心を痛める[列王記第二 22:1-20]
あなたは心を痛めて
主の前にへりくだり、
自分の衣を引き裂いて
私の前で泣いたので、
わたしもまた、
あなたの願いを聞き入れる
ー主のことばー。
Ⅱ列王記 22:19
主の前に罪を犯した
アモンの子ヨシヤが
王となります。
彼は主の目にかなうことを行い、
ダビデの道に歩むのです。
そんなヨシヤに主の律法の書が
見つかったと報告されます。
その書のことばを王が聞いたとき
彼は自分の服を引き裂き、
自らの罪と先祖の罪を
悔い改めるのです。
みことばは私たちを励まし
慰めてくださいます。
一方で、私たちの罪を
明らかにするのです。
そのときヨシヤのように
心を痛めて主の前に
へりくだることを
主は待っておられます。
自らの罪を嘆き悲しみ、
主の赦しとあわれみを
祈り求めるなら、
私たちはさらに主の恵みを
味わうことができるでしょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、自らの罪を嘆き、
あなたの赦しを求めることができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
マナセの罪[列王記第二 21:1-26]
わたしは、この宮に、
そしてわたしがイスラエルの
全部族の中から選んだエルサレムに、
わたしの名をとこしえに置く。
Ⅱ列王記 21:7
ヒゼキヤの子マナセは、
再び南ユダに偶像礼拝を
持ち込みます。
まとわりつく罪から完全に
離れられないのです。
主の神殿に偶像の神々を
安置します。
主の宮は、主の名を置くと
主が約束してくださったところ。
そして主の命令を守るなら、
イスラエルを守ると告げられた場所。
それを忘れ、ことごとく
主の命令を破ってしまいます。
これに対して主は怒りを燃やされる。
彼らにさばきを下すと。
繰り返される王たちの裏切り。
赦し、癒やされても、
他の神々に心を奪われる。
主の目に悪をおこなう。
これは他人事ではありません。
私たちもまた、そのような罪人。
罪に傾き、罪から抜け出せない。
主の御怒りを受けるべき子ら。
そんな私たちを主はあわれみ、
イエスさまを送って下さいました。
イエスさまは罪に苦しみ、
主の目に悪を行ってしまう
私たちの身代わりに
十字架にかかって下さったのです。
このイエスさまの十字架の死によって
私たちは罪に死に、キリストにあって
生きる者とされています。
この素晴らしい恵みを覚えつつ、
なお罪に流されやすい
身であることを忘れず、
主に祈って歩んでいきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、罪にはまりやすい私たちです。
どうか私たちをあわれんでください。
そして私たちが罪にとどまることがないよう、
助けてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
すべてを見せる[列王記第二 20:12-21]
ヒゼキヤがその家の中、
および国中で、
彼らに見せなかった物は
一つもなかった。
Ⅱ列王記 20:13
ヒゼキヤが病気だったことを
聞いて、バビロンの王が
使者を遣わします。
これをヒゼキヤは喜び、
彼らを歓迎し、彼らに家の中、
国中のすべてを見せるのです。
大国の王が自分を
気遣ってくれている。
ヒゼキヤは舞い上がってしまう。
そんな彼に主はイザヤを
遣わして告げられます。
バビロンにすべてのものが
運び去られると。
ここで何が問われているのでしょうか。
それはすべてを人の前に
明らかにしてしまうことでしょう。
ヒゼキヤは見ず知らずの
バビロンの王の使者を
何も考えず歓迎し、
すべてをオープンにする。
これが彼の落とし穴でした。
すべてをオープンにするのは
主なる神さまだけでしょう。
では周りの人は何も話さず、
自分をオープンにしては
いけないのでしょうか。
そうではないでしょう。
だれに自分をオープンにし、
だれに心を許すか、
これはとても大切なこと。
主は必ず私たちの周りに
ふさわしい人を
備えてくださいます。
私は以前、だれにも自分の心を
オープンにするのはダメだ。
神さましか分かってくれるお方は
いないと思っていたのです。
これによって孤独になり、
辛い時期を過ごしました。
でも今、私の心は変えられ、
主が備えてくださった愛する友・家族に
ある程度分かち合うことが
できるようになったのです。
この主なる神さまを
中心にした交わり、
すべてをご存じの主イエスさまの
御名によってともに祈るとき、
私はいつも励まされ、強められ、
慰められています。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたが常にふさわしい人を
備えてくださることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
ヒゼキヤの涙[列王記第二 20:1-11]
「私はあなたの祈りを聞いた。
あなたの涙も見た。見よ、
わたしはあなたを癒やす。
Ⅱ列王記 20:5
病気で死にかかっていた
ヒゼキヤに主はイザヤを遣わし、
「あなたは死ぬ。治らない」と
告げられます。
それを聞いてヒゼキヤは
大声で泣き、自分がどれほど
真実に主に仕えてきたかを
祈るのです。
この祈りを主は聞かれ、
彼の涙を見てくださり、
彼を癒やすと答えられます。
ヒゼキヤの涙の祈りが聞かれる。
死を逃れ、寿命がもう15年加えられる。
ビックリするような記事です。
私たちは、これが運命だ、
みこころだとすべてを素直に
受け入れることが信仰者の
姿だと思っていることがあります。
でも主は私たちの祈りに
心を動かされ、
祈りに答えてくださることが
分かるのです。
運命、みこころとして
すべてを諦めるのではなく、
祈ることを主は待っておられる。
そして私たちの祈りを聞き、
私たちの涙を無駄にはされない。
この主に信頼して、
主に祈り求めることは
何と幸いなことでしょうか。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたが私たちの祈りを聞き、
私たちの涙を見てくださることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
祈りを聞かれる主[列王記第二 19:20-37]
「あなたがアッシリアの
王センナケリブについて、
わたしに祈ったことを、
わたしは聞いた」
Ⅱ列王記 19:20
主はヒゼキヤの祈りを
聞いてくださいます。
主は南ユダをアッシリアの
手から救い出してくださるのです。
このとき、エルサレムは
アッシリア軍に囲まれ、
厳しい状況にありました。
そんな彼らに主は望みを
与えられるのです。
下に根を張り、
上に実を結ぶと。
主はエルサレムを回復される。
これは彼らの力によるのではなく、
主の熱心がこれを
成し遂げてくださるのです。
そして彼らの救いは究極的には
主のためであり、ダビデのため。
主が栄光を現してくださるため、
そしてすべての国が
主なる神さまを知るためなのです。
私たちの救いも、
主の栄光のためであり
主の素晴らしさを
多くの人たちが知るためです。
このことを忘れず、
主のあわれみによって
救われた者たちとして
主の恵みを証ししていきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、私たちを通して、
あなたの素晴らしさがほめたたえられますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”主日礼拝” が持たれます。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。