宣教を続ける[ルカの福音書 4:31-44]
「ほかの町々にも、神の国の福音を
宣べ伝えなければなりません。
わたしは、そのために
遣わされたのですから」
ルカ 4:43
イエスさまはカペナウムで
神の国の福音を宣べ伝え、
悪霊を追い出されました。
人々はイエスさまの
ことばの権威と力に
驚くのです。
また病気の人を癒やされ、
多くの人が癒やしを求めて
イエスさまのところに
連れて来られました。
そんなイエスさまの力を
味わった人々はイエスさまが
ずっと自分たちのところにいて
欲しいと思い、
引き止めておこうとするのです。
けれどイエスさまは他の町にも
神の国の福音を宣べ伝えるために
ご自分は来られたと言われ、
ユダヤの諸会堂で宣教を続けます。
イエスさまを引き止める。
イエスさまに自分の思い通りに
動いてもらいたい。
このような思いは
私たちの中にありますね。
イエスさまを利用するのが
私たちのすべきことではないのです。
イエスさまが何よりも
願っておられるのは、
神の国の福音が広まり、
人々が救われること。
この主の願いを私たちの願いとし、
私たちもイエスさまとともに
神の国の福音のために
働くことができたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、神の国の福音の広がりのために
私たちを用いてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
人々のつまずき[ルカの福音書 4:14-30]
「あなたがたが耳にしたとおり、
今日、この聖書のことばが
実現しました。」
ルカ 4:21
イエスさまはご自分の故郷
ナザレに帰られます。
そこの会堂で恵みのことばを
語るのです。
それを聞いて、人々はみな驚きます。
でも彼らは預言されていたとおり
救い主が来られたと
驚いたわけではなかったのです。
「あのヨセフの子が・・・」が
なぜあんな立派なことを語れるのか。
そして驚くだけで、
ことばに感動するだけで信じない。
そんな彼らの不信仰を
イエスさまは真っ直ぐに
指摘されるのです。
旧約時代からずっとイスラエルの民は
主のことばを信じなかった。
だから主は異邦人のところに
預言者を遣わされ、癒やされたと。
これを聞いて会堂にいた人たちは怒る。
自分たちが侮辱されたように
感じたからですね。
私たちも自らの不信仰を
指摘されると怒りがこみ上げてくる。
でも私たちは主に全き信頼を
置けない者であることを忘れてはいけない。
不信仰を指摘されたら、
「主よ、悔い改めます。あなたを信じます。
不信仰の私をあわれんでください」と
へりくだって祈ることができたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、不信仰の私をあわれんでください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
9時30分より ”イズミンキッズ” です。
10時30分より ”主日礼拝” です。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
天からの声[ルカの福音書 3:15-38]
「あなたはわたしの愛する子。
わたしはあなたを喜ぶ。」
ルカ 3:22
ユダヤ人はローマ帝国の支配から
解放してくれるキリストを
待ち望んでいました。
彼らがヨハネの働きを見たとき、
彼こそキリストではないかと
心の中で考えていたのです。
しかしヨハネは自分が
キリストではないと
明確に否定します。
自分よりも力のある方が
来られると。
そのイエスさまがヨハネから
バプテスマを授けられます。
そのとき聖霊が
イエスさまに下り、
父なる神さまから
次のように語り掛けられるのです。
「あなたはわたしの愛する子。
わたしはあなたを喜ぶ」
イエスさまは父なる神さまの愛する子。
父なる神さまの喜び。
そのイエスさまを父なる神さまは
遣わしてくださったのです。
また大きな恵みは
イエスさまにあって
神の子とされた私たちも、
父なる神さまの愛する子であり、
喜びであるということです。
このことを心に留めて、
神さまの愛する子として
喜びと感謝をもって
歩むことができたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、私たちを愛し、
喜びとしてくださることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
どうすればよいか[ルカの福音書 3:1-14]
群衆はヨハネに尋ねた。
「それでは、私たちは
どうすればよいでしょうか。」
ルカ 3:10
イエスさまが宣教を
開始される前に、
まずバプテスマのヨハネが
ヨルダン川周辺の地域に行きます。
そして罪の赦しに導く
悔い改めのバプテスマを
宣べ伝えるのです。
これを受けて多くの人が
バプテスマを受けるために
ヨハネのところにきました。
その彼らにヨハネは語るのです。
「悔い改めにふさわしい実を
結びなさい」
形式的に、またただ御怒りを
避けるためだけに、バプテスマを
受けるのはやめなさいと。
このヨハネのことばを聞き
群衆は「私たちは
どうしたらよいか」と問うのです。
その答えの中心は
隣人を愛すること。
悔い改めにふさわしい実とは
自分中心から脱却することなのです。
私たちはついつい自分さえ
良ければと思ってしまいます。
そうではなく自分に
してもらいたいように隣人にする。
このように生きることが
できるようにイエスさまは
私たちのために十字架にかかって
死んで三日目によみがえってくださったのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、自分中心の歩みから自由にさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
父の家に[ルカの福音書 2:41-52]
どうしてわたしを捜されたのですか。
わたしが自分の父の家に
いるのは当然であることを、
ご存じなかったのですか。
