心に満ちていること[マタイ 12:31-37]
心に満ちていることを口が話すのです。
マタイ 12:34
私たちは言葉でよく失敗します。
無駄口をたたいたり、悪口を言ったり、
人を傷つけたり。
これは口が勝手に言っている
ことではありません。
私たちの心にあることが、
口を通して出てくるだけなのです。
ですから私たちの心に
何が満ちているかを知ることは
とても大切なことでしょう。
そして私たちの心にある
悪い考え、良くない思いを
どんどん捨てて、主の愛に
満たしていただけたら幸いです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、私たちの心にある悪を除き、
あなたの愛で満たしてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
聖書箇所:マタイの福音書11章25-30節
タイトル:たましいに安らぎを
神の国は来ている[マタイ 12:22-30]
わたしが神の御霊によって
悪霊どもを追い出しているのなら、
もう神の国はあなたがたの
ところに来ているのです。
マタイ 12:28
イエス様が悪霊に疲れた人を
癒やされたのを見て、
群衆はイエス様こそダビデの子
ではないかと言います。
それに対してパリサイ人たちは、
イエス様が悪霊を追い出しているのは、
悪霊どものかしらによると答えるのです。
それに対してイエス様は、
サタンがサタンを追い出し、
分裂しているなら、
その国は立ちゆかないと語られます。
そしてご自身が神様の御霊によって
悪霊どもを追い出していると
はっきり告げられるのです。
さらにご自分が悪霊どもを
追い出しているということは、
もう神の国が彼らのところに
来ていると言われます。
神の国、神様の支配が
イエス様の働きによって到来し、
どんどん広がっていくのです。
しかしこの世が完全に
神の国になるのは、
まだ先のことです。
イエス様が再臨された時、
神の国は完成され、
神様の支配が全域に及ぶのです。
この神の国の完成に向かう歩みの中に
私たちは生かされています。
そのために神の御霊によって
主のみわざをなすように召されているのです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、神の国の完成に向けて、
御霊によってあなたのみわざをなすことができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”主日礼拝” が持たれます。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
価値がある私たち[マタイ 12:9-21]
人間は羊よりはるかに
価値があります。
それなら、安息日に
良いことをするのは
律法にかなっています。
マタイ 12:12
安息日の議論はさらに続きます。
ユダヤ人の会堂に入られた
イエス様にパリサイ人たちは
質問するのです。
安息日にいやしを行うのは、
律法にかなっているかと。
彼らはイエス様を陥れるために、
片手の萎えた人を利用します。
ここでも彼らの愛のなさが
明らかにされるのです。
それに対してイエス様は
愛のあふれた応答されます。
羊が安息日に穴に落ちたら、
引き上げてあげるだろう。
この羊より人間は
はるかに価値がある。
だから彼を安息日に癒やすのは
当然ではないか。
安息日に良いことをするのは、
律法にかなっていると。
これを聞いて片手の萎えた人は、
どれほど大きな慰めを
受けたことでしょう。
自分など価値がないと
思っていた彼の心をも
イエス様は癒やされたのです。
一方、パリサイ人たちは
イエス様に恥をかかされたように感じ
イエス様をどうやって殺そうか
相談し始めます。
自分の愛のなさを嘆き、
悔い改めるのではなく、
自分の立場を守ろうとするのです。
私たちはどうでしょうか。
自らの罪を指摘された時、
明らかにされたとき、
どのような思いになるでしょうか。
悔い改めて、生きるでしょうか。
それとも自分の立場を守るために、
その事実を隠そうとするでしょうか。
一つ大切なことは、どんなに私たちが
罪深くても、私たちの価値は
変わることはありません。
ですから日々、自らの罪を認め、
悔い改めて生きることができるよう
お祈りしていきましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたが私たちを
価値ある者として見てくださることを
忘れることがありませんように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
安息日の主[マタイ 12:1-8]
人の子は安息日の主です。
マタイ 12:8
パリサイ人たちは空腹の弟子たちが
穂を摘んで食べているのを見て、
イエス様に弟子たちが安息日に
してはらないことをしていると訴えます。
それに対してイエス様は、
ダビデとその仲間たちが、
臨在のパンを食べたことなどを
引き合いに出されるのです。
イエス様は安息日は
ただ何もしていない日ではないことを
教えようとされました。
パリサイ人たちは人々を
自分たちの規準でさばくことに
一生懸命でした。
ですから彼らの内には神様が
喜ばれる真実の愛がなく、
冷たくなっていたのです。
そんな彼らにイエス様は
「人の子は安息日の主です」と
言われます。
これはイエス様が安息日を定められ、
安息日の規準であると言うことでしょう。
私たちがすることは人をさばくことではなく、
どんなときにもイエス様の声を聞くこと。
私たちは自分に取って都合の良い
フィルターをたくさん持っています。
それらのフィルターを通して、
物事を見るのではなく、
