【日々のみことば】7月15日

くびきも、かせも[エレミヤ書 5:1-9]

ところが彼らもみな、
 くびきを砕き、
かせを断ち切っていた。
          エレミヤ 5:5

主はエレミヤにエルサレムの中で、
公正を行う、真実を求める者を
見つけたら、彼らを赦そうと
告げられます。

エレミヤは必死に探したようですが、
誰一人見つからないのです。
主が彼らを打たれても、みな頑なになり、
立ち返ることを拒む。

身分の高い人たちも同様でした。
彼らはくびきを砕き、
かせを断ち切るのです。

このくびき、かせとは
主の律法のことでしょう。
主の律法を捨て、
みんな好き勝手なことをします。

一人も主を喜び、主を求める者たちが
見つからないとは、本当に悲惨です。
それほどイスラエルの民が罪によって
霊的な目が閉ざされていたということでしょう。

私たちも他人事ではありません。
いつでも自分が頑なにされていないか、
主のみことばを第一にしているかを
自らに問い続けていく必要があります。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、どうか私たちの頑なな心を砕き、

あなたのことばに生きる者とさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月14日

茫漠として[エレミヤ書 4:19-31]

私が地を見ると、
 見よ、茫漠として何もなく、
天を見ると、その光はなかった。
          エレミヤ 4:23

エレミヤは主からイスラエルに対する
さばきを知らされ、
心がわななくのです。

また主はイスラエルに対して、
「わたしの民は鈍く、私を知らない。
 愚かな子らで悟ることがない」と
告げられます。

ここで主が背信を続ける彼らを
わたしの民と言われているところに
主のあわれみ深さ、愛を感じるのです。

主にとってイスラエルの民は、
どこまでいってもご自分の民。
それを悟ることができない
霊的な目が閉ざされている民。

だからこそ創造の初めのように
茫漠として、光もない状態に
戻される幻をエレミヤは見るのです。

では主はもうイスラエルの民を
完全に滅ぼし、リセットし、
もう一度、リスタートしようと
されたのでしょうか。

そうではないようです。
「ただし、わたしは滅ぼし
尽くしはしない」と告げられ、
回復しようとされるのです。

これが神様の愛です。
どれだけ不信仰でも
主は決して見捨てられない。
私たちに対しても、そうです。

だからと言って、ずっと不信仰で
良いわけではありません。
主のあわれみにすがり、主と共に生きる。
その歩みを主は待っておられるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちを決して見捨てられない

あなたの愛に感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月13日

心を洗いきよめよ[エレミヤ書 4:5-18]

エルサレムよ。救われるために、
 悪から心を洗いきよめよ。
          エレミヤ 4:14

南ユダの不信仰のゆえに、
主の怒りが燃え上がり、
わざわいが北からきて、
町々は滅びると預言されます。

でも南ユダの人々にとって
それは思いがけず、
欺かれたような気がするのです。

なぜなら主が「あなたがたには
平和が来る」と言われたからです。
彼らは自分たちにわざわいが起こる
理由が全く分かっていないのです。

だから主は彼らに告げられます。
「エルサレムよ。救われるために、
 悪から心を洗いきよめよ。
 いつまで自分のうちに
 よこしまな思いを宿らせているのか」

悪から心をきよめること。
よこしまな思いを心に
とどめておかないこと。

これこそ彼らが救われる道。
それを聞いても、彼らは生き方、
行いを改めない。

主が望んでおられるのは、
主に逆らう人々が、
わざわいによって
滅びることではありません。

悪から遠ざかり、
自らをきよめること。
私たちもまた主に自らの罪を告白し、
主にきよめられて歩むことが
求められているのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、日々、あなたの前に罪を告白し、

イエス様の赦しによって生きることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月12日

わたしのもとに帰れ[エレミヤ書 3:19-4:4]

