ナボテの所有地[列王記第二 9:14-26]
彼らはエフーを迎えに出て行き、
イズレエル人ナボテの所有地で
彼に出会った。
Ⅱ列王 9:21
イスラエルの王ヨラムは
まさかエフーが自分を
裏切るとは思っていません。
だからユダの王アハズヤと
ともにエフーを迎えに
出て行くのですが、
エフーに殺されてしまうのです。
しかも彼が殺されたのは、
ヨラムの父アハブが
ナボテから奪った畑でした。
ナボテの血の責任を
アハブの子どもが負う。
主は罪をそのままにされません。
その罪に報いを与えられるのです。
罪の報酬は死ですとあります。
私たちは自らの罪の報いを
受けて死ぬべき者たちでした。
”しかし”とパウロは続けます。
「神の賜物は、私たちの
主キリスト・イエスにある
永遠のいのちです」
死ぬべき私たちは
イエス様によって
永遠のいのちをいただき、
生きる者とされたのです。
この素晴らしい喜びの
知らせを今日も覚えつつ、
歩んで行きましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、死ぬべき私たちを
イエス様にあって生かしてくださり、
ありがとうございます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
油注がれるエフー[列王記第二 9:1-13]
「わたしはあなたに
油を注いで、
主の民イスラエルの王とする。
Ⅱ列王 9:6
北イスラエルの王ヨラムは、
アハブとイゼベルの息子でした。
主は列王記第一21章で、アハブが
自分の罪を嘆くのをみて、
預言者エリヤに言われます。
「・・・彼がわたしの前に
へりくだっているので、
彼の生きている間は
わざわいを下さない。
しかし、彼の子の時代に、
彼の家にわざわいを下す」
このことばが実現するために、
主はヨラム王に対抗する者
エフーに油を注ぐのです。
そして彼を通してアハブの家を
完全に絶ち滅ぼそうとされます。
当のエフーはビックリしたようですが、
主のみこころを受け入れ、
周りも彼を王と認めるのです。
それにしてもヨラムは、
アハブやイゼベルに比べて
主の前にそこまで悪くなかったようです。
でも彼は滅ぼされる。
これは主のことばが実現するために
他ならなかったわけですが、
主は何が何でもアハブの家を
滅ぼそうとされたのでしょうか。
主はアハブの家が心から
悔い改めることを望んでおられたはず。
だから彼らに対して忍耐しておられた。
でもアハブの家は悔い改めない。
そして自ら滅びを招いていくのです。
主の忍耐は救い。主はいつも私たちに
対して忍耐しておられる。
私たちが悔い改めて生きるように、
私たちに絶えず語りかけてくださる。
この主の語りかけに耳を傾け、
主に立ち返ることができたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたの忍耐を心から感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
ダビデに免じて[列王記第二 8:16-29]
しかし、主はそのしもべ
ダビデに免じて、
ユダを滅ぼすことを
望まれなかった。
Ⅱ列王 8:19
北イスラエルのアハブの影響は
南ユダの王家にも及びます。
アハブ家がしたように、
主の前に悪を行うのです。
けれど主は南ユダを
滅ぼすことを望まれません。
それは主がダビデとその子孫に
ともしびを与えるとダビデに
約束してくださったからでした。
主はダビデとの約束を
忘れられない。
彼の子孫が主に背いても
ダビデに免じて彼らに
忍耐深くあられるのです。
主は私たちに対しても
イエスさまに免じて
滅びることを望まれません。
私たちはイエスさまの
十字架のゆえに常に
赦してくださるのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、イエスさまのゆえに常に
赦してくださることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
主のタイミング[列王記第二 8:1-15]
ちょうどそこに、
子どもを生き返らせて
もらった女が、
自分の家と畑のことに
ついて王に訴えに来た。
Ⅱ列王 8:5
8章に登場する女性は、
4章に登場します。
彼女はエリシャにいつも
親切にしていたのです。
そのためエリシャは彼女のために
何か良いことをしてあげたいと
願います。そして彼女夫婦に
子どもがないことを知り、
彼女に「男の子を抱くようになる」と
約束するのです。
この約束通り、彼女に
男の子が与えられるのですが、
その子が大きくなったときに
突然、死んでしまいます。
このことをエリシャに彼女は伝え、
それを聞いたエリシャは、
主の力によって男の子を
生き返らせるのです。
この女性にエリシャは8章で
北イスラエルに飢饉が起こるから
違う国に寄留するように命じます。
女性はエリシャの言葉に従い、
ペリシテ人の地に7年住んで
