【日々のみことば】7月7日

あなたは何を見ているのか[エレミヤ書 1:11-19]

すると主は私に言われた。
「あなたの見たとおりだ。
 わたしは、わたしのことばを
 実現しようと見張っている。」
           エレミヤ 1:12

主なる神様はエレミヤに
「何を見ているのか」と二度
問いかけています。

1度目は、アーモンドの枝。
2度目は、煮え立った釜。
それが北から自分の方に
傾いていると。

その傾きには意味がありました。
イスラエルの民の罪によって
北からわざわいが降りかかると。

そのさばきを語るように
主なる神様はエレミヤに命じるのです。
それはエレミヤにとって
大変厳しいことでした。

でも昨日の箇所と同じように、
主がともにいてくださり、
主が救い出してくださるという
確かな約束がエレミヤに与えられるのです。

今日の箇所で、興味深いのは、
主がエレミヤに何を見ているのか
と二度、問われたところです。

エレミヤは、この時、意識して
アーモンドの枝や煮え立った釜を
見ていたのでしょうか。

はっきりしたことは分かりませんが、
モーセが燃える柴を見て、何が起こっているか
確認しようとしたように
何かしらの不思議さを感じていたのでしょう。

私たちは今、何を見ているでしょうか。
意識して見ているものもあれば、
意識せずに見ているものもあるでしょう。

それを落ち着いて考えるとき、
主が私たちに語ろうとしていることが
分かってくるかもしれません。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、今、私たちが見ているもの、

それをしっかり見極める心を与えてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月6日

彼らの顔を恐れるな[エレミヤ書 1:1-10]

彼らの顔を恐れるな。
 わたしがあなたとともにいて、
あなたを救い出すからだ。
           エレミヤ 1:8

今日からエレミヤ書を通して
主の御声を聞いています。

エレミヤが預言者として
主に召され活動したのは、
南ユダの人々がバビロンに
捕囚される前後でした。

彼は涙の預言者と呼ばれ、
苦しみ悩むイスラエルの民と
ともに苦しみ悩み、
主のことばを伝えるのです。

彼が主に召されたとき、
自分は若いし、
何を語って良いか分からない。
だから無理だと拒絶します。

そんなエレミヤを主は励まし、
主が遣わされるすべての
ところに行って主の命じることを
語るように告げられるのです。

また人の顔を恐れるなと。
しかもただ恐れるなと命じられるのではなく、
「わたしがともにいて、救い出す」と
約束してくださいます。

神様の真実のことばは
人の耳に聞きやすくないからです。
そのため必ず拒絶されたり、
攻撃されたりします。

しかし主のことばは人を
砕くためだけではないのです。
10節の最後にあるように、
「建て、また植え」ます。

砕かれた人々を回復してくださる。
これこそ主の愛です。
私たちもみことばによって
心さされ、砕かれるときもあるでしょう。

それは私たちを苦しめるためではなく、
私たちが主にあって回復し、
さらに主の恵みの中を歩むためなのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたが今日も私たちを砕き、

回復させてくださるを信じます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月5日

良いわざに励む[テトスへの手紙 3:8-15]

神を信じるようになった人々が、
 良いわざに励むことを
心がけるようになるためです。
           テトス3:8

パウロの願いは、神様を信じる人が
良いわざに励むことを心がけること。
良いわざとは、それはキリストのように
生きることでしょう。

私たちはキリストのように生きると
心がけていないとすぐに肉の思いが
顔を出してしまいます。

そして無益で、むなしいものに
こだわってしまうのです。
だからこそ油断せずに、
御霊の導きに逆らわず歩む。

この時、私たちは実を結ぶ者とされ、
どんなときにも揺れ動かされることなく、
主を待ち望むことができるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、今日も一日、良いわざに励むことを

心がけることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月4日

聖霊による再生と刷新の洗い[テトスへの手紙 3:1-7]