イエス様の視点で見ることが求められています。
そうすると私たちは冷めた目から自由になり、
神様が喜ばれる真実の愛に
生きることができるでしょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、自分の思い込みを捨て、
イエス様の視点で物事を見ていくことができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
わたしから学びなさい[マタイ 11:11-19]
わたしは心が柔和で
へりくだっているから、
あなたがたもわたしの
くびきを負って、
わたしから学びなさい。
マタイ 11:29
日々、私たちは疲れます。
色々な重荷があるのです。
そんな私たちをイエス様は
「わたしのところに来なさい」
と招かれます。
その招きに素直に
応じることができるでしょうか。
まだまだ自分で頑張ろうとしたり、
周りの人だけに頼ったり。
でも本当の休息を
与えてくださるのは
私たちの救い主である
イエス様だけです。
そしてイエス様は単に
ご自分のところに来て
休むようにではなく
ご自分から学ぶように言われます。
イエス様から学ぶとは、
イエス様が生きられたように
生きるということでしょう。
そのとき、私たちのたましいに
安らぎ、平安が与えられるのです。
今一度、自分の歩みを振り返り、
イエス様のように生きられるよう、
お祈りしていきましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、イエス様のもとにいき、
イエス様のように生きられますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
知恵が正しいこと[マタイ 11:11-19]
しかし、知恵が正しいことは
その行いが証明します。
マタイ 11:19
多くの人はバプテスマのヨハネが
来たるべきエリヤだとは
信じられませんでした。
それは彼らの霊的な目が
閉ざされていたからです。
それだけでなくヨハネのことも、
イエス様のことも否定するのです。
どれほどみことばを語り、
様々な素晴らしいみわざをされても、
人々の心は頑なになり、
踊らず、悔い改めず。
主の言葉に素直に従い、
主のみわざを素直に喜ぶことは、
私たちにとっても難しいですね。
何かいつも批判的に、
斜めから見てしまう傾向があります。
だからこそ主は
「耳のある者は聞きなさい」と言われます。
主のみことばに素直に従う心、
主のみわざを喜ぶ心を
主に与えていただきましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたのみことばに素直に従い、
あなたのみわざを喜ぶ者とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
つまずかない者は幸いです[マタイ 11:1-10]
だれでも、わたしに
つまずかない者は幸いです。
マタイ 11:6
バプテスマのヨハネは牢獄で、
イエス様こそ待ち望んでいた
救い主であろうかと悩みます。
そして弟子たちを遣わして、
イエス様に問いかけるのです。
ヨハネはイエス様に洗礼を授けたとき、
天からの声を聞いたはずです。
でも彼は確証が持てなかったのでしょう。
自分がイメージする救い主とは
違ったのでしょうか。
救い主が来られたのに、
自分が牢獄に入れられ続けている
意味が理解できなかったのでしょうか。
詳細はよく分かりませんが、
とにかくヨハネは一瞬、
イエス様につまずきそうになるのです。
そんな彼にイエス様は
ご自分がなしているわざを伝えるように、
ヨハネの弟子たちに命じます。
ヨハネはこのことを弟子たちから
伝え聞いて、イエス様こそ
救い主であることを
信じることができたことでしょう。
私たちもクリスチャンとして歩む中で、
イエス様につまずきそうになるときがあります。
そんなことを言ったら、みんなから
冷たい目で見られそうですが。
けれどヨハネも、ペテロも、
イエス様につまずきました。
どんなときにつまずくのでしょうか。
それは自分の理想を
イエス様に押しつけた時。
自分の願うように物事が
進まないとき。
そのようにつまずく私たちを
イエス様はさばかれません。
私たちがイエス様をさらに信じることが
できるように立たせてくださるのです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、すぐにつまずいたり、
失望したりする私たちをあわれんでください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
自分の十字架を負って[マタイ 10:34-42]
自分の十字架を負って
わたしに従って来ない者は、
わたしにふさわしい者ではありません。
マタイ 10:38
イエス様はご自分よりも家族を
愛する者はご自分にふさわしくない。
自分の十字架を負って従って来ない者は、
ご自分にふさわしくないと言われます。
私たちが何を第一にするかが
いつも問われているのです。
本来の私たちは自分のことを
第一にします。
それが自分の幸せであると
考えているからです。
でもイエス様はご自分を第一に
することが大切であると語られるのです。
そのように主を第一にするとき、
私たちは主にふさわしい者と認められ、
いのちの光の中を歩めるのです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、イエス様にふさわしい者として、
あなたを第一として歩めますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。