神さまに望みを置く[Ⅰテモテ 6:11-21]
私たちにすべての物を
豊かに与えて楽しませて
くださる神に望みを置き、
Ⅰテモテ 6:17
パウロは金銭を追い求めるのでなく、
義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を
追い求めるように命じます。
また信仰の戦いを立派に戦い、
永遠のいのちを獲得するように。
私たちはこの世において、
信仰の戦いがあります。
私たちをキリストから
引き離そうとする力が
働くのです。
でも私たちは信仰の戦いを
一人で戦い抜くのではありません。
主がいつも私たちとともにおられ、
私たちに戦う力を与えてくださるのです。
また私たちは私たちに
すべての物を豊かに与えて
楽しませてくださる神さまに
望みを置くようにとパウロは勧めます。
わが身の望みは ただ主にかかれり
主イエスのほかには 寄るべき方なし
この賛美にあるように、私たちの望みは
父なる神さま、御子イエスさまの
ほかにはありません。
今日も主に望みを置いて、
主を喜び賛美していきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたのほかに望みはありません。
あなたに信頼して歩みます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”主日礼拝” が持たれます。
*YouTubeでのライブ配信もします。
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きよく保つ[Ⅰテモテ 5:17-6:2]
自分を清く保ちなさい。
Ⅰテモテ 5:22
誰の目にも明らかな罪もあれば
隠されている罪もあります。
罪が明らかにされたとき、
悔い改めに導くのが
教会に与えられた使命。
罪をうやむやにして
まして罪に加担してしまうことなく
自分を清く保つように
勧めるのです。
自分を清く保つとは、
罪に流されないように祈り、
自らの罪を一つひとつ
告白していくことでしょう。
罪を隠し、内にとどめない。
罪にキリストの光をあて
罪を捨てる。
そしてキリストの光の中を
常に歩み続けて行くことで
私たちは自分を清く
保つことができるのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、日々あなたの前に罪を明らかにして、
自分を清く保つことができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
敬愛を示し[Ⅰテモテ 5:1-16]
自分の家の人に敬愛を示して、
親の恩に報いることを学ばせなさい。
それが神の御前に喜ばれることです。
Ⅰテモテ 5:4
教会の愛する家族に対する
心構えをパウロはテモテに
教えています。
またやもめに対する
教会としての姿勢を
明らかにするのです。
やもめの中の本当のやもめとは、
全く身寄りのない人のこと。
彼女たちを大事にするように。
やもめになった人で、
家族がいるなら、彼らが彼女の
世話をするように命じます。
これは父と母を敬うことを
学ぶためなのです。
福祉などが充実していない
時代にあって、本当のやもめを
助けることはとても大切だったのでしょう。
今の時代は福祉が充実し、
様々な助けが受けられます。
それでも教会の使命は、
助けが必要でも助けが
受けられない人たちを
助け、愛すること。
教会が教会であるため、
教会が教会の使命を果たすために、
何を主が求めておられるか、
どうしたら隣人を自分自身のように愛せるか。
いつも祈りつつ、行動できたらと願います。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、本当に困っている人たちに
手を差し伸べることができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
よく気をつける[Ⅰテモテ 4:1-16]
自分自身にも、
教えることにも、
よく気をつけなさい。
Ⅰテモテ 4:16
偽善によって信仰から
離れる人々が出て来るのです。
自分が信仰的であると
見せるために禁欲的になる。
そんな偽善的な教えに対して
パウロは神が造られたものは
すべて良いもので、
感謝して受けるとき
捨てるべきものはないと。
また若い伝道者であるテモテに
信徒の模範となりなさい。
聖書の朗読と勧めと教えに
専念するようにと勧めます。
そして16節で、自分自身にも、
教えることにも気をつけるように。
人々を教えるだけで、
自分は何もしないのではなく、
自分自身も教えに従うこと。
そうすれば、自分自身と
教えを聞く人たちを
救うことになる。
救うことになるとは、
どういうことでしょう。
これは救いの完成へ
向かっていくこと。
救い主である生ける神に、
望みを起き続けるなら、
私たちは信仰から外れることなく、
キリストの似姿に
変えられていくのです。
これは自動的で、
簡単な歩みではありません。
労苦し、苦闘することも
多くあるのです。
だから私たちは信仰の戦いに
勝利するために、目を覚まし
続けていく必要があります。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、いつもあなたに踏みとどまることが
できるよう、私たちを導いてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
神の家とは[Ⅰテモテ 3:8-16]
・・・神の家とは、
真理の柱と土台である、
生ける神の教会のことです。
Ⅰテモテ 3:14
パウロは続いて執事の
資質について語ります。
そして執事として立派に仕えるなら、
良い歩みができ、
キリストを信じる信仰について、
強い確信を持つことができると。
自分の不完全さを悟り、
主によって変えられ、
主に仕えるときに、
