生ける神の子ら[ホセア 1:1-11]
しかし、わたしはユダの家を
あわれみ、彼らの神、
主として、彼らを救う。
ホセア 1:7
今日からホセア書になります。
ホセアが預言者として仕えた時代、
北イスラエルは主に背き続け、
滅びに向かっていたのです。
主はご自分を否み、他の神々に
膝をかがめるイスラエルに、
さばきを告げます。
主はイスラエルの家を
あわれむことなく、
決して彼らを赦さないと。
一方、南ユダに対しては
彼をあわれみ、彼らの神として
彼らを救うと約束してくださるのです。
さらに9節で北イスラエルに対して
「あなたがたはわたしの民ではなく、
わたしはあなたがたの神ではないからだ」と
告げられます。
北イスラエルを一旦見捨てられる主。
けれど10,11節で
『「あなたがたがわたしの民ではない」と
言われた場所で、
彼らは「生ける神の子ら」と言われると
回復を預言してくださるのです。
主はいつまでも見放しておられない。
この主のあわれみはずっと変わることなく、
今の私たちにも注がれています。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたのあわれみに心から感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
主は私とともに[Ⅱテモテ 4:9-22]
主は私とともに立ち、
私に力を与えてくださいました。
Ⅱテモテ 4:17
パウロの宣教において、
彼を見捨てる人も
ありました。
見捨てられること、
離れていく人の存在は
パウロにとって大きな
痛みだったでしょう。
でも彼は一人ではなかった。
彼とともに宣教を担う
人が与えられていました。
またパウロはマルコを伴って、
一緒に来てくださいと
お願いしているのです。
マルコは、第一次伝道旅行で
先に帰ってしまい、
パウロの怒りを買った人物です。
でもこのときパウロは
マルコのことを
「私の務めのために役に立つ」と
評価しています。
パウロはマルコにもう一度
主の働きをするための
チャンスを与え、
彼はそれに応えることができたのでしょう。
さらに17節で、主が自分とともに立ち
力を与えてくださったと証しします。
自分の宣教の働きは
主の力の現れだったと。
私たちとも主はともに
立ってくださり、
力を与えてくださいます。
私たちは一人ではないのです。
ときに一人で信仰の戦いを
戦っているような孤独を
味わうことがあります。
でも主が私たちを支え、
私たちを通して、
主が福音を語ってくださるのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたが私たちとともに立ち、
力を与えてくださることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
みことばを宣べ伝えなさい[Ⅱテモテ 4:1-8]
みことばを宣べ伝えなさい。
時が良くても悪くても
しっかりやりなさい。
Ⅱテモテ 4:2
どんなときにも、
みことばを宣べ伝える。
パウロもみことばを
伝えることに恐れを覚えた時がありました。
そのとき主は「恐れないで、
語り続けなさい。
黙ってはいけない」と
励ましてくださったのです。
この励ましと主の助けによって
パウロは勇敢に戦い抜き、
走るべき道のりを走り終え、
信仰を守り通すことができました。
私たちもまた主の励ましと
助けによって勇敢に
信仰の戦いを戦い抜き、
信仰を守り通すことができると信じます。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、みことばを宣べ伝え、
信仰を守り通すことができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”主日礼拝” が持たれます。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
真理を知る[Ⅱテモテ 3:1-9]
いつも学んでいるのに、
いつになっても真理を
知ることができません。
Ⅱテモテ 3:7
終わりの日には困難な時代が来る
とパウロは警告します。
そのとき、人々は身勝手な
行動をして不信仰になる。
そのような人たちを避けるように。
このパウロのリストを見て、
自分の罪深い姿も
明らかにされました。
いつも学んでいるのに、
いつになっても真理を
知ることができない。
頭でっかちの信仰になり、
行いが伴わず、霊的に盲目で
父なる神さま、イエスさまを
本当の意味で分からない。
信仰の失格者。
イエスさまは嵐の中で
恐れ惑う弟子たちに
言われました。
「信仰の薄い人たち」
「まだ信仰がないのですか」
「あなたがたの信仰は
どこにあるのですか」
自分のことばかりを考えるなら
私たちは信仰の薄い者、
信仰が失われてしまう。
だからこそ私たちは
自分を捨て、自分の十字架をおって
イエスさまについていくように
召されているのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、信仰の失格者となることなく、
あなたのみこころに生かしてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
きよい心で[Ⅱテモテ 2:14-26]
・・・きよい心で主を
呼び求める人たちとともに、
義と信仰と愛と平和を
追い求めなさい。
Ⅱテモテ 2:22
何の益にもならず、
人々を滅ぼすことになる
ことばの論争、俗悪な無駄話、
それらを避けるように。
私たちがこの世に
どっぷり浸かり、
心の中心に自分がいると、
私たちは神さまのみこころとは
正反対の歩みをするようになります。
戦う欲望が顔を出し、
自分の考えを強要し、
人を殺すことばを語る。