ルカ 2:49
ヨセフとマリア夫婦は、
毎年、過越しの祭りのために
エルサレムに上っていました。
イエスさまが12歳になられたときも
彼らはイエスさまと一緒に
エルサレムに行くのです。
その帰り、イエスさまは
エルサレムにとどまります。
それに気づかなかった両親は焦り、
イエスさまを捜しまわるのです。
そして3日目に両親はイエスさまを
神殿の中で見つけます。
彼らは親として当然、
イエスさまを注意するのです。
それに対してイエスさまは
「どうしてわたしを捜したのですか」
「わたしが父の家にいるのは当然だと
なんでわからなかったのですか」と。
両親が心配して捜すのは当たり前です。
イエスさまが神殿にいるのは
分かるはずがありません。
でもこのような出来事を通して
イエスさまはご自分が救い主
キリストであることを
明らかにされたのです。
またイエスさまを捜すならば
必ず見つかること。
これは私たちにとっても
大きな慰めでしょう。
いつでもどんなときにも
主イエスさまを
捜し求めていきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、イエスさまを捜し求め、
イエスさまに日々出会うことができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
待ち望む人たち[ルカの福音書 2:21-40]
ちょうどそのとき彼女も近寄って来て、
神に感謝をささげ、
エルサレムの贖いを待ち望んでいた
すべての人に、この幼子のことを語った。
ルカ 2:38
イエスさまの誕生を誰よりも
待ち望んでいたのは
シメオンとアンナでした。
彼らは両親がイエスさまを
連れて入ってくると
すぐに救い主だと気づくのです。
そしてイエスさまに近づき、
神さまをほめたたえ
感謝を捧げるのです。
シメオンはイスラエルが
慰められることを待ち望み、
アンナはエルサレムの贖いを
待ち望んでいた人たちに
イエスさまのことを語ります。
待ち望むことは忍耐がいるのです。
でも諦めず、主のことばが必ず
実現すると信じ続けているなら
そのときが来たときに分かる。
そうするとみんなの前で
神さまをほめたたえ、
感謝をささげることができるのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたのみことばが必ずなると
忍耐して待ち望むことができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
思いを巡らす[ルカの福音書 2:1-20]
しかしマリアは、
これらのことをすべて
心に納めて、思いを巡らしていた。
ルカ 2:19
ヨセフは身重のマリアを伴い
住民登録のためにベツレヘムに
向かい、そこでマリアは
イエスさまを出産します。
この知らせを初めに聞いたのが
羊飼いたちでした。
御使いが夜番をしていた現れ、
大きな喜びを告げ知らせます。
これを聞いた羊飼いたちは
主のことばを信じて、
ベツレヘムに急いで行って
イエスさまを捜し当てるのです。
そしてマリアとヨセフたちに
自分たちが御使いから
聞いたことを知らせました。
彼ら以外にも、
その場にはいたようで、
羊飼いの語ることばに
驚くのです。
しかしマリアは、
彼らの語ることをすべて
心に納め、思いを巡らす。
このときマリアの中で
自分が産んだ子が
救い主キリストであると、
さらに確信が与えられたことでしょう。
マリアは静かに、純粋に
みこころを受け止めます。
まだまだ分からないことだらけで
あったでしょうが主に委ねるのです。
私たちも最初から主の御心の
すべてが分かるわけではありません。
でも一歩一歩主に信頼して歩む中で、
主は御心を徐々に明らかにしてくださるのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、マリアのように
様々なことを心に納めて、
思いを巡らすことができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
9時30分より ”イズミンキッズ” です。
10時30分より ”主日礼拝” です。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
主のことばを信じる[ルカの福音書 1:1-25]
その時が来れば実現する
私のことばを、あなたが
信じなかったからです。
ルカ 1:20
今日からルカの福音書です。
祭司ザカリヤとエリサベツ夫妻は
神の前に正しい人で、
主のことばを落ち度なく行っていました。
けれど彼らには子どもが
与えられていなかったのです。
あるときザカリヤが祭司としての
神殿に入って香をたこうとすると
御使いガブリエルが現れます。
ガブリエルはザカリヤに
「恐れることはありません。
あなたの願いが聞き入れられたのです。
エリサベツは男の子を産みます。
その名をヨハネとつけなさい」と告げるのです。
これに対してザカリヤは
「私はそのようなことを、
何によって知るか。
妻も自分も年を取っているし」と答えます。
いきなり、こんなことを言われたら
戸惑うのは当然です。
あり得ないと思うでしょう。
けれどガブリエルは彼が
その時が来れば実現することばを
信じなかったので、
しゃべれなくなると告げるのです。
とても厳しい罰。
ザカリヤは本当に
主の前に正しい人でした。
もっと説明してあげても
良かったのではないかとも思うのです。
でもこの時ザカリヤに求められたのは
すべてが分かったら従う、
信じるということではなく
主のことばは必ず実現すると
信じる心だったのです。
主のことばは必ず実現する。
このことを純粋に信じることは
私たちにとっても難しいです。
だからこそ主のみことばは
時が来れば実現することを
信じる信仰を主に与えていただきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたのみことばの確かさに
信頼して歩めますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。