イスラエルよ、もし帰るのなら、
 ー主のことばー
わたしのもとに帰れ。
          エレミヤ 4:1

主なる神様を裏切り、忘れ、
苦しみの中にあるイスラエルの民に
主は「立ち返れ。わたしがあなたがたの
背信を癒やそう」と語られます。

それに対してイスラエルの民も、
主に立ち返り、悔い改めているような
応答をするのです。

また4章で主はもう一度、イスラエルの民に
「わたしのもとに帰れ」と告げられます。
さらに「主のために割礼を受け、
心の包皮を取り除け」と。

表面的な悔い改めや従順ではなく、
心から主に立ち返り、
主のことばに従うように
ということでしょう。

これによって主は一つの約束を
与えてくださいます。
それは「国々は主によって互いに
祝福し合い、互いに主を誇りとする」

イスラエルが主によって選ばれたのは、
すべての民族の祝福のもといとなるため。
それを成就するために、
彼らは主に立ち返る必要がありました。

私たちが主に立ち返り、
主のことばに従順であるのも
究極的には私たちが祝福され、
良い生活を送るためではありません。

私たちを通して、私たちの周りの人が
神様を知り、神様に立ち返り、
互いに神様を誇りとするためなのです。

そのために今日も私たちは
それぞれのところに遣わされていきます。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、日々あなたに立ち返り、

あなたのことばに従順に生きることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月11日

立ち返れ[エレミヤ書 3:1-18]

あなたがたに、わたしの心にかなう
 牧者たちを与える。
彼らは知識と判断力をもって
 あなたがたを育てるだろう。
             エレミヤ 3:15

北イスラエルも、南ユダも、
心から主に立ち返ろうという
気がありませんでした。

彼らは偶像礼拝をしながら、
主に立ち返るそぶりを
見せていたのです。

この二心の彼らに向かって、
主はご自分に立ち返るように。
ご自身が彼らの夫であり、
唯一の神であることを告げます。

さらに彼らに主の心にかなう
牧者たちを与えると
約束してくださるのです。

牧者たちによって育てられ、
イスラエルの民は二度と
頑なな悪い心のままに
歩むことはないと告げられます。

これもまた主のあわれみです。
イスラエルの民は誰一人、
自らで主に立ち返ることができず、
悪い心のままに歩んでいました。

そんな彼らを捕囚の地から
約束の地に戻してくださると
主は約束してくださるのです。

主はイスラエルの民を
ずっと見捨てられません。
彼らを再び、ご自分のもとに集め、
彼らを祝福してくださるのです。

このようにイスラエルの民に対する
召しと愛が変わらないように、
私たちに対する主の召しと愛も
変わりません。

ずっと私たちを愛し、
救いの完成へと導いてくださるのです。
この主のあわれみにすがりながら、
今日も一日歩んでまいりましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イスラエルへの愛が変わらなかったように、

私たちへの愛も変わらないことを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月10日

わたしを忘れた[エレミヤ書 2:29-37]

しかし、わたしの民はわたしを忘れた。
 その日数は数えきれない。
            エレミヤ 2:32

イスラエルの民は主と争い、背きます。
そんな彼らを主は打たれ、
彼らがご自分に立ち返るように
懲らしめられますが、無駄でした。

主のもとに帰らず、
自らさまよい歩くのです。
また主の民とされているのに、
主を忘れてしまいます。

そのため彼らは自分の罪に気づかず、
自分たちは潔白だと主張するのです。
神様から離れると、主が分からなくなり、
自分の罪も分からなくなります。

だからこそ私たちはいつでも
主から離れず、主に拠り頼み、
歩むことが大切なのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたを忘れることなく、

歩むことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月8日

知り、見極めよ[エレミヤ書 2:1-19]

だから、知り、見極めよ。
 あなたがあなたの神、
主を捨てて、
 わたしを恐れないのは、
いかに悪く苦いことかを。
       エレミヤ 2:19

主はエレミヤを通して、
イスラエルの民が主に背き、
役に立たない偶像の神々に
従ったことを告げられます。

そのため、約束の地は
荒れ果ててしまうのです。
それでも彼らは悔い改めて
主に立ち返りません。

エジプトに、アッシリアに
助けを求めるのです。
それは何の解決にもなりません。

主が彼らを懲らしめ、
責められているからです。
彼らは知り、
見極める必要があります。

それは主を捨て、
主を恐れないことは
如何に悪く苦いことかを。

私たちはどうでしょうか。
主に背き、主を捨て、
主以外のものに
頼っていることはないでしょうか。

そうすると私たちは
イスラエルの民のように
主が分からなくなるのです。

だからこそいつでも
自分自身の心を見守り、
神様以外を求める思いがないかを
見極めていく必要があります。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちが自分の悪に気づき、

いつもあなたに立ち返ることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。