帰って来ると、自分の家と畑が
違う人たちの手に渡っていたのです。
このことを王様に訴えるために
彼女が来ると、ちょうどその時、
ゲハジが王様から呼ばれて、
エリシャが行った大いなるみわざを
聞かせていました。
しかもエリシャによって
子どもを生き返らせてもらった
女性の話をしていたのです。
主のタイミングは絶妙です。
主が王さまにエリシャについて
知りたいという心を与え、
ゲハジを通して、エリシャが
行った奇跡を聞く。
ゲハジはナアマンの一件で、
大きな失敗をした若者でした。
その彼が主によって用いられる。
これは何という主の恵みでしょう。
私たちも人間的な思いで行動し、
失敗することがあります。
でも主はそんな私たちをも
用いてくださるのです。
その主のタイミングはいつも
絶妙で、私たちの思いを
はるかに超えています。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、弱い私たちを用いてくださることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”主日礼拝” が持たれます。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
目が開かれて[列王記第二 6:15-23]
「恐れるな。
私たちとともにいる者は、
彼らとともにいる者よりも
多いのだから」
Ⅱ列王 6:16
アラムの軍勢にエリシャの
住む町は包囲されます。
これを見て、エリシャに
仕えていた若者は動揺する。
一方、エリシャは恐れない。
それはエリシャが神さまの
軍勢を見ていたから。
エリシャは主に
若者の目が開かれ、
主の軍勢を見ることが
できるように祈ります。
その祈りによって、
若者の目は開かれ、
自分たちを取り囲んでいる
主の軍勢を見るのです。
私たちも目に見える事柄によって
動揺し、恐れることがあります。
そうすると主がいつもともにいて、
主の恵みが取り囲んでいるのに
それが見えない。分からなくなる。
その時、大切なことは、
私たちの霊的な目を
開いてくださるように
祈ることでしょう。
そうすると主の確かな
助けを私たちは見ることができ、
主の助けを待ち望むことができるのです。
今日も主に霊的な目を
開いていただきましょう。
そして主の恵みによって
勝利する一日でありますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、私たちの霊的な目を常に開き、
あなたの助けを待ち望む者とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
主の警告[列王記第二 6:1-14]
「あの場所を通らないように
注意しなさい。
あそこにはアラム人が
下って来ますから」
Ⅱ列王 6:9
アラムとの戦いにおいて
主はエリシャを通して、
アラム軍が陣を敷く場所を
教えてくださいます。
この警告をイスラエルの王は
素直に聞き入れ、その場所を
警戒するのです。
これが何度も繰り返されます。
これに対して、アラムの王は
動揺するのです。
味方の中に密告者がいるの
ではと考えます。
すると家来の一人が
預言者エリシャが王が寝室で
語られることまでイスラエルの
王に語っていると告げるのです。
これを聞いて、エリシャを
捕えるためにアラムの王は
大軍を送ります。
主の前にはすべてが明らかである。
この聖書箇所を通して
まず覚えることです。
それはアラムの王にとって
恐怖であり、イスラエルにとって
恵みでした。
私たちが主に背いているとき、
主がすべてをご存じであることは
恐ろしいことでしょう。
でも私たちが主とともに
歩んでいるとき、
主がすべてをご存じであることは
大きな祝福となります。
詩篇139篇にあるように、
主は私たちが座るのも
立つのも、私たちが
語ることばも、
私たちの歩み道も
すべて知っておられる。
私たちは神さまから離れて
どこにも行くことができない。
主の恵みは、ずっと私たちを
追って来てくださる。
この素晴らしい恵みを覚え、
主とともに歩ませていただきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたがすべてをご存じで
あることを心から感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
ナアマンの願い[列王記第二 5:15-27]
しもべはこれからはもう、
主以外のほかの神々に
全焼のささげ物やいけにえを
献げません。
Ⅱ列王 5:17
ナアマンは自分の病が
癒やされたことで、
主だけが唯一の神で
あることを知るのです。
そして彼は主以外の神々を
礼拝しないと誓います。
けれど彼は一つ心配なことが
あったのです。
それはアラムの王が
リモンの神殿で礼拝する時、
彼も一緒にひれ伏すこと。
ナアマンは預言者エリシャに
このことは自分の意思ではなく、
