みことばに通じた者[箴言16:16-33]
みことばに通じた者は幸いを見出す。
主に拠り頼む者は幸いである。
箴言16:20
みことばに通じた者とは、
みことばを昼も夜も口ずさみ、
思い巡らす人のことでしょう。
その人は幸いを見出すのです。
興味深いことに
みことばに通じた人は
主に拠り頼む者であると
同義語で使われている点です。
みことばがいつも心にある人は、
主のすばらしさを知り、
主の助け・救いを理解し、
必ず主が守ってくださることを
信じています。
私たちはみことばから離れると、
途端に恐れ・心配の波が押し寄せ、
私たちをネガティブにさせるのです。
だからこそ完全で 私たちのたましいを
生き返らせるみことばに留まっていけたら幸いです。
今日も父なる神様は私たちに語りかけてくださいます。
恐れるな。わたしがあなたとともにいる。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、あなたのみことばの力に拠り頼む者とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
聖書箇所:箴言16章1-9節
タイトル:歩みを確かにされる主
9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”主日礼拝” が持たれます。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
時宜にかなったことば[箴言15:19-33]
適切な返事をすることは、
その人の喜び。
時宜にかなったことばは、
なんと麗しいことか。
箴言15:23
主のみことばは時宜にかなっています。
悲しみのときには慰め、
高慢なときには砕かれ、
幸いなときには賛美するように。
そのみことばに適切な
返事をしているだろうかと
考えさせられたのです。
常にみことばとは反対をいこうとする私。
素直な心でみことばを聞き、
適切に応答していくとき、
私たちの心は喜びに満ちて、
健やかにされることでしょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、時宜にかなったみことばを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
穏やかな舌[箴言15:1-18]
穏やかな舌はいのちの木。
舌のねじれは霊の破れ。
箴言15:4
ことばは人を生かすこともあれば、
人を生かさないこともあります。
時に厳しく人に当たってしまい、
傷つけるのです。
柔らかい答え、穏やかな舌、
そんなことばを語ることが
できたら幸いです。
イエス様は柔和なお方で、
ことばで人々を癒やし、
生かしました。
イエス様のことばを聞きたいと、
多くの人が集まって来たのです。
でもそれらは人々にとって
心地よいことばばかりでは
なかったはずです。
厳しさもありました。
ですから柔らかな答え、穏やかな舌とは
単に人をよいしょする
ことばではないことが分かります。
真理、真実を語ること。
それが人々の心に届くとき、
真に生きる者とされるのです。
私たちも今日、真理のことばを聞き、
それによって生かされて生きましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、穏やかな舌を与えてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
いかなる労苦にも[箴言14:20-35]
いかなる労苦にも利益がある。
無駄口は損失を招くだけ。
箴言14:23
人生は山あり、谷あり、まさかあり。
様々な労苦が私たちにあります。
でもその一つひとつは私たちにとって
無駄ではないのです。
父なる神様は意味もなく、
私たちを苦しめ悩ませることはありません。
父なる神様からのすべてのチャレンジは、
苦しく感じられるのです。
しかし父なる神様はチャレンジを
乗り切る力を与えてくださり、
後になって、義という平安の実を
結ばせてくださいます。
もし今、父なる神様からチャレンジを
与えられているなら
力ある拠り所である主のもとに行き、
主からの平安を求めましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、労苦には益があることを信じます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
知恵ある者のおしえ[箴言14:1-19]
まっすぐ歩む者は主を恐れ、
曲がった道を行く者は主を侮る。
箴言14:2
まっすぐ歩むとは、どういうことでしょう。
これは誠実に歩むことのようです。
誠実とは、真面目。
これは単に悪いことを
しないということではありません。
自分のしていること、思っていることは、
果たして主に喜ばれるだろうかと、
いつも自分の歩みを見極めること。
私たちはすぐに誠実ではなくなります。
主を侮ることはないと思いながら、
自信が強いために、
自分のことばかりを優先するのです。
結果的に主を見くびってしまいます。
今日、私たちは何を優先するでしょうか。
一つひとつの行いを吟味して、
自らの歩みを見極められたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、あなたの前に誠実でありますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
知恵ある者のおしえ[箴言13:13-25]
知恵ある者のおしえはいのちの泉。
これによって、
死の罠から逃れることができる。
箴言13:14
本能ではなく、知恵・知識が
私たちを生かします。
私たちは自分の考えが
最善だと思うのです。
しかし主の知恵に聞き、
知恵の源であるキリストと
ともに歩むとき、
私たちは身勝手な生き方ではなく、
知恵ある者の生き方を選び取ることができます。
キリストの知恵は私たちを生かし、
私たちの内でいのちの泉となるのです。
また私たちが身勝手な歩みをするとき、
主は私たちが知恵ある者となるために、
チャレンジを与えられます。
そのチャレンジを受けたとき、
素直に自分の非を認め、
キリストの教えに立ち返ることが
できるようにお祈りしていきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、あなたの教えは私にとっていのちの泉です。
知恵であるキリストとともに生きる者とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
富んでいるふりをして[箴言13:1-12]
富んでいるふりをして、
何も持たない者がいる。
貧しいふりをして、
多くの財産を持つ者がいる。
箴言13:7
私たちは「みせかける」ことがあります。
自分を守るため、良く見せるために装うのです。
また人の「みせかけ」に惑わされ、
心が落ち着かないこともあります。
イエス様は「みせかけ」「偽り」によって
人を惑わすことはなかったのです。
私たちのために貧しくなられ、
低くなられました。
その貧しさ、低さが私たちに
救いを与えてくださったのです。
私たちはイエス様の貧しさのゆえに、
豊かな恵みが与えられています。
第二コリント6章10節には
「・・・貧しいようでも、多くの人を富ませ、
何も持っていないようでも、
すべてのものを持っています」とあります。
キリストにある私たちも「見せかけ」ではなく、
真実な心で多くの人を富ませ、
豊かにすることができるのです。
今日も私たちには多くの恵みが与えられています。
その恵みを自分だけにとどめず、
豊かに与えるものとしていただけたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、今キリストにあって
豊かにされていることを感謝します。
どうかあなたの恵みを惜しみなく
用いる者とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。