信仰が成長するのです。
また14節でパウロは近いうちに
エペソの家の教会を訪れる
つもりであったようです。
でも遅れたときに、
神の家でどのように
行動すべきかをテモテに
教えるために、
この手紙を書いたようです。
そして15節で、神の家とは、
真理の柱と土台である
生ける神の教会のことだと
パウロは語ります。
イエスさまはペテロがご自分のことを
「あなたは生ける神の子キリストです」
と信仰告白した後、
「わたしはこの岩の上に、
私の教会を建てます」と告げられたのです。
ペテロの信仰告白の上に
建てられた教会。
また真理の柱と土台の上に
生ける教会は建てられています。
その中心はキリスト。
教会はイエスさまへの信頼、
イエスさまを信じる信仰によって
強められ、成長していくのです。
でも時々、油断をしていると、
人間が中心となり、
人間的な考えに
支配されてしまうことがある。
だからいつでも生ける神の
教会がどのように歩むことが
ふさわしいかを問い続けて
いくことが大切なのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、生ける神の教会がキリストを中心に
成長していけますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
監督・リーダーの資質[Ⅰテモテ 3:1-7]
自分自身の家庭を
治めることを知らない人が、
どうして神の教会を
世話することができるでしょうか。
Ⅰテモテ 3:5
とても厳しく、
耳の痛い箇所の一つです。
監督・リーダーの資質を見ると、
ほぼ自分には当てはまらない。
「自分の家庭をよく治め」なんて
言われても、全然できていません。
いつも私は自分がリーダーとしての
素質がなく、ふさわしくないと感じるのです。
では、ここでパウロはテモテに
完璧なリーダー像を押しつけ、
彼を追い込もうとしていたのでしょうか。
そうではありません。
確かなことは、ふさわしくない、
素質がない者を
主が召してくださったということ。
リーダーは高ぶりやすい。
偉くもないのに偉そうに、
自分の力で何でもやれると
勘違いしてしまう。
だから私たちは常に謙遜に
自分がリーダーとして
ふさわしくないことを
覚えておく必要があるのです。
そして覚えるだけでなく、
リーダーとして召された者として
いつも自分自身のあり方を問い、
主によって変えていただく。
これはリーダーだけの
問題ではないでしょう。
今日の箇所に書かれていることは
キリスト者として大切。
主は不完全な私たちを召して、
神の子として、神さまの栄光を
現す器としてくださっています。
ですからいつでも心を
新たにすることで、
自分を変えていただこう
ではありませんか。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、本当にふさわしくない者を
あなたは召してくださり、
私たちを通してあなたの栄光を
現してくださることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
きよい手をあげて[Ⅰテモテ 2:8-15]
男たちは怒ったり、
言い争ったりせずに、
どこででも、きよい、
手を上げて祈りなさい。
Ⅰテモテ 2:8
すべての人のために願い、祈り、
とりなし、感謝をささげるように
勧めたパウロは、8節で怒らず
言い争わず、どこででも
きよい手を上げて祈るように命じます。
きよい手を上げるとは、
どういうことでしょうか。
すべてを主に委ね、
主の素晴らしさをほめたたえること。
怒り、言い争いは、
自分で何でもかんでも
解決しようとする
思いからきます。
祈りはすべてを手放し、
主のみわざを待ち望むこと。
自分で自分を救い、
弁護する必要はないのです。
主が何もかもなしてくださる。
私たちのすべきことは
私たちの握っているものを
すべて放すこと。
そうする中で、私たちは
心に平安をいただき、
主をほめたたえ、
主を賛美するものと
変えられるのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、握っているものを手放し、
あなたにすべてを委ねていけますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”主日礼拝” が持たれます。
*YouTubeでのライブ配信もします。
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あわれみを受けた[Ⅰテモテ 1:12-20]
しかし、信じていないときに
知らないでしたことだったので、
あわれみを受けました。
Ⅰテモテ 1:13
パウロは自分がどれほど
主に逆らい、
主を悲しませてきたかを
告白します。
そんな彼を主はあわれんでくださり、
主の恵みがキリスト・イエスにある
信仰と愛とともに満ちあふれたと
主の御名を賛美するのです。
さらに自分は罪人のかしらだと。
パウロは救われる以前、
自分の行いを、信仰を
誇っていたことでしょう。
しかし主イエスさまに出会い、
主イエスさまによって砕かれた
彼はすべての誇りが無になり、
主のあわれみによって
生かされていることを知るのです。
私たちも罪人のかしら。
罪しか犯すことができず、
良い行いなど全くできませんでした。
そんな私たちを救うために
イエスさまが来てくださり、
十字架にかかって死んで、
三日目によみがえってくださいました。
これによって私たちは
永遠のいのちを得て、
主とともに生きる者となったのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、罪人のかしらであった私たちを救い、
永遠のいのちを与えてくださり、ありがとうございます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。