【日々のみことば】7月31日

再びあわれみ[エレミヤ書 12:7-17]

わたしは再び彼らをあわれみ、
 彼らをそれぞれ自分のゆずりの地、
あるいは自分の土地に帰らせる。
          エレミヤ 12:15

主はイスラエルの罪ゆえに
彼らに受け継がせたゆずりの
地から引き抜かれます。

でもずっと引き抜いたままではないのです。
主は彼らを再びあわれまれます。
そして彼らをゆずりの地に帰らせると
約束してくださるのです。

でも彼らが主の声を聞かなければ、
その国を根こそぎ滅ぼす
とも告げられます。

主のあわれみと主の厳しさを
ここに見ます。
主は罪に対しては厳しく、
それでもなおあわれんで下さるお方。

このあわれみにすがり、
主の御声に聞き従うことができるよう、
今日もお互いに祈っていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのあわれみにすがり、

あなたの御声に従う者とさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月30日

神様への問い[エレミヤ書 11:18-12:6]

主よ。私があなたと論じても、
 あなたのほうが正しいのです。
それでも、私はさばきについて
 あなたにお聞きしたいのです。
         エレミヤ 12:1

エレミヤは一つの問いを
主なる神様に投げかけます。
それは悪者の道が栄え。
裏切り者がみな安らかであるか。

この世において、
信仰があろうがなかろうが、
あまり関係なく、
様々な困難が襲ってきます。

エレミヤは自分が神様のみこころに
生きているのに辛い目に遭い、
主のみこころに生きない人が
栄えているのを見て、
やるせない気持ちになったのかもしれません。

こういうことは良くあるのです。
皆さんは、このような感情になったとき、
どのように解決するでしょうか。

エレミヤは自分のすべてを
知っておられる主に
自分のすべてを委ねるのです。

他の人と比較して、文句を
言っても何の得もありません。
すべてのことを主の御手にゆだね、
主に愛されていることを知る。

この主の愛の中にとどまるなら、
私たちは他の人の事が気にならなくなり、
主を喜ぶことができるでしょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、人と比較するのではなく、

あなたにすべてを委ねることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月29日

主のことばを聞かない[エレミヤ書 11:1-17]

しかし彼らは聞かず、
 耳を傾けず、それぞれ頑なで
悪い心のままに歩んだ。
         エレミヤ 11:8

主なる神様はイスラエルの民に絶えず、
契約のことばを守るなら、
「あなたがたはわたしの民となり、
 わたしはあなたがたの神となる」と
告げておられました。

逆に主の契約のことばを守らないなら、
のろわれると言われたのです。
このことばを彼らはしっかり
聞くことができませんでした。

頑なで悪い心のままに歩みます。
そのため主は彼らにのろいを
与えると告げるのです。

主は彼らがどんなに
ご自分を呼び求めても、
彼らの叫びを聞かないと。

この主ののろい、さばきは、
とても恐ろしいものです。
主が沈黙され、
主が助けてくださらない。

けれど、それを聞いても、
彼らは全く立ち返らないのです。
悪の極みまで、彼らは進む。

しかし彼らを主は完全に
見捨てられたわけではありません。
これまでイスラエルの民と結ばれた
契約のゆえに、後の日彼らを回復される。

主のあわれみ、愛は、
私たちの常識を越えています。
主は私たちを赦される。
主は私たちを愛し尽くされる。

この主の赦し、愛の大きさを
知れば知るほど、私たちの生き方は
変えられることでしょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、計りきれないあなたの愛、赦しを

もっと知ることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月28日

癒やしがたい打ち傷[エレミヤ書 10:17-25]

ああ、私は悲しい。
 この傷のために。
この打ち傷は癒やしがたい。
         エレミヤ 10:19

イスラエルの民が主を捨て、
主に背いたことによって受けた傷。
それは癒やしがたいもの。

でもその病を負うのが
自分の使命だと
エレミヤは告げます。

預言者は主を知っているのです。
だからこそ主のもとに立ち返るように
何度も警告を与えます。
けれど民は立ち返れないのです。

そんな彼らとともに
エレミヤも苦しみ、傷をうけます。
また主によって懲らしめられることを
求めるのです。

それは主の懲らしめは、
恵みと公正と正義に満ちているからでしょう。
人の手に陥ることの方がもっと悲惨な
ことであるとエレミヤは知っていたのです。

すべてのことを主に委ね、
主を求めること。
これが私たちの歩みのすべて。

どんな苦しみの中でも、
癒やしがたいと思える傷を受けても、
主の助けを待ち望むなら、
私たちは力を得て、立ち上がることができるでしょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、どんな状況に置かれても、

あなたへの信頼を失うことがありませんように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月27日

主のゆずりの民[エレミヤ書 10:1-16]

主は万物を造る方。
 イスラエルは主のゆずりの民。
その御名は万軍の主である。
          エレミヤ 10:16

偶像に仕えるイスラエルの民に
主はご自分が天地の造り主であること。
今も支配しておられることを告げます。

一方、偶像に仕える人間は愚かだ。
偽りの像には息がなく、空しいと。
刑罰の時にそれらは滅びると。

そのような偶像の神々に仕えることが
イスラエルの民の受ける分ではないと
主ははっきりと語られるのです。
では彼らの受ける分は何でしょう。

それは他でもなく、万軍の主ご自身。
イスラエルは主のゆずりの
民であるからです。

私たちもイエス様にあって
イエス様とともに
共同相続人とされました。
主の民とされたのです。

この主に信頼して歩む
私たちの人生は空しくなく、
恵みに満ちています。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、今、イエス様にあってゆずりの

民とされていることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月26日

私たちの誇り[エレミヤ書 9:17-26]

誇る者は、ただ、これを誇れ。
 悟りを得て、わたしを
知っていることを。
          エレミヤ 9:24

私たちの誇りは何でしょうか。
自分の賢さでしょうか。
自分の力でしょうか。
自分の富でしょうか。

イスラエルの民は、
自分たちが神様に選ばれ、
主の民とされていることを
誇りとしていました。

けれど彼らはそれに甘んじ
自分勝手に生きるのです。
そして彼らの心はどんどん
主なる神様から遠ざかってしまいます。

そんな彼らに主は24節の
みことばを語られるのです。
主を知ることを誇るように。

何ができる、何をもっているではなく、
主を知ることができている恵みを
忘れるなということでしょう。

それは主だけがこの世に平和をもたらし、
すべての恵みを与えてくださる方だからです。
私たちも自分を誇りたくなりそうになります。

そんな時、いつでも主を知ることが
できている恵みに立ち返り、
主を誇り、喜んでいきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたを私たちの誇りとさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。