9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”主日礼拝” が持たれます。
*YouTubeでのライブ配信もします。
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【日々のみことば】9月7日
空の器[列王記第二 4:1-17]
「外に行って、近所の皆から、
器を借りて来なさい。
空の器を。それも、
一つや二つではいけません。」
Ⅱ列王 4:3
4章も、主がエリシャを通して
行われた奇跡が続いています。
前半、預言者の仲間の妻が
エリシャのところに来ます。
彼女は自分の窮乏を訴え、
自分の息子が奴隷として
売られようとしていると
告げるのです。
彼女としては
主を恐れている預言者で
あった夫が死に、
自分たちが苦しんでいる。
こんな一生懸命主に仕えたのに、
どうして、こんなことになったのか。
納得できない思いもあったでしょう。
そんな彼女にエリシャは
空の器を近所から
借りてくるように
命じるのです。
とても不思議な命令。
このピンチの時に、
空の器が何になるのか
と考えなくもありません。
でも彼女とその子どもは
エリシャの言うことに
素直に聞き従うのです。
このように素直に
聞き従ったとき、
彼らは主の奇跡、
主の素晴らしいみわざを見る。
一つの壺から空の器が
どんどん満たされていくのです。
それにしてもなぜ主は
空の器を集めさせたのでしょうか。
主ならたくさんの油を
どこからでも用意することが
できたはずです。
それは彼らがただ
与えられるだけでなく
主の働きに参与し、
主のわざを経験するためでした。
主は私たちの必要を満たされる。
でも何もしないで、
見ているだけではない。
主は私たちを用いられ、
空の器を満たしてくださるのです。
主は私たちとともに働きたい。
主は私たちとみわざを推し進めたい
と願っておられます。
ただ黙って、見ているのではなく、
積極的に主に求め、
主のみわざを待ち望みつつ
主のみわざに参与させていただきましょう。
そのとき、空の器は満たされ、
私たちは主のみわざを体験し、
主をほめたたえるものとされるからです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたのみわざに積極的に
参与することができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
【日々のみことば】9月6日
ヨシャファテの顔を立てる[列王記第二 3:13-27]
もし私がユダの王ヨシャファテの
顔を立てるのでなければ、
わたしは決してあなたに目も留めず、
会うこともしなかったでしょう。
Ⅱ列王 3:14
北イスラエルの王ヨラムは、
南ユダの王ヨシャファテと
エドムの王と一緒に、
モアブと戦うために出て行きます。
ところが途中で水がなくなります。
そのためヨラムは、ヨシャファテの
助言に従ってエリシャを尋ねるのです。
エリシャは最初、ヨシャファテに
冷たい態度を取ります。
けれどヨシャファテの顔を立てて
主の声を聞くのです。
主はエリシャを通して、
水が与えられ、モアブに
勝利すると告げます。
このことばどおり、
主は地を水で満たし、
モアブを打ち破るのです。
その時、モアブの王は
自分の息子を城壁の上で
全焼のささげ物として
ささげてしまいます。
これを見たイスラエル人も
モアブ人も、大変ショックを
受けたことでしょう。
そしてこのことのゆえに
イスラエル人に対する
激しい怒りが起こります。
イスラエル人はモアブ人を
自らの身勝手さゆえに
追い詰めてしまう。
確かに主はイスラエルを
あわれんで、水を与え、
彼らのいのちを救われます。
けれどモアブ人の王に
人身供養をさせるほどの
罪を犯させたのは
イスラエルの王ヨラムでした。
自分勝手な行動が人を追い詰める。
これは他人事ではありません。
いつでも自らの行いを省みて、
主の喜ばれる歩みを選び取っていきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、身勝手な行いが人を苦しめることを覚え、
自らの行いを省みて歩めますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
【日々のみことば】9月5日
罪に執着する[列王記第二 3:1-12]
しかし彼は、イスラエルに
罪を犯させたネバテの
子ヤロブアムの罪に執着し、
それから離れることがなかった。
Ⅱ列王 3:3
北イスラエルの7代目の
王アハブの子で、
まず王になったのは、
アハズヤでした。
でも彼は屋上から転落し、
2年で死んでしまいます。
そのため、アハブの
もう一人の息子ヨラムが
王となるのです。
彼は主の目に悪を行いますが、
父アハブ、母イゼベル、
兄弟アハズヤほどでは
なかったとあります。
バアルの石の柱を取り除き、
偶像を国から排除しようと
考えたようです。
けれど3節にあるように
ヤロブアムの罪からは
離れられず、
執着したとあります。
ヤロブアムの罪とは、
北イスラエルの人たちが
エルサレムの神殿に上らないように、
ベテルとダンに金の子牛の像を
据えたことでした。
このときから北イスラエルの民は、
金の子牛にいけにえをささげ
好き勝手な礼拝をはじめるのです。
