【日々のみことば】2月9日

福音を信じなさい[マルコ 1:12-20]

「時が満ち、神の国が近づいた。
 悔い改めて福音を信じなさい。」
            マルコ 1:15

イエス様はバプテスマのヨハネから
洗礼を受けられたあと、
荒野でサタンの試みを受け、
それから宣教を開始されます。

イエス様が宣べ伝えられた
神の福音とは、何でしょうか。
それはイエス様を信じて、
従うこと。

その最初の人物が、
シモンとアンデレ、
ヨハネとヤコブでした。

彼らは文字通り、
すべてを捨てて
イエス様に従うのです。

神の福音が宣べ伝えられた
私たちもイエス様を信じ、
イエス様のあとに従うように
召されています。

それは大きなチャレンジ。
でもイエス様に従うときに、
私たちは素晴らしい御業に
参与することができるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様に従うことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月8日

荒野で叫ぶ者の声[マルコ 1:1-11]

バプテスマのヨハネが荒野に現れ、
 罪の赦しに導く悔い改めの
バプテスマを宣べ伝えた。
           マルコ 1:4

今日からマルコの福音書を通して
主の御声を聞いていきます。
イエス様が宣教を開始される前に
バプテスマのヨハネが登場します。

彼は荒野で、罪の赦しに導く
悔い改めのバプテスマを
宣べ伝えるのです。

多くのユダヤ人がヨハネの
もとに来て、自分の罪を告白し、
バプテスマを受けます。
ヨハネの影響力はすごいです。

でも彼はユダヤ人たちに、
自分よりも力ある方が
来られると語り、イエス様の方に
彼らの心を向けさせます。

このヨハネのように私たちも
私たちの愛する家族・友人たちの
心をイエス様に向けように
歩んでいくことができたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちの周りの人たちがあなたに

目を向けることができるように
 私たちを用いてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月7日

祈りを顧みられる[詩篇 102:12-28]

あなたは立ち上がりシオンを
 あわれんでくださいます。
           詩篇 102:13

詩篇の記者は絶望の淵で、
主が自分のために立ち上がり、
あわれんでくださること、
祈りを顧みてくださると告白します。

このように主があわれみ、
祈りを顧みてくださったことを
後の世代が聞き、
主を賛美しますようにと。

主は天から地にいる
すべてのものに目を
注いでくださいます。

罪にとらわれ、
死に定められた者たちを
解き放つために。

主は私たちの苦しみを
見て聞いて知ってくださる。
立ち上がろうと、あわれもうと
備えてくださる。

主は決して変わることなく、
私たちを変えてくださる。
この主のあわれみに委ね、
御霊によって日々キリストの似姿に
変えられることを喜ぶ幸いを
味わえますように。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの目が苦しむ私たちに

注がれていることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月6日

私の苦しみのときに[詩篇 102:1-11]

私の苦しみのときに
 御顔を私に隠さないでください。
           詩篇 102:2

表題に「苦しむ者の祈り」とあります。
苦しむ記者が主の御前に自らの
嘆きを注ぎ出す祈りなのです。

苦しみのとき、
彼は主を見失わず
主に心を向けます。
主に叫び求めるのです。

でも直ぐに答えはこない。
だから食事も喉を通らず、
眠ることもできない。

この苦しみは主の憤りと
激しい怒りのゆえに
主が自分を持ち上げ、
投げ捨てられたからではないかと。

主にも見捨てられたかのような嘆き。
でも彼は主のみに信頼します。
苦しみのときに、
どこに助けを求めるか。

どこまでも主に信頼し、
主の助けを待ち望むか。
主を諦め、他のものに頼るか。
それが私たちに問われています。

主は良いお方。
主の真実は変わらない。
この確かさを覚え、
主に注ぎ出す祈りを
献げていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、苦しみのとき、

あなたに信頼することができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月5日

全き心で[詩篇 101:1-8]

私は家の中を 
 全き心で行き来しています。
         詩篇 101:2

この101篇はダビデが王として
どのように主に仕え、
人々を導いていくかが
歌われています。

ダビデは常に主をほめ歌い、
全き道に歩み、全き心で
生きることを目指します。

卑しいことを退け、
曲がったわざを憎み、
それがまといつくことなく、
曲がった心を遠ざけるのです。

人をさばく前に、まず
ダビデは自分自身を
律しようとしていることが
分かります。

私たちも人の目の中のちりを
取り除く前に、自分の目の中の
梁を取り除く必要があります。

そのようにして私たちは
主の前に全き者として生き、
主を待ち望むことができたら
幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの前に全き心で歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月3日

主ご自身がゆずり[申命記 18:1-14]

主が約束されたとおり、
 主ご自身が彼らのゆずりである。
           申命記 18:2

レビ人は約束の地において
相続地が割り当てられませんでした。
それは主ご自身が彼らの相続、
ゆずりであったからです。

レビ人は主に仕え、主への食物の
ささげ物を自分の割り当てとして
食べることが許されていました。

それにしても主ご自身を
ゆずりであるとは
興味深い表現です。

これは主のみに頼って
生きるようにという
しるしではなかったかと思います。

またレビ以外のイスラエルの民が、
レビ人に食物を与えることで、
レビ人の奉仕に対する感謝を
あらわすことができたのです。

9節以降では、約束の地で
異邦人にならって、
主の忌み嫌われることをしては
ならないと命じます。

私たちも、この世の中の流れに
つい乗ってしまうことがあるのです。
そのような主が嫌われることを避け、
主のもとで全き者として歩んでいきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたもとで全き者でありますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月2日

王への掟[申命記 17:14-20]

王が自分の神、主を恐れ、
 ・・・これらの掟を守り行うことを
学ぶためである。
           申命記 17:19

王を立てること、
これは主が認められていた
ことだと分かります。

でも王は高慢になりやすく、
それによって民が迷ってしまう
可能性があることも
知っておられたのです。

ですから王が神様を恐れ、
高ぶることがなく、
主の命令から外れることが
ないように掟を与えられます。

主が選ばれた王を立てること。
自分のために馬を
増やしてならないこと。
多くの妻を持たないこと。
財産を過剰に持たないこと。

この掟を書き記し、
手元に置いて、
一生これを読むように
命じるのです。

リーダーはいつも
謙遜であるために、
人一倍努力が必要でしょう。

だからこそいつもみことばに
聴き、みことばを口ずさむ。

これはリーダーだけでなく、
私たち一人ひとりにとっても
大切なこと。

高ぶることなく、主を恐れるために
必要以上のものを所有せず、
みことばを心に刻み、
みことばを学ぶ。

そして主を私たちの王として
常にお迎えし、主を礼拝する時、
私たちの歩みは外れることなく、
いのちの道を進めることでしょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたを常に王としてお迎えし、

謙遜に歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月1日

正義を追い求める[申命記 16:18-17:13]

正義を、ただ正義を
 追い求めなければならない。
           申命記 16:20

正義とは何でしょうか。
それは主のことばを守り、
主の前に真実に歩むこと。

このような人は必ず生きて、
主の祝福にあずかるのです。
古い私たちは主のことばを守り、
真実に歩むことができませんでした。

でも今、イエス様によって
義と認められ、新しく
生まれた私たちは、
御霊によって正しく
生きることができるのです。

主のみこころを知り、
それを選び取っていくとき、
私たちは主の前に生きて、
主の祝福となります。

これによって私たちの
愛する家族・友人たちに
主の祝福が広がるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのみこころを

選び取ることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。