9時30分より ”イズミンキッズ” です。
10時30分より ”主日礼拝” です。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
【日々のみことば】5月31日
私を強くしてくださる方[ピリピ 4:10-23]
私を強くしてくださる方によって、
私はどんなことでもできるのです。
ピリピ 4:13
*聖書をお持ちでない方は
以下のホームページをご覧ください。
朗読も聴くことができます。
https://prs.app/ja/bible/php.4.jdb
ピリピの教会はパウロを
経済的な面でも支えていました。
彼らは今回も、エパフロディトを
ローマで軟禁されていた
パウロのもとに遣わしたのです。
その贈り物を受けて、
パウロは満ちあふれていると
喜びます。
一方で、ピリピの教会は
一時期、パウロの支えようという
気持ちが薄くなったようです。
その理由は定かではありませんが、
悪い働き人に惑わされ、
パウロに対する不信感の
ようなものがあったのでしょう。
けれど彼らは再び、
パウロの宣教を支えよう
という思いが与えられ
エパフロディトを遣わした。
またパウロは11節で、
どんな境遇にあっても
満足することを学んだと
語るのです。
彼の宣教の歩みは、
決して順調ではありませんでした。
多くの喜びとともに、
苦しみをも経験するのです。
それを通して、ありとあらゆる境遇に
対処する秘訣を身につけていきます。
そして彼は自分の力で生きる道から、
自分を強くしてくださる、
主の力に頼り、どんな状況にあっても
乗り越える恵みにあずかるのです。
私たちは弱い。だけど私たちを
強くしてくださる主イエスさまによって
私たちは力強く歩むことができる。
どんな状況にあっても
失望することなく、
主にあって前進することができる。
この恵みを覚え、
主にあって強められて
歩んでいきましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたは私たちを
強くしてくださるお方です。
あなたの力により頼み歩めますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
【日々のみことば】5月30日
神の平安[ピリピ 4:1-9]
そうすれば、すべての理解を
超えた神の平安が、
あなたがたの心と思いを
キリスト・イエスにあって
守ってくれます。
ピリピ 4:7
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4章1節を見ると、本当にパウロが
ピリピのキリスト者たちを愛し、
大切に思っていたことが分かります。
だからこそ彼らを励まし、
キリストにあって堅く立って
欲しいと願っていたのです。
そのために大切なこと。
①いつも主にあって喜ぶこと。
②願い事を主に知っていただくこと。
③良いことに目を留めること。
私たちの人生、失望したり、
思い悩むことも多いし、
ネガティブな考えに心が
満たされてしまうこともあります。
だからこそパウロは主イエスさまを見上げ
父なる神さまにすべてを委ね、
主が良くしてくださった
一つ一つのことに目を留めよと勧めるのです。
そうすれば、平和の神が
私たちとともにいてくださると。
私たちの心が守られるのです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、周りの状況に
左右されやすい私たちです。
そんなときにあなただけを
見上げていけますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
【日々のみことば】5月29日
キリストに捕らえられ[ピリピ 3:12-21]
しかし、私たちの国籍は
天にあります。
そこから主イエス・キリストが
救い主として来られるのを、
私たちは待ち望んでいます。
ピリピ 3:20
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以下のホームページをご覧ください。
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パウロは自分が完全な者と
なったわけではないと語ります。
救いの完成に向けて、
追及しているのだと。
でも救いの完成が
不確かなものではなく
自らの努力次第ということでもなく、
キリストがそれを得るように
捕らえてくださったと。
これはとても大切な考えですね。
洗礼が私たちのゴールではありません。
洗礼はむしろスタート。
自分がクリスチャンとして
完全な者とされ、もう大丈夫と
思うことを神さまは願っておられない。
私たちはいつも後ろのものを忘れ、
前のものに向かって身を伸ばし
イエスさまにあって父なる神さまが
上に召してくださるという目標に向かって
走り続けるのです。
私たちはキリスト者として成長していく。
どのように成長していくのか。
天国人として、この世の生き方に固執せず、
主の似姿に変えられる。
ぜひ日々、主に祈りましょう。
私を主の似姿に変えてくださるように。
キリストのきよさに、
ますますあずかることができるよう
悔い改めて生きられるように。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、私たちがキリストに向かって
成長するために私たちを
捕らえてくださったことを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