聖霊による再生と刷新の洗いをもって、
 私たちを救ってくださいました。
              テトス3:5

救われる以前の私たちは、
3節にあるように愚かで、
不従順で、さまよっていて、
互いに憎み合う者たちでした。

けれどイエス様の成してくださった
救いの御業を聖霊なる神様の導きで
信じることによって、
私たちの生き方は180度変えられました。

私たちはイエス様の恵みによって
父なる神様の前に義と認められ、
永遠のいのちの望みを抱く
相続人とされたのです。

もう私たちを罪に定めるものはありません。
私たちは日々、聖霊なる神様の働きによって
悔い改めて生きる者とされているからです。

今日も、この聖霊なる神様の働きに委ね、
悔い改めて歩んでいきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちをあわれみにより、

救ってくださったことを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月3日

神の恵みが現れた[テトスへの手紙 2:1-15]

実に、すべての人に救いを
 もたらす神の恵みが現れたのです。
            テトス2:11

前半でパウロは、健全な教えに
ふさわしいことを語るように勧め、
あらゆる世代のクリスチャンに向けて、
ふさわしい生き方を示すのです。

後半で、この世にあって慎み深く、
正しく、敬虔に生活する理由を述べます。
それはキリストが私たちを不法から贖い出し、
良いわざに熱心な者とされたからです。

私たちが正しく、キリスト者として
ふさわしく生きるのは、
私たちのためではありません。

キリストが私たちをきよめて、
良い行いに生きるように
変えてくださったからです。

そして私たちはイエス様が再び
この地上に来られる再臨を待ち望みつつ、
歩むように召されているのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、この世にあって、キリスト者として

ふさわしく生きる力を与えてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月2日

信仰を健全に[テトスへの手紙 1:10-16]

ですから、彼らを厳しく戒めて、
 その信仰を健全にし、
           テトス1:13

クレタの教会には、一致を乱したり、
間違った教えを広める人たちがいました。
そんな人たちをしっかり戒め、
信仰を健全にするように命じるのです。

不信仰な者たちの特徴として、
表面的には神様を知り、
神様を礼拝しますが、
行いでは否定しています。

そんな彼らのことをパウロは、
知性も良心も汚れている。
忌まわしく、不従順で、
どんな良いわざにも不適格。

とても厳しい宣告です。
でもこのような悪、間違った教えを
徹底的に排除することが信仰の健全さを
保つためには大切なこと。

私たちも言行不一致な、
口先だけの信仰を自らいましめ、
キリストにあって信仰を
健全にしていただきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちの信仰を健全にしてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月1日

テトスの使命[テトスへの手紙 1:1-9]

私が使徒とされたのは、
神に選ばれた人々が信仰に進み、
敬虔にふさわしい、
真理の知識を得るためで、
           テトス1:1

テトスへの手紙は、パウロがクレタに
残したテトスに宛てたものです。
テトスの使命はクレタの町ごとに
長老たちを任命することでした。

その使命を果たすのは、
テトスにとって簡単なことでは
なかったようです。

さてパウロはまず自分が今、
使徒とされているのは、
神様に選ばれた人たちが、
信仰に進むため。

そして敬虔にふさわしい、
真理の知識をえるためでした。
この宣教を救い主である神様から
委ねられたと述べるのです。

これはクレタの反対者たちが、
パウロが勝手に宣教をしているとの
非難を回避するたでした。

続いてパウロは長老となる人の
資質について教えています。
この条件を見ますと、だれも
長老になれないような気がするのです。

でも混乱期にある教会にあって、
このようなリーダーが
必要であったことは確か。

そして長老たちは自分が
主の求められる長老として
ふさわしいかをチェックするためにも
これらは大切な教えでした。

私たちもいつも自分が
神の子にふさわしく
歩めているかをみことばによって
チェックする必要があるでしょう。

自分には到底無理だと
諦めるのではなく、
ふさわしい者へと
変えてくださいと祈る。

この祈りを主は聞いてくださり、
私たちをキリストの似姿に
日々変えてくださるでしょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様によって救われ、

あなたの子とされた者として
 ふさわしく生きることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。