この罪は北イスラエルを
ずっと縛り続け、
彼らを滅びへと向かわせます。
罪を捨てる、離れることの
難しさを覚えるのです。
私たちも救われる以前、
罪の奴隷でした。
罪から離れられず、
罪に執着していました。
そんな私たちを罪から
解放して下さったのがイエス様でした。
このイエス様のゆえに
私たちは罪の執着を捨てて、
生きられるようになりました。
しかしまだ罪の残りかすが
私たちの中にあるのです。
それが私たちに
まとわりついています。
だからこそ日々、まとわりつく
罪を捨て、罪から離れて
歩み続けていけるように
祈り続けることが大切なのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、まとわりつく罪を捨て、
あなたに従って歩めますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
【日々のみことば】9月4日
水を癒やされる主[列王記第二2:15-25]
「わたしはこの水を癒やした。
ここからは、もう、
死も流産も起こらない。」
Ⅱ列王 2:21
エリヤが天に上げられ、
エリシャが主の霊に
満たされるのですが、
主の預言者たちは
エリヤを捜そうとします。
でも彼らは当然ながら、
エリヤを見つけることが
できないのです。
さて19節でエリシャを通して
主は水を癒やされます。
主は水を癒やし、きよめ、
人を癒やし、きよめるお方。
この時代、北イスラエルは
偶像礼拝にまみれ、
主の前に汚れていました。
でも主は彼らを癒やそう、
きよめようとされていた。
水の癒しは、そのような主の
願いをも現わしているのでしょう。
同じように主は私たちの罪を
きよめ、永遠の死から
解放されました。
いのちを与えてくださったのです。
今、私たちはイエス様が下さる
永遠のいのちへの水を日々いただき、
その水を分かち合う者とされています。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、イエス様の恵みで私たちを癒やし、
私たちの内から永遠のいのちへの水を
湧き出させてくださることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
【日々のみことば】9月3日
天に上げられるエリヤ[列王記第二2:1-14]
・・・エリヤは竜巻に乗って
天へ上って行った。
Ⅱ列王 2:11
エリヤの後継者であるエリシャは
エリヤのあとについて行きます。
その先でエリヤが取り上げられる
ことをほかの預言者たちに告げられます。
このことはエリシャも
知っていたようです。
だからこそ彼はエリヤから
離れたくなったのでしょう。
そしてエリヤが実際に竜巻で
天へ上る前にエリヤはエリシャに
「あなたのために何をしようか」と
問うのです。
エリシャは「あなたの霊のうちから、
二倍の分を私のものにしてください」と
願います。
これはどういうことなのでしょうか。
エリシャにとってエリヤの後釜として
仕えることは大きなプレッシャーで
あったことでしょう。
だからエリシャはエリヤと一緒にいて
彼から多くのことを学ぼうとしたのです。
エリシャは恐らくエリヤとともにいる中で、
彼が自分の力に頼っていないことを悟ります。
いつも主に頼り、主の助けを求める
エリヤの姿を見て、彼のように
主の霊に満たされ、主に拠り頼んで
主に仕えることの大切さを知るのです。
私たちはどうでしょうか。
自分の力に拠り頼んでいないでしょうか。
主の霊に満たされ、御霊に生かされることが
できるようお祈りしていきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたの御霊に満たしてくださり、
御霊によって生かしてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
【日々のみことば】9月2日
五十人隊の長の懇願[列王記第二1:13-18]
「神の人よ、どうか私のいのちと、
このあなたのしもべ五十人の
いのちをお助けください。
Ⅱ列王 1:13
第三の五十人隊の長は
先の二人の隊長とは違い、
主の前にへりくだり、
あわれみを求めます。
霊的に大変落ちている時にも
主によって霊的な目が
開かれている人がいるのは
主のあわれみでしょう。
主はエリヤに彼と一緒に
下って行くように命じられます。
エリヤにとってもアハブの息子
アハズヤのところに行くのは
大きな抵抗があったはずです。
でも主のことばに素直に従い、
アハズヤのところに行きます。
そして彼に使者たちに告げたことばと
同じことばを告げるのです。
このように主のことばを直接聞いても
アハズヤは悔い改められず、
死ぬことになります。
主は何度もアハズヤに
悔い改める機会を与えられました。
でも彼の頑なな心は砕かれず、
死を招くのです。
私たちにも絶えず主は
悔い改めの機会を与えてくださいます。
そのとき頑なに主のことばを
無視するのではなく、
素直に主のことばに聞き、
悔い改めることができたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、日々悔い改めて、歩めますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。


