翼の下に[ルカの福音書 13:22-35]
わたしは何度、めんどりが
ひなを翼の下に集めるように、
おまえの子らを集めようとしたことか。
ルカ 13:34
救われる人は少ないか。
ある人がイエスさまに
質問します。
救いは主の一方的な
選びであり、主の恵み。
でも私たちが救いを喜んで
受け入れる必要があるのです。
狭い門から入るように
努めるとは、
どういうことでしょうか。
私たちの願う先にあるのは
広く大きな門かもしれません。
でも主の願われる先にあるのは
私たちにとって狭い門。
その門に入るのは、
簡単ではありません。
もし私たちが広く大きな
門ばかりに入り続けるなら、
最終的に「私は知らない」と
主に言われてしまう。
そうならないように
主は私たちをご自分の
みもとに集めようとされる。
それはもしかしたら狭い門?
主を選び取っていくこと、
このことを主はいつも願われ、
それこそ神の国に
属する者の生き方。
今、主に知られ、
主に愛されている者たちとして
主を知り、主の喜ばれる歩みを
選び取っていくことができたら幸いです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、狭い門から入ることができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
悔い改めないなら[ルカの福音書 13:1-21]
番人は答えた。「ご主人様、
どうか、今年もう一年
そのままにしておいてください。
木の周りを掘って、
肥料をやってみます。
ルカ 13:8
思いがけない悲惨なことが
起こったとき、
彼らは罪深かったのだと
考えやすいです。
しかしイエスさまは
「そんなことはありません。
わたしはあなたがたに言います。
あなたがたも悔い改めないなら、
みな同じように滅びます」と。
悔い改めないなら、、、
私たちはどうでしょうか。
日々、悔い改めて、
実を結んでいるでしょうか。
6節以降でイエスさまは
一つのたとえを語られます。
ぶどう園にイチジクの木を
植えたけれど実がならない。
だから番人にイチジクの木を
切り倒すように命じるのです。
すると番人はその木を切るのを
一年待ってくれるように願います。
彼は木の周りを掘って、
肥料をやるからと。
それで実を結べば良し、
ダメなら切り倒してください。
ここから分かるのは
悔い改めは私たちの
努力しだいではなく
主のあわれみと祈りにあること。
主はいつも私たちの心を探り、
私たちが悔い改めて、
実を結ぶように
働きかけてくださるのです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、イエスさまがいつも
私たちのためにとりなし、
悔い改める心を与えてくださり、
感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
火を投げ込むために[ルカの福音書 12:49-59]
わたしは、地上に火を
投げ込むために来ました。
ルカ 12:49
イエスさまが地上に
火を投げ込むために
来られたとは
どういうことでしょうか。
これは私たちの罪を
きよめる火です。
そのためにイエスさまは
十字架で死なれました。
この十字架はイエスさまに
とって大きな苦しみであった。
でもそれを私たちのために
成し遂げてくださったのです。
またイエスさまは
驚くべきことを言われます。
イエスさまは平和を
もたらすためでなく
分裂をもたらすために
来られたということ。
たしかにイエスさまによって
救われる人もいれば
イエスさまにつまずく人もいます。
イエスさまを信じ、
神さまを第一として生きることで、
家族関係がギスギスすることも
あるでしょう。
だからと言ってイエスさまは
家族が分裂することを
望んでおられるわけではないのです。
家族関係がイエスさまによって
いったん砕かれることで、
イエスさまにあって
再び回復することを願っておられます。
いつも私たちに問われているのは、
主を第一とするか。
家族(それは他でもなく自分)を
第一とするか。
主を第一としたとき、
肉の家族が霊的な家族となり、
永遠のいのちの望みに
生かされるのです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、家族があなたの福音に聴き、
救われますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
用心していなさい[ルカの福音書 12:35-48]
あなたがたも
用心していなさい。
人の子は、思いがけない
時に来るのです。
ルカ 12:40
油断せずに、
目を覚ましている
ことの大切さを
イエスさまは語られます。
中心は47節にある
「主人の思いを
知りながら用意もせず、
その思い通りに
働きもしない」ということ。
主のみこころを
知るものとされているのに、
そのみこころに従って
生きようとしない。
これを主は一番
悲しまれるのです。
それなら知らないほうが
まだましだと。
主が願われているのは
キリストの再臨が
いつ来ても良いように
目を覚ましていること。
すぐに自分勝手に
生きようとしてしまう私たち。
でも主のみこころを
知るものとされた私たちには
責任もあるのです。
その責任をしっかり心にとめ
主の心を心として
主のみこころに生きることが
できるようお祈りしましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたのみこころを知る者として、
あなたのみこころに生きられますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
