【日々のみことば】5月6日

主がイスラエルとともに[民数記 23:13-26]

彼らの神、主は
 彼らとともにおられ、
王をたたえる声が彼らの中にある。
            民数記 23:21

バラクはバラムに呪いを
かけてもらうために、
ピスガの頂に移動します。

そこでも前回同様、
祭壇を七つ築き、
いけにえを献げるのです。

主は再びバラムに会ってくださり、
彼の口にことばを与えられます。
それはまたしてもイスラエルを
祝福する言葉でした。

イスラエルの民を神が祝福されていること。
イスラエルのうちには邪悪さが見られないこと。
主が彼らとともにおられること。
彼らの神は野牛のように強いこと。

イスラエルの民に対する
神さまの愛と守りと祝福が
繰り返しバラムを通して語られます。

このようにイスラエルを祝福される主は、
私たちの主でもあります。
主はイスラエルの邪悪さを見られながら、
彼らを祝福し、彼らとともにおられたのです。

私たちも主の前に邪悪なものでありながら、
イエス様のゆえに義とされ、
聖なるものとされています。

そして主は私たちとともにおられ、
私たちをすべての悪から
遠ざけてくださるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたが私たちを祝福し、

ともにいてくださることを信じます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月5日

主が責めない者[民数記 22:36-23:12]

私はどうして呪いを
 かけられるだろうか。
神が呪いをかけない者に。
 私はどうして責めることが
できるだろうか。
 主が責めない者を。
            民数記 23:8

バラクはバラムが来たことを
心から喜び、イスラエルの民を
呪ってもらえると信じています。

けれど主はバラムに、
呪いのことばではなく、
祝福のことばを与えるのです。

それを聞いてバラクは困惑し、
バラムに文句を言います。
そうするとバラムは、
主が語られることを語っては
いけないのかと答えるのです。

主はイスラエルの民を呪わず、
責めず、彼らを祝福します。
それは彼らが信仰深かったからでも、
良い人たちだったからでもありません。

主のあわれみ。
主が彼らを祝福するために
選ばれたのです。

私たちも主の一方的な恵みによって
主の祝福をいただくために、
選ばれています。

その祝福は私たちの言動によらず、
主のあわれみ。このあわれみによって
主の祝福に預かっていることを覚えて
今日も歩んでいきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのあわれみによって

祝福に預かっていることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月4日

目の覆い[民数記 22:21-35]

そのとき、主はバラムの
  目の覆いを除かれた。
            民数記 22:31

バラムがバラクの使いたちと
一緒に行こうとすると、
神さまの怒りが燃え上がり、
主の使いが敵対して立ちはだかります。

けれどバラムは全く気づかないのです。
一方、彼の乗っていたろばは、主の使いが
抜き身の剣を手にして、
道に立ちはだかっているのを見ます。

ですから、ろばは主の使いを避けようと
道からそれるのですが、
バラムは戻そうと必死になるのです。

そのとき、ろばが口を開いて、
なぜ三度も打つのかと問います。
そのやり取りの中で、主はバラムの
目の覆いを除かれるのです。

バラムは主の使いを見て、
ひざまずき、伏し拝みます。
主は彼がご自分の道を
踏み外していることを指摘されるのです。

けれどバラムがバラクの使いとともに
行くことを許されます。
一つの条件は、主が告げることだけを
告げることでした。

バラムは主なる神様のことを知っていました。
主の御声を聞いて、それに従っていたのです。
でも彼の目には覆いがかかっていました。
そのため主の道を踏み外してしまうのです。

私たちはどうでしょうか。
私たちは主のことを知っています。
主の御声を聞いています。
でも時に目に覆いがかかっていることがあるのです。

それは主の御声を聞きながら、
自分の道に行こうとするときです。
そのとき道を踏み外していると分からず、
主に敵対する者となってしまいます。

今日も一日、目の覆いを取り除いていただき、
主の御声に従い、主とともに生きることができるよう
お祈りしていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、わたしの目の覆いを除いてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月3日