【日々のみことば】5月28日
キリストを知るすばらしさ[ピリピ 3:1-11]
それどころか、私の主である
キリスト・イエスを知っている
ことのすばらしさのゆえに、
私はすべてを損と思っています。
ピリピ 3:8
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以下のホームページをご覧ください。
朗読も聴くことができます。
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ピリピの教会の一致を
乱す者たちに気をつけるように
パウロは命じています。
彼らは自分たちの行い・家柄・
信仰を誇り、自分の正しさを
ひけらかしていたのでしょう。
パウロもそのような人間的な
誇りをもって、生きてきました。
律法を誤りなく守り、
だれよりも正しくあったのです。
でもイエスさまを知った時、
イエスさまに出会ったとき、
それらのものはちりあくた
となりました。
すべての誇りを捨てた。
いや捨てざるを得なかった。
しかしそれを彼は嘆くのではなく、
何よりも喜びとするのです。
彼は今まで自分の行いで
神さまの前に義と
認められようと必死でした。
けれどキリストに出会ったとき、
キリストを信じることによって
ただ恵みによって義とされると
教えられるのです。
私たちも行いによって
義とされたのではありません。
イエスさまを信じる信仰により、
私たちは義と認められたのです。
またパウロが語るように、
キリストを知っていることの
すばらしさのゆえに
すべてを損と思っていると
私たちは心から告白できるでしょうか。
誇りを捨てられない私がいます。
それはイエスさまを知っていることの
すばらしさを十分に味わっていない
からかもしれません。
今日も一日、イエスさまを知っている、
イエスさまとともに生きる者とされている、
このことが如何にすばらしい恵みであるかを
思い巡らして歩んでいけたら幸いです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、イエスさまを知っている
喜びに満たしてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
【日々のみことば】5月27日
キリストのことを求める[ピリピ 2:19-30]
みな自分自身のことを求めていて、
イエス・キリストのことを
求めてはいません。
ピリピ 2:21
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使徒の働き16章を見ると、
テモテは第二次伝道旅行から
同行するようになりました。
ですからピリピの教会は
テモテのことを知っていたのでしょう。
その彼をピリピに送りたいと
主イエスさまにあって
パウロは望んでいたのです。
それはテモテがパウロと同じ心で
ピリピのクリスチャンたちの
ことを心配していたからです。
また彼は自分自身のことではなく、
イエスさまのことを求めていた。
パウロと同じようにイエスさまを
第一に歩んでいたのです。
さらにピリピ出身のエパフロディトが
パウロの兄弟、同労者、戦友として
パウロの宣教をともに担ったようです。
でも、その最中、エパフロディトは
大変重い病気を患いますが、
主のあわれみによって
癒やされるのです。
その彼をパウロはピリピの教会に
送り返すと伝えます。
これはパウロにとって大きな損失で
あったかもしれませんが
ピリピの教会のことを思っての判断です。
パウロも、テモテも、エパフロディトも
自分自身のことを求めず、
イエス・キリストのことを
常に求めていた。
そこには人間的な困難もありましたが、
失望することなく、主の最善を求めるのです。
彼らは生きることはキリスト、
死ぬことは益であるという心を持ち
どんなことがあっても自分たちの身によって
キリストがあがめられることを願います。
私たちもイエス・キリストのことを求め、
どんなときにも主のあわれみを待ち望み、
自分の身を通して主があがめられることを
願いつつ、歩めますように。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、どうか私たちが自分自身のことではなく、
イエスさまのことを求められますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
【日々のみことば】5月26日
神はみこころのままに[ピリピ 2:5-18]
神はみこころのままに、
あなたがたのうちに働いて
志を立てさせ、
事を行わせてくださる方です。
ピリピ 2:13
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朗読も聴くことができます。
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パウロはキリストの
生き方に倣うように勧めます。
キリストの謙遜、へりくだりは
私たちには決してまねできません。
けれど私たちが諦めるのではなく、
キリストの生き方を
いつも思いめぐらし
歩むことの大切をパウロは語るのです。
私たちの人生、満足することが少なく、
不平を言ったり、神さまの愛を疑ったり、
のらりくらり歩むことが多い。
でもそのような不平、疑いを捨て、
みこころのままに私たちのうちで
働いて志を立てさせ、
事を行わせてくださる神さまに
従うように命じるのです。
これは私たちのためになる。
