【日々のみことば】2月29日

そこまで言うのか[マルコ 7:24-37]

「主よ。食卓の下の小犬でも、
 子どもたちのパン屑は
 いただきます。」
         マルコ 7:28

イエス様はパリサイ人や
律法学者たちとの争いに
疲れたのでしょうか、
ツロの地方に退かれます。

ここは異邦人たちの
住むところでした。
でも、その地方にもイエス様の
噂は広まっていたのです。

イエス様がおられる家に
ギリシア人の女性が来て、
娘から悪霊を追い出して
ほしいとイエス様に願います。

その願いをイエス様は、
すぐに聞かれないのです。
これまでのユダヤ人たちへの
態度とは明らかに違います。

イエス様は言われます。
まず子どもたちを満腹に
させなくてはならない。

子どもたちのパンを取り上げ
小犬に投げてやるのは良くないと。
子どもはユダヤ人のこと。
小犬はギリシア人の女性のこと。

イエス様のそもそもの使命は、
ユダヤ人が主なる神様に立ち返り、
彼らを通して、すべての民族が
祝福されることでした。

だからこそ、このような一見
冷たく感じることばを
彼女にかけられるのです。

でも彼女は引き下がりません。
自分は小犬だと認める。
そんな小犬であったとしても
パン屑はいただけるはずだと。

彼女は娘が癒やされるために
必死にイエス様にしがみつき、
イエス様のあわれみを求める。

この彼女の信仰にイエス様は
胸を打たれ、彼女に
「そこまで言うのなら」と言われ、
彼女の娘を癒やされます。

私たちは彼女のように謙遜に
そしてイエス様にしがみつき
イエス様のあわれみを
求めているでしょうか。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのあわれみを心から求め、

あなたのあわれみに生かされていることを
 感謝しつつ歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月28日

人から出て来るもの[マルコ 7:14-23]

人から出て来るもの、
 それが人を汚すのです。
         マルコ 7:20

思ってもみなかったことを
口が勝手に語ったり、
考えもしなかったことを
手足がひとりでにすることはありません。

だから私たちの心が
どのようであるかが
いつも問われているのです。

外側をいくら取り繕っても、
内側が汚れ、憎しみ、悪で
いっぱいならば、それが
どんどん表に出て来て、
人を汚します。

こうならないために
私たちの心をいつも
みことばで満たし、
悪い思いを排除する。

そうすると私たちの内から
良いものが出て来て、
人を生かすものとなるのです。

今日もイエス様に
自らの罪を告白し、
イエス様によって
きよめていただきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちの心を良いもので満たし、

人を生かすものとしてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月27日

口先で、、、[マルコ 7:1-13]

あなたがたは
 神の戒めを捨てて、
人間の言い伝えを堅く
 守っているのです。
         マルコ 7:8

パリサイ人たちは衛生的なことで、
弟子たちが手を洗わないことを
非難したわけではありませんでした。
彼らの「きよめ」の伝統のためだったのです。

イエス様について行った
弟子のある人たちは、
伝統などどうでも良いと
思い始めたのでしょうか。

それは本質的なことではないと。
もしくは最初から伝統を無視し、
衛生的にも汚い生活を良しと
していた人たちだったのでしょうか。

どちらの人たちであるかは
よく分かりませんが、イエス様は
彼らが手を良く洗わないで、
食べるのを問題にされていません。

問題は伝統だけを必死に
守ろうとするパリサイ人たち。
神様の戒めを捨て、
人間の言い伝えを堅く守っていると
痛烈に非難されるのです。

このイエス様のことばを
思い巡らしながら、
自分は果たして神様の戒めを
堅く守っているだろうかと
問われました。

自分が正しいと思って
していることは、
人間の言い伝え、伝統であり、
本質的なことではない。

神様が望んでいることではない。
そんなことがあるのではないか。
私たちは何でもかんでも
自分が正しいと思う傾向があります。

でももう一度、口先だけで
神様を敬っているだけで
その心は神様から
離れていないかどうか
自らを吟味する必要があると
今日の箇所から教えられました。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、本質的でないことにこだわり、

あなたから心が離れているなら、
 悔い改めることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月26日

しっかりしなさい[マルコ 6:45-56]

