あわれまずにはいられない[エレミヤ書 31:10-22]
それゆえ、わたしのはらわたは
彼のためにわななき、
わたしは彼をあわれまず
にはいられない。
エレミヤ 31:20
主はイスラエルを責め、
さばくたびに、彼らのことを
思い起こすと言われます。
彼らが苦しむのを
見ていられない。
はらわたがわななき、
あわれまずにはいられない。
これが主の愛。
どんなに裏切られても、
どんなに不信仰でも
主は助けたい。
愛はとどまらない。
この愛を私たちは理解できないのです。
だから繰り返し罪を犯し、
報いを受ける。
そのたびに主は私たちを
あわれみ、私たちをどうにか
救いたいと働きかけてくださる。
この主の愛、主の忍耐が
私たちを救い、
私たちを生かす。
このあわれみと主の熱心を
忘れず、感謝して
歩むことができますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたのあわれみ、
熱心を忘れることがありませんように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
永遠の愛[エレミヤ書 31:1-9]
永遠の愛をもって、
わたしはあなたを愛した。
それゆえ、わたしはあなたに
真実の愛を尽くし続けた。
エレミヤ 31:3
主はイスラエルの神となり、
イスラエルは神の民となると
約束されます。
これまでも主はイスラエルの
神であったはずです。
それなのになぜあえて
彼らの神となると宣言されるのか。
それはバビロン捕囚によって
主は彼らとの関係をもう一度
立て直すという意味があったのでしょう。
そして彼らの神となり、
彼らが神の民となるとは、
神さま側の一方的な働きかけではなく、
イスラエルもまたそれに
応答していく必要がありました。
主なる神さまはアブラハムを
召したときから、いやそれ以前から
永遠の愛をもって彼らを愛し、
真実の愛を尽くし続けて来られたのです。
その愛に彼らは応えることができず、
好き勝手な歩みを続けてしまう。
でも主の愛は決して絶えず、
彼らの神となることを諦めなかった。
そして彼らを約束の地に
慰めながら連れ戻ると
約束してくださったのです。
同じように私たちに対する
主の真実の愛も決して絶えません。
私たちの神として、
私たちがどんな状態でも
私たちを慰め、ご自分のもとに
連れ戻ってくださる。
この真実の愛に私たちは
どのように応えるでしょうか。
まだ好き勝手に生き続けるでしょうか。
それとも神の民として
神さまの喜ばれる歩みを
選び取るでしょうか。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたの真実の愛を心から感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
傷を癒やされる主[エレミヤ書 30:12-24]
まことに、わたしはあなたの傷を治し、
あなたの打ち傷を癒やす。
エレミヤ 30:17
イスラエルの罪のために
彼らは主から容赦ない
懲らしめを受けます。
それは彼らが予想していなかった
厳しいものでした。
そのため彼らは傷つき、
痛んでいたのです。
彼らを擁護するものもなく、
癒やしてくれる人もない。
でも主は約束してくださいます。
彼らの傷を治し、
彼らの打ち傷を癒やすと。
彼らの傷は確かに癒やされがたく、
打ち傷は痛んでいました。
癒やすお方は主のみ。
主だけが癒やし主であり、
痛んだ傷を治してくださる。
私たちの傷も主が
いやしてくださいます。
主だけが最後まで
私たちを忘れません。
この主の癒やしを
待ち望んでいきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、私たちは自らの罪ゆえに傷ついています。
その傷をあなたが癒やしてくださることを心から信じます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
ニュースレター2024年7,8月合併号が発行されました。
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偽りに拠り頼ませ[エレミヤ書 28:1-17]
主はあなたを遣わされていない。
あなたはこの民を偽りに拠り頼ませた。
エレミヤ 28:15
預言者ハナンヤが、二年のうちに
捕囚の民と宮のすべての器が
エルサレムに戻されると
預言します。
これはイスラエルの民にとって
喜びの知らせであったことでしょう。
でもエレミヤはその預言が
真実ではないと感じていた。
そして主もまたエレミヤに
ハナンヤが偽りを預言し、
人々を偽りに拠り頼ませたと
告げるのです。
人の耳に心地よいことばを
語りたくなるのが人の常。
でも主のことばではなく、
偽りに拠り頼ませることが
どれほど大きな悪であるか。
主のことばに拠り頼ませるよう
人々を導くことの大切さを覚えます。
そして私たちも偽り、
聞き心地の良いことばに拠り頼むのではなく、
主の真実のことばに
拠り頼む者でありたいと願います。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたの真実のことばに
拠り頼む者とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
南ユダへの宣告[エレミヤ書 27:12-22]
彼らに聞き従ってはならない。
バビロンの王に仕えて生きよ。
エレミヤ 27:17
エレミヤはゼデキヤに
バビロンに仕えて生きよ
と語ります。
偽預言者たちは、バビロンへの
捕囚はすぐに終わり、
エルサレムに帰ることができると
預言していたようです。
でもそれは主のみこころではなく、
主の声ではなかったのです。
主は南ユダの人々が捕囚の地で
悔い改めて生きることを願っておられた。
どんな状況にあっても
「大丈夫」「平安だ平安だ」と
語り、人々を安心させるのが
主のみこころではありません。
しっかり自分の罪と向き合い、
罪の重みを感じ、へりくだることを
主はいつも望んでおられるのです。
私たちはどうでしょうか。
「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせ
自分の罪と向き合うことから
逃げていることはないでしょうか。
自らの罪と向き合い、
主の愛とあわれみによって
生かされている恵みを
覚えることができたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、自分の罪と向き合い、
悔い改めて生きられますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
偽りの預言[エレミヤ書 27:1-11]
彼らは、あなたがたに
偽りの預言をしているからだ。
エレミヤ 27:10
エホヤキムは南ユダの18代目の王。
彼の時代に主はエレミヤを通して
近隣諸国に伝言を送ります。
その内容は”バビロンに仕えよ”
というものでした。
そうしないと彼らを罰し、
皆殺しにすると。
預言者や占い師などは、
バビロンに仕えることはないと
人々に語っていたようです。
それは人々を励ますため。
でもそれは偽りでした。
主の契約はバビロンが
地を治めることだったのです。
これはにわかに
信じられないことです。
異邦人の王の手に、
すべての人を渡されるとは。
でも南ユダの人々も含め、
彼らが悔い改めて、
主に立ち返るために
このようなことをなさるのです。
主は私たちが主に立ち返り、
主のみこころに生きるように、
私たちに対しても、
にわかに信じられないことを
されるかも知れません。
そのとき私たちがどう
応答するかが問われるのです。
主に立ち返らず、
なお自分の道を歩むか。
へりくだって、
主の懲らしめを素直に
受け入れて
主とともに生きるか。
私たちが主の懲らしめを
しっかり受けとめ、
主とともに歩めますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたの働きかけに
素直に応答する者とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。