【日々のみことば】5月31日

罪を知る恵み[ローマ人への手紙 3:1-20]

律法を通して生じるのは罪の意識です。
              ローマ 3:20

パウロはユダヤ人の
すぐれたところは
神のことばが委ねられた
ことだとします。

でもそれが神様のさばきを
逃れる理由にはならないのです。
不真実だったら、
すべての人はさばかれます。

パウロはまた、私たち人間は
神様の前にすぐれているところは
全くないと断言します。
なぜなら私たちは罪の下にあるからです。

その罪が赦されるために
律法を守り行う必要がありました。
でも律法を守り行っても、
神様の前に義と認められないのです。

罪から完全に抜け出すことが
できないからです。
そして律法を通して生じるのは
罪の意識だとします。

みことばを読み、思い巡らすと
私たちは自分の罪深さを知るのです。
けれど、それこそ私たちにとって
大きな恵みです。

自分の罪が分からないと、
イエス様の十字架の意味が
全く分からないからです。

今日も自らの罪深さに
気づかせていただき、
イエス様の十字架の恵みに
寄りすがることができますように。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちの罪を示し、

イエス様の十字架にすがる心を
 与えてくださり、感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月30日

御霊による心の割礼[ローマ人への手紙 2:17-29]

御霊による心の割礼こそ割礼だからです。
              ローマ 2:29

パウロはユダヤ人クリスチャンに向かって
ユダヤ人であること、割礼を受けていることを
誇りながら、神様の喜ばれないことをするなら、
それは何の意味もないと警告します。

ユダヤ人は確かに選びの民であり、
主は彼らを特別に愛し、
彼らと契約を結ばれたのです。

しかし彼らは自分たちがユダヤ人であり、
律法を表面的に守っていることで
満足していました。

そんな彼らにパウロは、
外見上のユダヤ人がユダヤ人ではない。
目に見える割礼というしるしが
大切なのではない。

御霊による心の割礼こそ、
主が本来求めておられる
割礼などだと語るのです。

心の割礼、これは申命記10章、
30章にも出て来ます。
申命記10章でモーセは
「あなたがたは心の包皮に
割礼を施しなさい」と
命じられるのです。

心の包皮に割礼を施す、
心の割礼とは、頑なな心を砕き、
主の前に従順であること。

このように私たちの心を砕き、
従順に生きるのは、
聖霊なる神様の働きなのです。

だからこそ私たちに与えられた
御霊の火を消すことなく、
御霊の導きに従っていくことが
求められています。

このように御霊の導きに
従っていくとき、
神様は私たちを喜び、
私たちに栄光を現してくださるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、御霊の火を消すことがありませんように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月29日

神様のいつくしみ深さ[ローマ人への手紙 2:1-16]

神のいつくしみ深さがあなたを
 悔い改めに導くことも知らないで、、、
              ローマ 2:4

私たちは自分のことを顧みず、
すぐに人をさばいてしまいます。
生き方を変えようとせず、
自分には甘いのです。

そんな私たちに主はいつくしみ深く、
私たちを悔い改めに導き、
ご自身との関係を回復しようとされるのに
私たちはそれを受け入れられません。

パウロが強調するのは、
忍耐をもって善を行い、
主を求めることの大切さです。

洗礼を受けたら、
それで良しとされ、
クリスチャンとして
完成するのではありません。

悪に引っ張られそうになっても
利己的な思いに流されず、
神様との正しい関係を続けるための
善を行うこと。

これは罪赦された神の子でも
簡単なことではありません。
だから私たちは神様のいつくしみ深さ
忍耐、寛容を忘れないようにしましょう。

そうすると、悪に流されず、
主のあわれみにすがり、
忍耐をもって善を
行うことができると信じます。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、忍耐をもって善を行うことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月27日

神の福音のために[ローマ人への手紙 1:1-17]

キリスト・イエスのしもべ、
 神の福音のために選び出され、
使徒として召されたパウロから。
             ローマ 1:1

ローマ人への手紙はパウロが
まだ一度も訪れたことのない
ローマのクリスチャンたちに
宛てて書いた手紙です。

パウロは福音とは、
御子に関するものとします。
御子イエス様はダビデの
子孫として生まれるのです。

そして死者の中から復活され、
力ある神の子として
公に示されました。

このイエス様を信じる事によって
異邦人であった者たちも
イエス・キリストのものとなったのです。

私たちもまたユダヤ人から見たら
異邦人で、神もなく、
望みもない者たちでした。

けれど主が私たちを選んでくださり、
イエス様を信じる信仰が与えられ、
今キリストのものとされているのです。

今日一日、キリストのものとされた
恵みを覚え、歩んでいきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたに召されキリストのものと

されていることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月26日

主に従う[民数記 36:1-13]

ツェロフハデの娘たちは、
 主がモーセに命じられたとおりに行った。
              民数記 36:10

ツェロフハデの娘たちは、
27章で父の兄弟たちの間で
所有地を与えてくれるように
お願いします。

それを主は受け入れられ、
彼女たちに相続の所有地を
与えるように命じられるのです。

このことで、もう一つ問題が出てきます。
それは彼女たちが他の部族に
嫁いだらマナセの相続地が
減ってしまうということでした。

それに対して主は、彼女たちが
自分たちの部族に属するものに
嫁がなければならないと定められます。

それを彼女たちは受け入れ、
主が命じられたように行うのです。
このように主はいつでも臨機応変に
対処してくださることが分かります。

一から十まですべて定まっていて、
どんな時代でも変わらないのではなく、
その時々にあって、主はフレキシブルに
事を定めてくださるのです。

このような姿勢を私たちも
見倣う必要があります。
今、何を主が求め、何を許されているかを、
日々主に聞いていくこと。

そして主の御声に聞き従っていくこと。
このへりくだった心を
主は喜ばれることでしょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの御声を日々聞き、

従う者とさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月25日

ただ中に住まわれる主[民数記 35:22-34]

主であるわたしが、イスラエルの
 子らのただ中に宿るからである。
            民数記 35:34

誤って、人を殺してしまった場合の
逃れの町についての定めです。
逃れの町にある間、人を誤って
殺してしまった人は守られます。

けれど、そこから出てしまうなら、
彼の安全は保証されないのです。
また大祭司が死ぬなら、
彼は所有地に帰ることができます。

さらに故意に人を殺したものは、
どんなにお金を積んでも
決して許されないのです。

誤って人を殺した人もまた
償い金によって、逃れの町から
帰ることはできません。

血を流すことによって
その血は汚れているからです。
その汚れは、その人の血によって
しか宥められないともあるのです。

このような人を殺したものへの
定めは、人々のためだけではありません。
主がイスラエルの住む土地の
ただ中におられるからです。

私たちが汚れからきよめられ、
自分をきよく保つのも、
私たちのうちに主が
住んでくださるからです。

私たちは今、主の宮として
主のきよさにあずかる恵みが
与えられています。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたが私たちのただ中に

住んでくださることに感謝します。
 このことを忘れず、
あなたの前にきよくあれますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月24日

レビ人のために[民数記 35:1-21]

それぞれ自分が受け継いだ
 相続地の大きさに応じて、
自分の町々の一部をレビ人に
 与えなければならない。
            民数記 35:8

レビ人は約束の地において
相続地を持つことを
禁じられていました。

これはレビ人が特定の場所に
固まって住まないことを
意味していたのです。

彼らは他の民族が住む場所の一部に
彼らが住むための四十八の町々が
与えられます。
そこは放牧地をついているのです。

なぜ彼らはイスラエルの中で
バラバラに住まなければ
ならなかったのでしょうか。

それは彼らが律法を人々に
教える任務が与えられていたからです。
彼らはそれぞれの場所で、
それぞれの民族に神様のことを教えていたのです。

この彼らのとりなしと教えによって
イスラエルは常に神様とともに在り、
神様を中心に生きるように導かれました。

私たちもそれぞれの場所に
日々遣わされているのです。
それは私たちがそこにある人々のためにとりなし、
神様のことを伝えるために他なりません。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちが遣わされている先々で、

あなたのことをほめたたえていくことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月23日

目のとげ[民数記 33:50-34:29]

あなたがたが残しておく者たちは、
 あなたがたの目のとげとなり、、、
            民数記 33:55

ヨルダン川を渡ってカナンの
地に入るときの注意事項を
主はイスラエルの民に伝えます。

それは今住んでいる民族を
追い払うことでした。
彼らを残しておくことで、
彼らは目のとげ、脇腹の茨となると。

主は異邦人によって、
イスラエルの子らが惑わされてしまうと
考えておられたのです。

実際、残された者たちによって、
イスラエルの子らは苦しめられます。
異邦の神々に従ってしまうのです。

私たちも私たちの内にある
古いものを残しておくことで、
主に背くことになる場合があります。

だから私たちは常に古い行いを捨て、
聖霊によって日々新しくされていく
必要があるのです。

そうすれば古い行いは
私たちに対して効力をなくし、
新しい人として、
イエス様とともに生きることができます。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、日々聖霊なる神様によって

新しくしてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。