「しっかりしなさい。
 わたしだ。恐れることはない。」
           マルコ 6:50

イエス様によって強いて
乗り込まされた舟で
弟子たちは向かい風に
あうのです。

彼らは夜中じゅう、
湖の上でさまよっていました。
そこをイエス様が湖の上を
歩いて通り過ぎようとされるのです。

この光景を目にした弟子たちは
幽霊だと思い、叫び声を上げます。
そこでイエス様はすぐに彼らに
話しかけられるのです。

「しっかりしなさい。わたしだ。
 恐れることはない」

そして弟子たちの乗っていた
舟に乗り込まれます。
そうすると風はやむのです。

このことに弟子たちは非常に驚く。
このすぐ前に5000人の
給食の出来事があったばかり。

でも彼らはイエス様が
どんなお方か理解できない。
それは彼らの心が
頑なになっていたから。

私たちも主の素晴らしいみわざを
たくさん経験し、それに参与しながら
百パーセント主に信頼できない
頑なさがあります。

予想外のことが起こると混乱し、
主が近くにおられるのに
ただただおびえてしまう。

そんな私たちに主は
「しっかりしなさい。わたしだ。
 恐れることはない」と
励ましてくださるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、恐れ惑う私たちにいつも、

しっかりしなさい。わたしだ。
 恐れることはないと励ましてくださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月23日

弟子たちを遣わされる[マルコ 6:1-13]

十二人を呼び、
 二人ずつ遣わし始めて、
彼らに汚れた霊を制する権威を
 お授けになった。
          マルコ 6:7

イエス様はナザレに行かれ、
ユダヤ人の会堂で教えられます。
その教えを聞いた人々は、
イエス様につまずくのです。

それは自分たちのよく知っている
イエス様が権威あることばを
語っていたからです。

彼らはイエス様を全く信じず、
イエス様に対する信頼もありません。
そんな彼らの不信仰に
イエス様は驚かれるのです。

またイエス様は十二弟子たちを
二人一組にして宣教に遣わされます。
その際、彼らにイエス様は
次のように命じられるのです。

必要最小限のものを
持っていくこと。
一つの場所に行ったら、
一つの家を決めてとどまること。

言うことを聞かない場所が
あったら、足の裏のちりを
払い落として出て行くこと。

最初の二つのことは、
主の豊かな恵みに期待して
宣教活動をいくように
ということでしょう。

三つ目のことは、
みことばを聞き入れない人への
さばきを表明すること。

弟子たちは、このイエス様の
ことばに従って宣教をします。
そして多くの実を
結ぶことになるのです。

私たちもイエス様のことばを
聞いて、それを疑うのではなく、
主のことばに聞き従っていきましょう。

そのとき私たちは多くの実を結び、
主の栄光を見ることができるからです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのことばを疑うことなく、

心から信じて歩む者とさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月22日

恐れないで[マルコ 5:35-43]

「恐れないで、
 ただ信じていなさい」
        マルコ 5:36

12年、長血で苦しんでいた
女性が癒やされた一方で、
ヤイロの娘が亡くなったと
伝えられます。

ヤイロはショックだったでしょう。
もう少し早くイエス様が
来てくだされば
と思ったかもしれません。

そんな彼の気持ちを
よくご存知のイエス様は
彼に言われます。

「恐れないで、
 ただ信じていなさい」

恐れないで、ただ信じる。
試練の中で、これほど
難しいことがあるでしょうか。

私たちはすぐに
恐れてしまいます。
イエス様が見えなくなり、
絶望してしまうのです。

私もそういうときがあります。
でもイエス様はいつも私たちに
「恐れないで、ただ信じよ。
 わたしがあなたを助ける」と
声をかけてくださるのです。

それだけでなく実際に
助けてくださる。
絶望の淵に立たされても、
立ち上がる力を与えてくださる。

ヤイロも娘が亡くなったという
絶望の中、決して揺れ動くことのない
イエス様とともに
自分の家に向かいます。

恐れそうに、
不信仰になりそうな
心を抱えながら
一歩一歩。

そして家に着いて彼は
イエス様の素晴らしい
御業を見るのです。

主は信仰の薄い私たちと
ともにいつも歩んでくださいます。
それだけでなく、私たちを愛し、
私たちに素晴らしい御業を
なしてくださるのです。

イエス様は良いお方。
このイエス様に恐れず
ただ信じて歩んでいくことが
できたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、恐れず、ただ信じて歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月21日

あなたの信仰が[マルコ 5:21-34]