私たちに委ねられているのは、
自分の思いを追い求めることではなく、
きよい心で主を呼び求める仲間たちと
義と信仰と愛と平和を追い求めること。
すなわちキリストの生き方に倣い、
キリストのあとについていくこと。
そのために私たちには
聖書が与えられているのです。
イエスさまがどのように
生きられたかを思い巡らし、
主の役に立つしもべと
なることができたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、イエスさまの歩みにならい、
歩む力を与えてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
常に真実なお方[Ⅱテモテ 2:1-13]
私たちが真実でなくても、
キリストは常に真実である。
ご自分を否むことが
できないからである。
Ⅱテモテ 2:13
パウロもテモテも
キリストのゆえに
多くの戦いがありました。
その戦いの最中、
テモテはつまずき、
倒れそうになるときが
あったのでしょう。
そんな彼にパウロは
キリスト・イエスにある
恵みによって強くなりなさい
と励まします。
またイエスさまのことを
心に留めるように
勧めるのです。
イエスさまはダビデの
子孫として生まれ、
死者の中から
よみがえられた方。
この福音を宣べ伝えたことで
パウロはローマで
投獄されていたのです。
でも彼は神のことばは
つながれていないと
はっきり宣言します。
11節以降、一つの真実な
ことばをテモテに
伝えるのです。
私たちがキリストとともに
死んだのなら、
キリストとともに生きる。
耐え忍んでいるなら、
キリストとともに王となる。
私たちが真実でなくても、
キリストは真実である。
キリストはご自分を
否むことができないから。
今、私たちはキリストと
ともに死に、キリストとともに
生きる者とされています。
それでも私たちは弱さがありますし、
主を否定してしまう弱さがある。
常に真実に生きられるかというと
そうではない。
でもキリストは常に真実であり、
私たちを決して拒まず、
私たちのために救いを
完成してくださるのです。
この真実のイエスさまに
頼る人生に間違いはありません。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、真実なあなたとともに歩ませてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
私たちの救い[Ⅱテモテ 1:9-18]
神は私たちを救い、
また、聖なる招きをもって
召してくださいましたが、
それは私たちの働きに
よるのではなく、
ご自分の計画と恵みに
よるものでした。
Ⅱテモテ 1:9
私たちの救いは、
私たちの行いではなく、
三位一体の神さまの計画と
恵みによるのです。
しかも私たちを捜し、
救い出してくださったのは、
決して偶然ではありません。
思いつきでもないのです。
永遠の昔に与えられ、
イエスさまがこの世に
遣わされたときに
明らかにされました。
キリストは、その十字架の
死と復活によって、
死を滅ぼし、いのちと不滅を
明らかにしてくださったのです。
私たちは永遠に主とともに
生きるものとされ、
主を喜び、賛美して
主の御側で憩うことができる。
でもその歩みは決して
楽なものではありません。
戦いがある。
だからこそパウロは
キリストにある信仰と
愛のうちに、健全なことばを
手本として歩むように命じるのです。
イエスさまにとどまり
みことばに聞き続ける。
これこそ私たちの生きる道。
今日も一日、イエスさまを呼び
父なる神さまのもとに帰り、
みことばを喜びとしましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、私たちの救いを永遠の昔から計画され、
今私たちを救ってくださったことを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
ニュースレター2024年11月号が発行されました。
下の画像をクリックすると、全体がご覧いただけます。
力と愛と慎みの霊[Ⅱテモテ 1:1-8]
神は私たちに、
臆病の霊ではなく、
力と愛と慎みの霊を
与えてくださいました。
Ⅱテモテ 1:7
この手紙はパウロの最後の
手紙と言われています。
パウロはいつもテモテの
ことを思い、祈っていました。
そして彼に願うのです。
パウロの按手によって
テモテにのうちに与えられた
神さまの賜物を、
再び燃え立たせて欲しいと。
この神さまの賜物とは、
御霊なる神さまのことでしょうか。
彼に与えられた御霊は、
臆病の霊ではなく、
力と愛と慎みの霊。
テモテは宣教することに
福音のために苦しむことに
恐れを感じ、弱気になって
いたのかもしれません。
そんなテモテをパウロは励ます。
そして神の力によって、福音のために
私と苦しみをともにして
欲しいと願うのです。
福音宣教は喜びもありますが、
多くの苦しみも伴います。
パウロもコロサイ人への手紙1章24節で
「教会のために、自分の身をもって、
キリストの苦しみの欠けたところを
満たしているのです」と語るのです。
私たちのも、キリストと苦しみを
ともにする使命があります。
そして苦しみをともにすることで
主はさらに素晴らしいみわざを
なしてくださるのです。
今日も主を証しすることを
恥とせず、力と愛と慎みの霊によって
強められて、主の素晴らしさを
証しすることができたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたが与えてくださったのは、
臆病の霊ではなく、
力と愛と慎みの霊であることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。