【日々のみことば】7月25日

頑なな心のまま[エレミヤ書 9:7-16]

彼らの頑なな心のままに歩み、
 先祖たちが彼らに教えたバアルの
神々に従って歩んだからだ。
           エレミヤ 9:14

主はイスラエルの民が、
今、苦しみにあい、
傷つき、彼らの住む町々が
荒れ果てている理由を明らかにします。

それは彼らが主の律法を捨て、
主の御声に聞き従わず、
頑なな心のままに歩み、
バアルの神々に従って歩んだから。

この頑なさ、不信仰のゆえに
彼らはついに他の国々に連れて行かれ、
絶ち滅ぼされてしまう。

何度も警告されてきたことです。
でもそのことばが彼らに届かない。
これもまた主のさばきでしょう。

神様を無視し続けると、
みことばの飢饉がやって来ます。
みことばが分からなくなる。

だからこそ「きょう」と
言われる日に悔い改めて、
生きることが大切なのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、頑なな心を砕いてください。

何度も失敗を繰り返す私たちをあわれんでください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月24日

エレミヤの涙[エレミヤ書 8:18-9:6]

娘である私の民の傷のために、
 私は傷ついた。
           エレミヤ 8:21

エレミヤは主のさばきのことばを
イスラエルの民に告げながら、
悲しみ、心が弱り果てます。

また苦しみ、嘆き、傷つく彼らを
見ながら、自分自身も傷つくのです。
そして彼の涙はかれます。

どんなに悔い改めを迫っても、
さばきを告げても、
全く悔い改められない
イスラエルの民。

彼らに対するエレミヤのあわれみは、
主のあわれみでもありました。
けれどなおイスラエルは、欺きの中で、
主を知ることを拒むのです。

主は一人として滅びることを望んでおられない。
でもその思いを多くの人は理解し、
立ち返ることができないのです。

そんな私たちが今、
主に立ち返ることができているのは、
ただ主のあわれみ。

このあわれみを受けた者として、
私たちはエレミヤのように
涙と嘆きをもって、私たちの愛する方々が
主に立ち返るように祈る使命が与えられています。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの涙、嘆きを私の涙、

嘆きとして、祈る者とさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月22日

思いつきもしなかったこと[エレミヤ書 7:30-8:3]

これは、わたしが命じたこともなく、
 思いつきもしなかったことだ。
           エレミヤ 7:31

イスラエルの民が異教の
神々に仕える人々の真似に倣い、
行っていたことは、主が命じたことも、
思いつきもしなかったことでした。

主が思いつきもしなかったとは、
興味深い表現です。
主が想像もしていなかった
罪の結果がそこにありました。

時に私たちは自分の罪を
軽く考えてしまうことがあるのです。
でも主にとって私たちの罪深い姿は、
思いつきもしなかったこと。

私たちの罪の深さ、しつこさは、
悲惨であることを
忘れないようにしたいです。

そんな罪深い私たちをなおも愛し、
ご自分のことしてくださったこと。
これは私たちが思いつきもしなかった
主なる神様のあわれみ。

この主のあわれみ深さに
今日も感謝しつつ、
主のいつくしみの中を
歩んで参りましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたが思いつきもしなかった

罪深い私たちをなおも愛し、
 あわれんでくださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月21日

主の声に聞き従う[エレミヤ書 7:16-29]

「わたしの声に聞き従え。
 そうすれば、わたしはあなたがたの
神となり、あなたがたは
 わたしの民となる。
           エレミヤ 7:23

主はエレミヤにイスラエルの
民のためにとりなすなと命じられます。
それは彼らが異教の神々に仕え、
主の怒りを引き起こしていたからです。

主が彼らに望んでいたこと、
それは彼らがご自分の声に聞き従うこと。
しかもこのことは主のためではなく、
彼らが幸せになるためでした。

でも彼らはそれを拒絶する。
耳を傾けない。答えない。
だからこそ彼らは主に捨てられるのです。

主はイスラエルの民の幸せを
願っておられたように、
私たちの幸せを願っておられます。

けれど私たちはそれを自らで
拒絶してしまう弱さがあるのです。
主の御声に聞き従うことが最善であるのに、
自分の声、他の人の声に従ってしまう。

どうか私たちが今日も主の
か細い声に耳を傾け、
主の道に歩むことができますように。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの御声を聞かせてください。