「娘よ、あなたの信仰が
 あなたを救ったのです。
 安心して行きなさい。
 苦しむことなく、
 健やかでいなさい。」
         マルコ 5:34

ここに二人の女性が登場します。
彼女たちはいずれも
病の中にいたのです。
一人はヤイロの娘でした。

ヤイロはイエス様に
娘が救われて生きられるよう、
自分の家に来て、娘に手を
置いてほしいと願います。

彼はイエス様だったら
娘の病は癒やされると
信じているのです。

イエス様は彼の信仰を見られ、
彼と一緒に彼の家に向かいます。
その途上、12年間、
病に苦しむ女性が登場するのです。

彼女はヤイロと同じ信仰をもって
イエス様に近づきます。
でもヤイロが正面から
近づいたのとは違うのです。

うしろからイエス様の衣に触れる。
目立たないように。
けれど彼女の信仰の通り
彼女は癒やされます。

ここで話しは終わらないのです。
イエス様は自分から力が
出ていったのを知って、
誰が触ったかを問いかけます。

これは彼女にとってビックリし、
恐ろしかったことでしょう。
そのまま静かに去ろうとしていたのに、
自分の身に起こったことを
多くの人の前で証しすることになる。

このことでイエス様は
彼女の病気だけでなく、
彼女の心を癒やそうとされた。

みんなの前で癒しを宣言され、
イエス様から特別に
ことばをかけられる。

あなたの信仰があなたを救った。
あなたの信じたようになった。
安心して行きなさい。苦しむことなく、
健やかでいなさい。

私たちの主は私たちの信仰を
見ておられます。
どれほどご自分に信頼し、
ご自分のことばを信じているかを。

イエス様は私たちが信頼して
イエス様に近づくことを
今日も待っていてくださいます。

主に触れれば私は救われる。
今日も主に触れ、主の素晴らしい
みわざを期待して歩んで行きましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたに信頼して歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月20日

絶望からの解放[マルコ 5:1-20]

イエスが「おまえの名は何か」
 とお尋ねになると、
           マルコ 5:9

ゲラサ人の地は異邦人の
住むところでした。
そのところにイエス様たちは
舟で到着するのです。

そうすると悪霊につかれた人が
イエス様を迎えます。
彼は長年、悪霊に支配され、
身も心もボロボロでした。

誰も彼を助けられず
縛ることしか
できなかったのです。

そんな彼のうちからイエス様は
悪霊を追い出されます。
そして彼の人生は一変し、
主のみわざを証しする
ものとなるのです。

私たちもまた、罪に縛られ、
身も心もぼろぼろであった
ところからイエス様によって
救われました。

そして主を証する恵みが
今、与えられているのです。
主を賛美する口が
備えられています。

この恵みを覚え、
今日一日、主を喜び、
主をほめたたえていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、身も心もボロボロだった私たちを救い、

あなたの恵みを証しする者と変えてくださり感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月19日

黙れ、静まれ[マルコ 4:35-41]

湖に「黙れ、静まれ」と言われた。
 すると風はやみ、
すっかり凪になった。
           マルコ 4:39

弟子の少なくとも
4人は漁師です。
彼らはガリラヤ湖の
突風の恐ろしさを
よく知っていたのでしょう。

もう自分たちの乗る舟は
沈んでしまうと思って
イエス様の方を見ると、
イエス様は熟睡中でした。

これには弟子たちは驚き、
同時に怒りさえ
湧いてきたのです。

こんな自分たちがピンチの時に
寝ておられるなんて、酷い。
なぜ自分たちと一緒に舟から
水を出したりしてくれないのか。

そんな思いで弟子たちは
イエス様を起こします。
するとイエス様はすぐに
起き上がって風を叱りつける。

湖に「黙れ、静まれ」と言われる。
この光景を見て、弟子たちは
目をまん丸くしたでしょう。

しかもイエス様の命令通り、
風はやみ、静かになるのです。
混乱する弟子たちにイエス様は
言われます。

「どうして怖がるのですか。
 まだ信仰がないのですか」

怖がって当たり前の状況です。
死にそうだったのですから。
でもイエス様はなぜ彼らが
怖がるのかわからないのです。

どうして嵐の中で、
わたしに信頼して
助けてと言えないのかと。

わたしに従うなら、
わたしを信頼せよと。

私たちもすぐに恐れます。
どうしてとつぶやくのです。
あまりにも嵐が激しいと
もうダメだと諦めてしまう。

そんな私たちに主は言われます。
どうして怖がるのか。
わたしを信頼せよ。
わたしがすべての主であるから。

この信仰を働かせるのは、
そんなに簡単ではないでしょう。

でもどんなに不信仰で
信頼できなくても、
主はあわれんで、
嵐を沈めてくださる。

だから私たちも主に
信頼して歩んでいきましょう。
主に信頼するものと
変えていただきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたに信頼して歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。