また私たちの周りの人のためになる。
私たちは今何を
握りしめているでしょうか。
私たちがこの世にあって
キリストと結びつき、
聖なるものと生きるためには
いのちのことばをしっかり握る
必要があります。
それによって私たちの信仰はぶれず、
世の光として輝くことができるのです。
このことを主は何よりも願い、
私たちを導き続けてくださいます。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたのみことばを
しっかり握って歩めますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
5月第四主日礼拝のご案内(5月25日)
9時30分より ”イズミンキッズ” です。
10時30分より ”主日礼拝” です。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
【日々のみことば】5月24日
私の身によって[ピリピ 1:12-26]
私の願いは、どんな場合にも
恥じることなく、
今もいつものように大胆に語り、
生きるにしても死ぬにしても、
私の身によってキリストが
あがめられることです。
ピリピ 1:20
*聖書をお持ちでない方は
以下のホームページをご覧ください。
朗読も聴くことができます。
https://prs.app/ja/bible/php.1.jdb
パウロの投獄によって
神の国の広がりが停滞することなく
逆に福音宣教の働きが
ますます盛んになるのです。
それをパウロは喜ぶのです。
パウロの願いは、
20節にあるように、
どんなときにも恥じることなく
大胆に福音を語り、
生きるにしても死ぬにしても
自分を通して、
主があがめられること。
さらなるパウロの願いは
世を去ってキリストと
ともにいることでした。
そのほうがはるかに望ましいと。
でもパウロはピリピのクリスチャン、
そして自分が福音宣教をした
多くの地域で建て上げられた
若い教会の信仰の前進と喜びのために
生きる使命があると確信していたのです。
パウロは常に自分の益ではなく、
キリストの益、人々の益を優先し、
自分を通してキリストが
あがめられることを
第一にして生きていました。
私たちが生かされているのも
私たちを通してキリストが
あがめられるため。
ともに集まり、キリストを賛美し、
キリストを宣べ伝え、
ともに賛美する人々が
起こされるためなのです。
どうか今日も私を通して
キリストがあがめられますように
と祈りつつ歩んでいきましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、私を通して
あなたがあがめられますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
【日々のみことば】5月23日
キリストの日に[ピリピ 1:1-11]
あなたがたの間で
良い働きを始められた方は、
キリスト・イエスの日が来るまでに
それを完成させてくださると、
私は確信しています。
ピリピ 1:6
*聖書をお持ちでない方は
以下のホームページをご覧ください。
朗読も聴くことができます。
https://prs.app/ja/bible/php.1.jdb
この手紙はパウロが
ローマの獄中から
マケドニア地方にあったピリピ
のクリスチャンに宛てたものです。
パウロは第二次伝道旅行の途中、
トロアスで幻を見ます。
ひとりのマケドニア人が立って
「マケドニアに渡って来て、
私たちを助けてください」と
懇願するのです。
それを主のみこころと確信した
パウロは船でマケドニアに渡り、
ピリピに行きます。
そこで最初にコンタクトを取ったのが
紫布の商人であったリディアという女性でした。
主が彼女の心を開いてくださり、
彼女と彼女の家族はバプテスマを受けるのです。
これがピリピ教会の始まり。
でもすぐに大きな試練を経験します。
パウロが占いの霊につかれた
若い女奴隷をいやしたことで、
大問題になり、パウロとシラスは
むちで打たれ、牢に入れられるのです。
この牢で主は素晴らしい
みわざをなしてくださり、
看守の家族を、みな救われます。
このようにピリピでの宣教は
試練のなかでも、
多くの実を結ぶのです。
でもパウロは彼らが
救われるだけで、
良しとしませんでした。
彼はピリピのクリスチャンたちが
キリストの日に備えて、
純真で非難されるところのない者となり、
イエスさまによって与えられる
義の実に満たされて、
神さまの栄光と誉れが現わされるように
祈るのです。
私たちのゴールはイエスさまを信じて
救われることではありません。
イエスさまを信じ、
神の子とされた私たちは
キリストに似たものと日々
御霊によって変えられ
神さまの栄光を現わし、
神さまをほめたたえることを目指す。
でもこれは私たちの力で
何とかするものではなく
主が私たちを完成へと
導いてくださるのです。
だから大切なことは、
私たちがいつもキリストに
向かって成長したい
愛が豊かになり、主を知りたいと
願い祈ることですね。
そのことを主はなしてくださる。
このみことばの確かさに委ね、
今日もキリストを見上げ、
キリストの生き方に
倣う者とさせていただきましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、私たちがキリストに向かって成長し、
あなたの栄光を現わすものとさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。