バラクの願い[民数記 22:1-20]

・・・その民をのろってもいけない。
 その民は祝福されているのだから。
            民数記 22:12

モアブの王バラクは、
イスラエルの民を恐れます。
そのためバラムのところに使者を遣わし、
彼らをのろって欲しいと願うのです。

それを聞いたバラムは
主が自分に告げられることを
彼らに返答すると答えます。

その夜、主がバラムに現れ、
彼らと一緒に行ってはならない、
その民をのろってはならない。
彼らは祝福されているからと
告げます。

それを聞いたバラムは、
バラクの使者たちに
主が言われたように答えるのです。

そうするともっと多くの、
地位の高い者たちを
バラクは遣わします。

それに対してバラムは
どんなに多くの報酬を得たとしても
主の命令を破らない。

それからもぅ一度、
主に確かめると答えるのです。
その夜、主が再びバラムのところに
来られて、言われます。

立って彼らと行け。
ただわたしが命じることを行えと。

この時、主は心変わりを
されたのでしょうか。
どうしてバラムがバラクの使者たちと
行くことを許されたのでしょうか。

その理由は、ここまでの
ところでは分かりません。
一つ分かることは、
イスラエルの民は
主に祝福されていることです。

私たちも主に祝福された者たちです。
どんなことが起きようとも
たとえ人がのろったとしても
主は私たちを祝福してくださいます。

この主の祝福のうちを歩むことは
何と幸いなことでしょうか。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの祝福のうちを

歩ませてくださり、ありがとうございます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月2日

主の助け[民数記 21:21-35]

「彼を恐れてはならない。
 わたしは彼とそのすべての兵と
 その地をあなたの手に与えた。
            民数記 21:34

イスラエルの民は、どんどん約束の地に
向かって進み続けます。
その途上、主の助けによって
勝利していくのです。

その勝利の中でも、
多くの敵のゆえに
恐れることもあったのでしょう。

そんな彼らに主はモーセを通して
恐れるなと励まされ、
その土地の人々と土地のすべてを
与えると約束してくださるのです。

この約束通り、イスラエルは勝利して
その土地を占領します。

私たちの歩みも
時に困難を感じるときがあるのです。
そんなときにも、主は私たちに恐れるなと
語りかけてくださいます。

そして主にあって勝利を
与えてくださるのです。
この約束に堅く立って
歩んでいきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、主にあって私たちの歩みは

勝利であることを信じます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月1日

仰ぎ見ると生きる[民数記 21:1-20]

その人が青銅の蛇を仰ぎ見ると生きた。
             民数記 21:9

イスラエルの民は、
またまた我慢できなくなり
主に逆らいます。

彼らが忍耐できなくなる
原因は空腹、欠乏。
そして先が見えない歩みも
そうだったのかもしれません。

しかも彼らはマナが
与えられていたのに、
それに満足せずに、
文句を言うのです。

この民の反逆に対して
主は蛇を送られ、
蛇にかみつかれた人々は
死にます。

そのとき、民は主に立ち返り、
モーセの前に罪を告白するのです。
そしてモーセにとりなしてくれるように
願います。

その願いをモーセは聞いて、
彼が主に祈ると、
主は旗ざおにつけられた燃える蛇を
仰ぎ見れば生きると約束されるのです。

実際に、蛇にかまれた人が
青銅の燃える蛇を仰ぎ見ると、
生きました。

この青銅の燃える蛇を
仰ぎ見るという行為は、
どのような意味があったのでしょうか。

主は不従順のゆえにご自分を見失っていた
彼らが、もう一度、ご自分を仰ぎ見て
救われるようにという意味があったのでしょう。

私たちも罪によって死ぬべき者でしたが、
イエス様の十字架を仰ぎ見ることによって
生きる者とされています。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様の十字架を仰ぎ見て

救われていることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。