御国を求めよ[ルカの福音書 12:13-34]
むしろ、あなたがたは
御国を求めなさい。
そうすれば、これらのものは
それに加えて与えられます。
ルカ 12:31
私たちの心に
満ちているものは何か。
このことが問われています。
イエスさまは「どんな貪欲にも
気をつけるように」と命じられ、
「自分のために蓄えても、
神に対して富まない者」の愚かさを
語られます。
そして何を食べたらよいか、
何を飲んだらよいかと
心配するのをやめるように
言われるのです。
私の中にも貪欲さがあります。
すべての必要を主が
満たしてくださるのに
それで満足できないのです。
心配して、気をもんでしまう。
そんな私にイエスさまは
御国を求めるように
命じられます。
御国を求めるとは、
神さまのことを第一にし、
神さまを心の中心にして
生きること。
そうすれば私たちは
主によって満たされていることに
気づかされ、貪欲から
自由にされるのです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、御国を求めて歩めるよう、
私たちを助けてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
9時30分より ”イズミンキッズ” です。
10時30分より ”主日礼拝” です。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
内にあるものを施す[ルカの福音書 11:37-54]
とにかく、内にあるものを
施しに用いなさい。
そうすれば、見よ、
あなたがたにとって、
すべてがきよいものとなります。
ルカ 11:41
パリサイ人たちは律法と
ユダヤ人の習慣に忠実であり、
それによって自分たちは
きよいものとなっていると
考えていたのです。
そんな彼らにイエスさまは
外側はきよめるけれど、
内側は強欲と邪悪で
満ちていると痛烈に非難します。
また律法を守っていると言いながら
律法の中で一番大切な
正義と神さまへの愛を
おろそかにしていると。
人はうわべを見るが、
主は心を見られる。
私たちも表面を
繕ってしまうことがあります。
いや、そういう時が多い。
だからこそ私たちは自らの内側を
いつも主に探っていただき、
きよめていただく必要があるのです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、私たちの心を探り、
あなたの恵みによってきよめてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
ニュースレター2025年3月号が発行されました。
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光が闇にならないように[ルカの福音書 11:27-36]
ですから、自分のうちの
光が闇にならないように
気をつけなさい。
ルカ 11:35
明かりをともして、
それを隠す人はいません。
みんなを照らすことが
できるように置きます。
でも、もし明かりを
隠すことがあるとすれば
どんなときでしょうか。
それは知られたくない、
隠しておきたいときです。
私たちは自分の内側を
知られることを恐れます。
自分自身も知りたくない。
なぜなら私たちの内には
様々な悪があるからです。
けれど、それを隠し続けるなら
私たちの内はいつまでも
闇のままです。
闇のままで私たちが
生きるのは辛い。
だからイエスさまは私たちの
内を照らしてくださるのです。
闇を照らされたとき、
そこは闇ではなくなります。
すべてが明らかになるのです。
それは私たちにとって
大きなチャンレジですが、
闇が明らかになったとき、
私たちは真の自由を得る。
隠すことがない人生は、
楽で、幸せです。
今日もイエスさまに
闇を照らしていただき
光の中を歩みましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、私たちの心の闇に
光を照らしてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
もう神の国は[ルカの福音書 11:14-26]
しかし、わたしが神の指によって
悪霊どもを追い出しているのなら、
もう神の国はあなたがたの
ところに来ているのです。
ルカ 11:20
イエスさまが悪霊を
追い出しているのを
見た人たちは驚きます。
そしてある人たちは
イエスさまが悪霊どもの
かしらによって
悪霊を追い出しているというのです。
すなわちイエスさまが悪霊に
つかれているということでしょう。
そんな彼にイエスさまは
サタンが仲間割れしたのなら、
どうしてサタンの国が立ちゆくかと
問われます。
そしてイエスさまが神の指
神さまの力によって悪霊どもを
追い出しているなら、
神の国はあなたがたのところに
来ているのだと。
闇の力が支配する時代は
終わり、神さまの支配が
到来している。
神の国は来ている。
だからこそサタンの力に
私たちは打ち勝つことが
できるのです。
そして大切なことは、
私たちが主につながり、
主から離れないこと。
主の恵みを知ったうえで
主から離れてしまうなら、
主のみことばによって
心を満たしていないならば、
もっと悪い状態になると
イエスさまは言われるのです。
私たちの心には今
何があるでしょうか。
私たちを主から引き離すものを
告白し、締め出しましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたから引き離すものを
私たちの心から取り除くことができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。