知恵の道[箴言3:11-35]
知恵の道は楽しい道。
その通り道はみな平安である。
箴言3:17
主の懲らしめ、叱責を拒むなと。
私たちが主の道、いのちの道から
逸れるなら、主は私たちを
ご自身の道に引き戻そうとされます。
主はとにかく私たちをまっすぐな道に
歩んで欲しいと願っておられるのです。
なぜなら主の道、主を恐れる道は、
楽しく、平安だからです。
つまずかず、安心して眠ることができます。
主が私たちの頼みであり、
私たちを守ってくださるのです。
時々、主の道を歩んでいても、
他の人と変わらないように感じることもあります。
けれど主の道は私たちにとって祝福で、
主の懲らしめ、叱責によって
へりくだる私たちに主は恵みを与えてくださるのです。
だから主の懲らしめ、叱責を受けたら、
すぐに悔い改めて生きることができるように、
お祈りしていけたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
あなたの叱責、懲らしめをしっかり受け止め、
悔い改めて生きることができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
主に拠り頼め[箴言3:1-10]
心を尽くして主に拠り頼め。
自分の悟りに頼るな。
箴言3:5
みことばよりも、自分の悟りに頼りやすい私。
主に拠り頼むよりも、自分に拠り頼む私。
そんな私にどこにおいても主を知るように。
主を認めていくように語られています。
自分を知恵ある者と考えるな。
自分は賢い、正しいと考えています。
そうするとみことばにも、人の助言にも
心を閉ざしてしまうのです。
また主を恐れること、悪から離れること、
それは私たちのからだにいやしとなり、
骨に潤いとなるとは、、、。
疲れ切ったとき、苦難のとき、
主はもっと私たちがご自身を求め、
ご自身のもとで憩うことを願っておられる。
今日も主は私たちの道をまっすぐにされます。
その主によって身体も魂も
いやされることを信じ、
歩んでいけたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
あなたのもとで憩い、
あなたに拠り頼む者とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
道を守る[箴言2:16-22]
こうして、あなたは善良な人たちの
道に歩み、正しい人たちの進む道を守る。
箴言2:20
主を恐れることは、
すべての誘惑からの救い。
誘惑に引き寄せられるなら、
いのちに至らないとあります。
一方、主を恐れるならば、
いのちの道、
善良な人たちの道に
歩むことができるのです。
このように自分を守るだけでなく、
愛する人が命の道に
歩むことができるように
その道を守ります。
私たちが主を恐れることは、
ただ私たちが救いを
完成するためではないのです。
人を生かし、人が主を恐れ、
いのちの道に至るため。
このことを覚えて、
主を恐れ、敬い、
愛していくことができたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
あなたを恐れることは自分だけでなく、
人をも生かすことになることを信じます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
ニュースレター2021年5月号が発行されました。
下の画像をクリックしていただけると全体がご覧いただけます。
神を知る[箴言2:1-15]
そのとき、あなたは主を恐れることを
わきまえ知り、神を知ることを
見出すようになる。
箴言2:5
主を恐れること、主を知ることは、
自動的に自然に、ではありません。
呼びかけ、声をあげ、探し、
探り出す必要があるのです。
このように私たちが主の呼びかけ、
働きかけに応答し、主を求めるなら、
私たちは主を恐れ、
主を見出すことができます。
そして私たちが主を恐れるとき、
主は私たちの盾となり、
私たちの道を守ってくださるのです。
この主の守りを体験するとき、
私たちの心は喜びで満たされることでしょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
あなたを探し求めるものとさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
叱責に立ち返る[箴言1:20-33]
わたしの叱責に立ち返れ。
おまえたちにわたしの霊を注ぎ、
わたしのことばを知らせよう。
箴言1:23
主なる神様は浅はかな私たちに
絶えず語りかけてくださいます。
主のみことばに聞き従い、
主に立ち返るように。
時に叱責という厳しさをもって。
主の叱責は私たちへの愛。
私たちが主を忘れ、侮り、
自分を殺し、自分を滅ぼすことがないために。
けれど私たちは主の御声に耳を
閉ざしてしまうことがあります。
どんなに主が私たちに語りかけ、
叱責されても気づけないときがあるのです。
だからこそ静まって、静まって、
主の叱責、主のことばを待ち望みましょう。
そのうえで主に聞き従うならば、
私たちの内に平安がくる、
このみことばに信頼します。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
あなたの叱責に立ち返り、あなたに聞き従う者とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”主日礼拝” が持たれます。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
惑わしから離れる[箴言1:8-19]
わが子よ、父の訓戒に聞き従え。
母の教えを捨ててはならない。
箴言1:8
父と母の訓戒、教えに聞き従い、
捨てるなと命じます。
子どもは両親の話を無視して、
自分の道を進みたくなるときがあるのです。
私もそうでした。
振り返ると、両親の話を聞き従って
良かったと思えることが多くあります。
両親の教えに従うことは、
両親を与えてくださった主なる神様に従うこと。
だから主を恐れることのすぐあとに、
両親に従うように勧められているのでしょう。
一方で親となったときに、
大きな責任があることも覚えます。
自分の語ることば、行動が、
主のみこころに沿ったものであるか、
主を恐れることからくるものであるか、
常に自らを吟味していく必要がある。
そんな責任が与えられていることを、
心に留めて歩んでいけたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
私の語ることば、行いが主を恐れるものでありますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
主を恐れること[箴言1:1-7]
主を恐れることは知識の初め。
愚か者は知恵と訓戒を蔑む。
箴言1:7
ソロモンの箴言。
箴言は私たちの生きる指針のような
ことばが多く書かれています。
それは箴言が私たちに賢く、
知識と思慮を得させるために
記されたからでしょう。
けれど箴言は倫理・道徳を
ただ教えるためのものではありません。
その中心は主を恐れることです。
主を恐れて生きるとは、
どういうことであるかを
ソロモンは深く洞察し、
それを子どもたちに教えているのです。
主に近づき、
主に導かれる幸いについて、
ソロモンは語っています。
今月、箴言を通して、
主を恐れる恵みについて、
思い巡らして参りましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
あなたを恐れることを教えてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。