あなたの御声に従うことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月20日

生き方と行いを改めよ[エレミヤ書 7:1-15]

あなたがたの生き方と行いを改めよ。
 そうすれば、わたしはあなたがたを
この場所に住まわせる。
           エレミヤ 7:3

ユダの人々は「これは主の宮」と
神殿のことを語りますが、
彼らは主の宮で、心から主を
礼拝していません。

そればかりでなく偶像の神々を
主の宮に持ち込み、
主なる神様以外にも
仕えているのです。

また主のことなど全く考えず、
自分の利益だけを優先します。
ですから主の宮は強盗の巣に
見えたと主は言われるのです。

さらに「生き方と行いを改めよ」と
主は何度も語られたのに、
ユダの人々は聞こうとしません。
自分の道をただひたすらいく。

その結果、彼らは主の前から
追い払われます。

私たちはどうでしょうか。
口先だけ、見せかけの
信仰になっていないでしょうか。

自分が主の恵みによって
救われていることに感謝し、
生き方と行いを日々改めながら
歩むことができたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、生き方と行いをいつも

点検していけますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月19日

主の律法を退ける民[エレミヤ書 6:16-30]

彼らがわたしのことばに
 注意を払わず、
わたしの律法を退けたからだ。
          エレミヤ 6:19

主の道を歩めと命じられても、
その道に歩まないと拒絶し、
角笛に注意せよと命じられても、
注意しないと拒絶する。

イスラエルの民は、主のことばに
全く注意を払わず、
主の律法を退けてしまいます。

にも関わらず彼らは、
主に全焼のいけにえをささげるのです。
それを主はわたしは心地よくないと
拒絶されます。

そして主は彼らを苦しみの中に置かれ、
彼らを捨てられるのです。
それでも彼らは悔い改められません。

このように悔い改められないのも
また主のさばきでしょう。
私たちはどうでしょうか。
主の御声に従っているでしょうか。

悔い改める心が与えられ、
主に立ち返っているでしょうか。
今日も主に心を耕していただき、
主に立ち返る一日でありますように。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、悔い改めて生きる者とさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月18日

平安がないのに[エレミヤ書 6:1-15]

彼らはわたしの民の傷を
 いいかげんに癒やし、
平安がないのに、
「平安だ、平安だ」と言っている。
           エレミヤ 6:14

預言者や祭司たちは、
主がさばきのことばを
語っているのに、
それを語ろうとしません。

主のさばきがイスラエルの民に
下っているのに、預言者、祭司は、
「大丈夫。大丈夫」と言うのです。
本当は何も大丈夫ではないのに。

悔い改めの機会を与えないのです。
主に立ち返らせず、好き勝手にさせ、
よろめき倒れるままにさせます。

さばきを告げるのは、
そんなに簡単なことではないのです。
人の耳に優しい言葉を
私たちは語りたくなります。

それは主に立ち返る機会を
奪っていることになることを
忘れてはいけないと思うのです。

時が良くても悪くても、
主のことばを語り続け、
私たちの周りの人たちが
主に立ち返ることができるよう、
ともにお祈りしましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちの愛する人たちが

悔い改めることができるよう、
 私たちを用いてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】7月17日

結局、どうするつもりか[エレミヤ書 5:20-31]

結局、あなたがたはどうするつもりか。
           エレミヤ 5:31

イスラエルの民は、全く主を恐れず、
強情で逆らう心がありました。
主に立ち返れず、罪によって
良いものを拒むのです。

それに対して主は言われます。
「わたしが罰しないだろうか」と。
けれどその罰、さばきを前にしても、
イスラエルの民は悔い改めない。

預言者は偽りを預言し、
祭司は自分勝手に治め、
民はそれを愛しているのです。

そんな不信仰な彼らに主は
「結局、あなたがたは
 どうするつもりなのか」と
問いかけます。

立ち返るのか、立ち返らないのか。
自ら滅びを選ぶのかと言うことでしょう。
その問いにイスラエルの民は
沈黙するのです。

私たちにも主は常に問われます。
「結局、あなたはどうするつもりなのか」
主に従うのか、主を捨てるのか。

私たちは今日も主に従い、
主と共に歩む選択をすることが
できたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、どうかあなたを否むのではなく、

あなたに従うことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。