私たちも自分の罪を思い出したら、
そのままにせず、告白して、
罪の赦しをいただく。
この繰り返しによって
私たちは神様に近づき、
主とともにある喜びに
満たされるのでしょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主なる神様、罪を示されたらすぐに告白し、
あなたからの赦しをいただくことができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
ニュースレター2022年3月号が発行されました。
下の画像をクリックしていただけると全体がご覧いただけます。
罪のきよめのささげ物[レビ記 4:1-21]
その祭司は自分が陥った罪のために、
傷のない若い雄牛を罪の
きよめのささげ物として主に献げる。
レビ記4:3
罪のきよめのささげ物について
記されています。
興味深いのは、全焼のいけにえ、
交わりのいけにえに比べて
血についての記述が多いことです。
これは血こそが人々を罪から
きよめるものであるということでしょう。
ヘブル人への手紙9章には
次のようにあります。
「律法によれば、ほとんどすべてのものは
血によってきよめられます。
血を流すことがなければ、
罪の赦しはありません。」
けれど今、私たちは血を
献げることがないのです。
それはイエス様が一度流された
血によって私たちは罪から
きよめられているからです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主なる神様、イエス様が十字架で流された血によって、
私たちは今罪からきよめられていることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
交わりのいけにえ[レビ記 3:1-17]
脂肪はすべて主のものである。
レビ記3:16
交わりのいけにえは、
全焼のいけにえとは違い、
動物のすべてをささげ、焼いて
煙にするわけではありませんでした。
脂肪・腎臓・小葉が取り分けられ、
ささげられたのです。
それ以外の肉は、
それをささげた人が食べることができました。
このことから交わりのいけにえは、
主の感謝とともに、主の恵みに
預かることであると分かるのです。
どこかキリストが定められた
聖餐式に通じるものを感じます。
聖餐式において私たちは主の肉と
血に預かるのです。
それによって主イエス様の贖いに感謝し、
主の恵みを覚えます。
主の交わりに私たちは加えられるのです。
この大きな恵みに感謝しましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主なる神様、今、キリストにあってあなたとの交わりが
回復できたことを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
覚えの分[レビ記 2:1-16]
祭司はその中から、ひとつかみの小麦粉と
油と乳香すべてを覚えの分として
取り出し、祭壇の上で焼いて煙にする。
レビ記2:2
2章では、穀物のささげ物の
ささげ方について記されています。
注目するところは「ひとつかみの小麦粉と
油と乳香すべてを覚えの分として」
取り出すことです。
自分のささげ物が主に
覚えていただけるように
ということでしょう。
使徒の働き10章を見ますと、
コルネリウスに向かって主は
「あなたの祈りと施しは神の御前に上って、
覚えられています」と言われるのです。
神を恐れ、民に施し、神様に絶えず祈る祈りは、
主の前に忘れられることなく、
すべて覚えられていました。
これはどれほど彼を励ましたことでしょう。
私たちの祈りも、ささげ物も、奉仕も、
すべて主の前に上り、覚えられています。
確かに実感が湧かないことがあるのです。
何もかも無駄に感じることもあります。
でも主は私たちの労苦を
何一つ無駄にされず、
私たちを忘れられないのです。
私たちの祈りを聞いてくださり、
答えてくださいます。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主なる神様、私たちを日々、覚えてくださること、
心から感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
全焼のささげ物[レビ記 1:1-17]
その全焼のささげ物の頭に手を置く。
それがその人のための宥めとなり、
彼は受け入れられる。
レビ記1:4
今日からレビ記となります。
レビ記の初めには、全焼のささげ物に
ついて記されているのです。
全焼のささげ物は、傷のない雄牛で
あることが求められています。
その雄牛の上に手を置き、
自らの罪・咎を転嫁します。
それによって献げた人は、
主に受け入れられるのです。
私たちの救い主イエス様も、
私たちの罪をすべて
負ってくださいました。
それによって私たちは
動物の犠牲なしに父なる神様に
受け入れられているのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、イエス様の貴い犠牲のゆえに、
今あなたに受け入れられていることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。