【日々のみことば】3月6日

罪を除いて[レビ記 5:1-13]

祭司は彼のために、
 罪を除いて宥めを行う。
           レビ記5:6

5章も引き続き、罪のきよめの
ささげ物の規定が記されています。
どんな小さな罪でも、どんな汚れでも、
人は咎を負う必要があるのです。

罪を犯した人は、自らの罪を告白し、
償いとして自分にできるだけの
ささげものを用意し、
それを献げます。

それによって罪が取り除かれ、
宥めが行われるのです。

私たちも罪を犯した時、
大切なことは、口で告白することでしょう。
私たちが罪を告白するなら、
主は私たちの罪を赦して、
不義からきよめてくださいます。

今週も、自らの罪を隠さず、
言い表し、主の赦しの恵みを
十分に味わっていきましょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 主なる神様、自らの罪を告白する時、
あなたが赦してくださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月5日

宥め[レビ記 4:22-35]

こうして祭司はその人のために
 宥めを行う。そして彼は赦される。
             レビ記4:31

気づかずに罪を犯し、後になって
責めを覚える場合とあります。
私だったら、もう過去のことだし、
仕方ないと思ってしまいそうです。

でも罪をそのままにしない、
罪を残さないことが
私たちの歩みにおいても
大切だということでしょう。

全焼のいけにえなどと同様に、
ささげ物の頭に手を置いてから、
それを献げるのです。

そして祭司が焼いて煙にして、
宥めを行います。
これによって彼の罪は
赦されるのです。

私たちも自分の罪を思い出したら、
そのままにせず、告白して、
罪の赦しをいただく。

この繰り返しによって
私たちは神様に近づき、
主とともにある喜びに
満たされるのでしょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 主なる神様、罪を示されたらすぐに告白し、
あなたからの赦しをいただくことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月4日

罪のきよめのささげ物[レビ記 4:1-21]

その祭司は自分が陥った罪のために、
 傷のない若い雄牛を罪の
きよめのささげ物として主に献げる。
            レビ記4:3

罪のきよめのささげ物について
記されています。
興味深いのは、全焼のいけにえ、
交わりのいけにえに比べて
血についての記述が多いことです。

これは血こそが人々を罪から
きよめるものであるということでしょう。
ヘブル人への手紙9章には
次のようにあります。

「律法によれば、ほとんどすべてのものは
 血によってきよめられます。
 血を流すことがなければ、
 罪の赦しはありません。」

けれど今、私たちは血を
献げることがないのです。
それはイエス様が一度流された
血によって私たちは罪から
きよめられているからです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 主なる神様、イエス様が十字架で流された血によって、
私たちは今罪からきよめられていることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月3日

交わりのいけにえ[レビ記 3:1-17]

脂肪はすべて主のものである。
            レビ記3:16

交わりのいけにえは、
全焼のいけにえとは違い、
動物のすべてをささげ、焼いて
煙にするわけではありませんでした。

脂肪・腎臓・小葉が取り分けられ、
ささげられたのです。
それ以外の肉は、
それをささげた人が食べることができました。

このことから交わりのいけにえは、
主の感謝とともに、主の恵みに
預かることであると分かるのです。

どこかキリストが定められた
聖餐式に通じるものを感じます。
聖餐式において私たちは主の肉と
血に預かるのです。

それによって主イエス様の贖いに感謝し、
主の恵みを覚えます。
主の交わりに私たちは加えられるのです。
この大きな恵みに感謝しましょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 主なる神様、今、キリストにあってあなたとの交わりが
回復できたことを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月2日

覚えの分[レビ記 2:1-16]

祭司はその中から、ひとつかみの小麦粉と
 油と乳香すべてを覚えの分として
取り出し、祭壇の上で焼いて煙にする。
              レビ記2:2

2章では、穀物のささげ物の
ささげ方について記されています。
注目するところは「ひとつかみの小麦粉と
油と乳香すべてを覚えの分として」
取り出すことです。

自分のささげ物が主に
覚えていただけるように
ということでしょう。

使徒の働き10章を見ますと、
コルネリウスに向かって主は
「あなたの祈りと施しは神の御前に上って、
覚えられています」と言われるのです。

神を恐れ、民に施し、神様に絶えず祈る祈りは、
主の前に忘れられることなく、
すべて覚えられていました。
これはどれほど彼を励ましたことでしょう。

私たちの祈りも、ささげ物も、奉仕も、
すべて主の前に上り、覚えられています。
確かに実感が湧かないことがあるのです。
何もかも無駄に感じることもあります。

でも主は私たちの労苦を
何一つ無駄にされず、
私たちを忘れられないのです。
私たちの祈りを聞いてくださり、
答えてくださいます。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 主なる神様、私たちを日々、覚えてくださること、
心から感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月1日

全焼のささげ物[レビ記 1:1-17]

その全焼のささげ物の頭に手を置く。
 それがその人のための宥めとなり、
彼は受け入れられる。
             レビ記1:4

今日からレビ記となります。
レビ記の初めには、全焼のささげ物に
ついて記されているのです。
全焼のささげ物は、傷のない雄牛で
あることが求められています。

その雄牛の上に手を置き、
自らの罪・咎を転嫁します。
それによって献げた人は、
主に受け入れられるのです。

私たちの救い主イエス様も、
私たちの罪をすべて
負ってくださいました。

それによって私たちは
動物の犠牲なしに父なる神様に
受け入れられているのです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様の貴い犠牲のゆえに、
今あなたに受け入れられていることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。