愛を追い求める
パウロは手紙の最後に
「一切のことを、愛をもって行いなさい」
と命じています。
また「主を愛さない者はみな、のろわれよ」
と強い口調で語るのです。
パウロはどこまでも愛を語る。
それは愛がなければすべてが
無駄で意味のないことだから。
ですから私たちは愛を追い求める。
キリストが愛されたように、
お互いに愛し合う。
そしてあきらめないで
「愛をください」と祈り続けるなら、
愛が増し加えられると信じます。
父よ、まずあなたがキリストによって
私たちに愛をくださったことを感謝します。
どうかすべてのことを愛をもって
行うことができますように。
一切のことを、愛をもって行いなさい。
Ⅰコリント16:14
聖書箇所:第一コリント15章50-58節
タイトル:主のわざに励みなさい
礼拝堂での礼拝は再開していますが、礼拝ライブ配信を引き続き行っています。9時45分から「イズミンキッズ」(子ども向け)、主日礼拝は10時半から配信しています。
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御霊のからだ
最初の人アダムは神様から
いのちの息を吹き込まれ、
生きるものとなりました。
最後のアダム、天から下って来られたキリストは
私たちに永遠のいのちを与えてくださったのです。
そして御霊のからだを与えられる保証となられた。
御霊のからだ、栄光のからだが与えられることは、
私たちにとって、どんな意味があるのだろうか。
それはいつまでも朽ちないからだ、
罪を犯すことのないからだが与えられること。
また私たちは御霊のからだが
与えられるのを待ち望みながら、
天に属するものとして
キリストに似た者と日々変えられることを喜ぶ。
父よ、今イエス様によっていのちが
与えられていることを感謝します。
また天に属するものとされた私たちが、
それにふさわしく生きることが
できるように導いてください。
こう書かれています。「最初の人アダムは生きるものとなった。」
しかし、最後のアダムはいのちを与える御霊となりました。
Ⅰコリント15:45
父なる神がすべてのすべてに
アダムにあって私たちすべては霊的にも
肉体的にも死ぬ者となった。
しかしキリストを信じる者は、
キリストにあって霊的に生きる者とされ、
肉体の死のあと、
よみがえる望みが与えられている。
この世だけの生であったら、
この世を楽しみ尽くすしかない。
けれどこの世だけでなく、
私たちはよみがえり、
父なる神様に完全に従う者とされる。
だから今の世にあっても、
不完全であるけれど、
父なる神様のみこころに従うことを
祈り求める。目を覚まし続けている。
なぜなら私たちはすぐに、
この地上のことばかりに心が奪われ、
刹那的な生き方をしてしまうから。
父よ、キリストにあって生かしてくださり、
ありがとうございます。
主よ、私たちはすぐに
この地上のことばかりを考えてしまいます。
どうかあなたのみこころを求め、
あなたのみこころに従うことができますように。
アダムにあってすべての人が死んでいるように、
キリストにあってすべての人が生かされているのです。
Ⅰコリント15:22
キリストのよみがえり
キリストが十字架で死なれ、
三日目によみがえられ
今も生きておられることは
私たちの望みであり、確信。
今も生きておられるから、
キリストを通して
父なる神様に祈ることができる。
今も生きておられるから、
キリストのとりなしによって
私たちは生かされている。
キリストがよみがえられたので、
私たちは罪から解放された。
キリストがよみがえられたので、
私たちの死も死で終わらず、
よみがえる望みがある。
キリストはこの世だけの
慰め主、救い主ではなく、
永遠に私たちの慰め主、救い主。
だから私たちは哀れな者、
空しい者ではなく、
幸いな者である。
父よ、キリストがよみがえられたことは、
私たちにとって幸いです。
またキリストのとりなしによって
生かされていることを感謝します。。
しかし、今やキリストは、
眠った者の初穂として
死者の中からよみがえられました。
Ⅰコリント15:20
神の恵みによって
福音とは、
旧約聖書で預言されていたように
救い主キリストが
私たちの罪のために死なれ、
葬られ、三日目によみがえられ、
弟子たちに現れてくださったこと。
また教会を迫害したパウロにも
現れてくださり、
福音を信じる者としてくださった。
キリストに出会うこと、
悔い改めて、福音を信じること、
主に仕えること、
これらすべて主の恵み。
この恵みを無駄にしないために、
主の恵みによって、
今の私はあることを
いつも心に留めていきたい。
父よ、イエス様にあって私たちを
救ってくださったことをありがとうございます。
この恵みを忘れることなく、
無駄にすることなく、
あなたに仕えていくことができますように。
ところが、神の恵みによって、
私は今のわたしになりました。
Ⅰコリント15:10
平和の神
みことば、福音を聞くとき、
私たちのうちにある悪・罪が
明らかにされる。
ペンテコステの時、
ペテロの説教を聞いた人々も心を刺され
「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」
と問うた。
みことばを聞いて終わりにするのではなく、
主に向き直って歩んで生きたい。
そのようにキリストのからだなる教会が
日々、主に向き直っていくとき、
主の平和が訪れる。
父よ、みことばをありがとうございます。
また私たちに悔い改める思いを与えてくださり、
あなたに立ち直ることができていることを感謝します。
主よ、愛に生きるために、
どうすればよいか、今日も教えてください。
神は混乱の神ではなく、平和の神なのです。
Ⅰコリント14:33
教会の成長
御霊の賜物、とくに愛を追い求めること、
預言することを熱心に求めることを
パウロは勧める。
そして愛も、預言も教会の成長のため。
教会の成長、
それはいっしょにキリストに向かって
キリストの似姿に変えられ、
キリストをかしらとして一つとなっていくこと。
悔い改めて、愛に生き続けること。
また滅びゆく魂がキリストに出会い、
救われ、神の国が広がっていくこと。
個人個人ではなく、
キリストのからだとして成長する。
これは簡単ではない。
難しさを感じる。
父よ、私たちに愛を与え、
みことばを与えてくださってありがとうございます。
主よ、御霊の賜物としての愛を、
預言することを追い求めることができますように。
そして教会がそれぞれに与えられた
御霊の賜物によってキリストに向かって
成長していけますように。
同じようにあなたがたも、
御霊の賜物を熱心に求めているのですから、
教会を成長させるために、
それが豊かに与えられるように求めなさい。
Ⅰコリント14:12
聖書箇所:第一コリント13章1-13節
タイトル:愛がなければ