王の家来としてしなくてはならないこと。
だからそのことを主が赦してくれるように。
これを聞き、エリシャは答えます。
「安心していきなさい」
このことばはどれほどナアマンを
励ましたことでしょう。
異教の社会にあって
主を信じるとき、
乗り越えるべき、
様々なことがあります。
すぐにすべてを切り捨てる
ことができたら良いですが、
そうはいかないこともあるのです。
そのとき、私たちはどうするでしょうか。
妥協せず、だからといって
厳しくなりすぎず、
第三の道を探っていく。
エリシャも、すぐにリンモンの
神殿でひれ伏すことをやめなさい
とは命じませんでした。
おそらくナアマンはずっと
王の側でリンモンの神殿で
ひれ伏すことはなかったはずです。
主のタイミングで、
彼の役割は終わり、
主だけを礼拝できる環境が
備えられたでしょう。
大切なことは、
主以外の神々に
仕えないという心。
この心を主は喜び、
受け入れてくださるのです。
私たちも主以外に仕えないと
日々告白し、主に仕え、
主を礼拝しましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなただけが私たちの唯一の主です。
このことを覚え、いつも告白できますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
ナアマンのいやし[列王記第二 5:1-14]
・・・そうすれば、
あなたのからだは
元どおりになって、
きよくなります。」
Ⅱ列王 5:10
アラムの軍のリーダー・ナアマンは
ツァラアトに冒されていました。
その彼の妻にイスラエルの女性が
仕えていたのです。
彼女はナアマンのツァラアトが
治るためにサマリアの預言者の
ところに行くように言います。
それを聞いて、早速ナアマンは
サマリアに行くのですが、
北イスラエルの王は
ビックリして、恐れるのです。
それを聞いた預言者エリシャは
ナアマンを自分のところに
よこしてくださいと告げます。
ナアマンはエリシャのところに
行きますが、エリシャは出てこない。
エリシャの使者がエリシャの
ことばを伝えるのです。
ヨルダン川へ行って
七回身を洗え。
そうすればかだらはきよくなり
元どおりになると。
これを聞いてナアマンは激怒します。
彼がイメージしていたように
エリシャがしてくれなかったからです。
だから彼は国に帰ろうとします。
そうすると彼の部下が彼に
「難しいことを、預言者が命じるなら、
きっとそのことをしたでしょう。
でも預言者は『身を洗ってきよくなれ』と
言っただけ」と言うのです。
このアドバイスをナアマンは
素直に受け入れ、
ヨルダン川で身を洗うと
エリシャが告げたとおり、
ツァラアトが癒やされました。
主なる神さまは私たちが
願う方法で何もかも
されるわけではありません。
私たちが、こんなことと
思うようなことを用いて
みわざをなしてくださるのです。
ですから私たちに大切なことは
素直で、純粋であることでしょう。
こんなこと何になるのかと思って
何もしないなら私たちは
主のみわざを見ることができないからです。
今日も主の前に素直になり、
主のみわざを待ち望み、
主のことばに純粋な心で
従って行きましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、素直で純粋な心で
あなたに従う者とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
食べて残す[列王記第二 4:38-44]
「この人たちに与えて食べさせなさい。
主はこう言われる。
『彼らは食べて残すだろう。』」
Ⅱ列王 4:43
二つの食べ物に関する奇跡が
記されています。
一つはウリの毒を除いて、
人々に食べさせる。
もう一つは20コのパンで
100人のお腹を満たし、
さらに主のことばどおり、
食べ残すほど与えられます。
主は霊的な事柄だけでなく、
肉的な必要をも
満たして下さるお方。
私たちの思いを
はるかに超えたことを
主はしてくださいます。
その主に全面的に
信頼して歩めるかどうかが
いつも私たちに問われているのです。
イエス様は言われました。
「わたしがいのちのパンです。
わたしのもとに来る者は
決して飢えることがなく、
わたしを信じる者はどんなときにも、
決して渇くことがありません」
(ヨハネ6:35)
いつでも主のもとに行く。
主のもとに行くとは、
主に祈り、主を求めること。
そうしたら私たちは
主によって満たされ
決して渇くことがないのです。
今日も主を求め、主に信頼して
歩んでいきましょう。
主は私たちの思いをはるかに
超えた素晴らしいことをしてくださいます。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、いのちのパンであるイエス様に
信頼して歩めますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。