生ける神の印[黙示録7:1-17]
御座の中央におられる
子羊が彼らを牧し、
いのちの水の泉に導かれる。
黙示録 7:17
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額に生ける神の印が押される。
これは選びと救いのしるしでしょう。
それとともにすべての国民から
数えきれないほどの人々が
御座と子羊の前に立つのです。
彼らは白い衣をまとい、
手にナツメ椰子の
枝を持っています。
彼らは14節によると
大きな艱難を経てきた者たち。
彼らは自らの罪を告白し、
キリストの血できよめられたのです。
私たちはかつて罪と
汚れの中にあり、
主を賛美するような
者たちではありませんでした。
けれど御霊によって
悔い改めへと導かれ
罪を告白することで
罪と決別し、
キリストの血によって
白くされます。
そして今、私たちは主に
大胆に近づき、主を賛美し、
主を礼拝できているのです。
これは、この世で終わらない。
神の国が完成し、永遠に
主とともに生きる者とされ、
主に心から仕えることができる。
いつでも主の守りがあり、
飢えることも、渇くこともない。
私たちの牧者である
子羊キリストが私たちを牧し、
いのちの水の泉に導いてくださる。
私たちの目から涙を
ことごとくぬぐい
取ってくださるのです。
一方で、この世にあっては
艱難があることも確か。
でもその艱難の中で
私たちの主への信頼は
増し加わるのです。
終わりの日に与えられる
すばらしい約束を
今日も待ち望み、
主に仕え、賛美していきましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、私たちがキリストの血によって
白くされ、あなたを礼拝できる特権を
与えてくださり、感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
封印が解かれ[黙示録6:1-17]
神と子羊の御怒りの、
大いなる日が来たからだ。
だれがそれに耐えられよう。
黙示録 6:17
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子羊なるキリストが
七つの封印を解いていきます。
封印を解くことで与えられる
わざわいは終末における
警告的審判とのこと。
勝利の上に勝利を得たのち、
地の平和を奪い取ることを許され
ききんが起こり、多くの人が
殺される。
このようなわざわいの中で
人々が悔い改めて、
主に立ち返ることを
主は願っておられます。
9節で、第五の封印を解いたとき、
神のことばと、自分たちが
立てた証しのゆえに殺された者、
すなわち殉教した者たちのたましいが
祭壇の下にいるのが見えるのです。
彼らは主に叫ぶ。
「いつまでさばきを行わず、
地に住む者たちに私たちの
血の復讐をなさらないのですか」
主の正義をなしてくださいとの叫び。
そんな彼らに主は白い服を与えられます。
でも、さばきは行われない。
殉教者の数が満ちるまで。
このことは私たちにとって
大きなチャレンジでしょう。
と同時に、神のことばと
主の証しのゆえに苦しみ、
たとえ地上で命を
落とすことがあっても、
主のもとで憩う望みがある。
12節以降、第六の封印を解いたとき、
大きな自然災害が続けて起こるのです。
それを受けて、すべての人が
主のさばきを恐れます。
でも彼らは主に立ち返らない。
山々や岩に向かって、
主の御怒りから自分たちを
隠してくれと頼む。
どこまでも主を認めず、
主により頼むことのない
彼らの頑なさを見るのです。
主のさばきに、誰も耐えられない。
だから私たちは日々、主に立ち返り、
主のことばに従い、
キリストの復活の証人として
歩んでいくことが求められているのです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたのことばと
あかしのゆえに生かしてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
聖徒たちの祈り[黙示録5:1-14]
彼らはそれぞれ、竪琴と、
香に満ちた金の鉢を持っていた。
香は聖徒たちの祈りであった。
黙示録 5:8
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御座に着いておられる方の
右の手に巻物をヨハネは見ます。
それには内にも外にも字が書かれ、
七つの封印で封じられていたのです。
その巻物を開き、
見ることのでき、
ふさわしい者は、
天でも地でも地の下でも
だれも見つかりませんでした。
だからヨハネは泣く。
それを見て、長老の一人が
ユダ族から出た獅子、
ダビデの根が勝利したので、
彼がそれを開き、
封印を解くことができると
言うのです。
このお方こそ、罪を取り除く
神の子羊であるイエスさま。
子羊であるイエスさまは
御座に着く父なる神さまの
右の手から巻物を受け取ります。
そうすると四つの生き物と
二十四人の長老たちは
子羊の前にひれ伏すのです。
このとき彼らが手にしていたのが
竪琴と、香に満ちた金の鉢。
香は聖徒たちの祈りでした。
「香は聖徒たちの祈り」
なんて素敵な表現でしょうか。
私たちの祈りは
主の前にのぼっている。
しかも私たちの祈りは
金の鉢に満たされている。
一つも忘れられず、
主はすべてを聞いてくださる。
さて四つの生き物と、
二十四人の長老たちは
子羊であるキリストを
心から賛美します。
キリストの血によって
人々を神さまのために贖い、
神さまのために、彼らを王国とし
祭司とされた。
ここで贖い、救い、
そして神の王国、すべてが
神さまのためであると
告白し、主をあがめています。
その賛美は、どんどん広がって
大勢のものたちが、主をほめたたえ
主に栄光を帰すのです。
私たちが主を心からほめたたえ
賛美するなら、その賛美が
どんどん増え広がっていく。
だから主の恵みを
私たちだけにとどめず
いつでも主の恵みに感謝し、
主をほめたたえていきましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたへの感謝と賛美を
いつも私たちの口から絶やさず、
あなたへの賛美がさらに広がっていきますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
聖なる聖なる聖なる[黙示録4:1-11]
聖なる、聖なる、聖なる、
主なる神、全能者。
昔おられ、今もおられ、
やがて来られる方。
黙示録 4:8
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心が開かれたヨハネは
開かれた門が天に
あるのを見ます。
そして彼は御霊によって
天に上げられ、
御座についておられる方が
おられるのを見るのです。
御座の周りには
白い衣をまとい、
頭に金の冠をかぶった
24人の長老たちが
座っています。
白い衣はキリストの血によって
きよめられたことを現わし、
金の冠は彼らが王、祭司と
されていることと深く関係しているようです。
また6節後半から、
不思議な4つの生き物が
御座の周りにいるとあります。
前も後ろも目で満ちており、
六つの翼がある。
目で満ちているとは、
どういうことなのか。
これは主のみわざをしっかり見て、
主をほめたたえることを
意味しているのでしょうか。
主は私たちを見ておられ、
私たちも主を見、
主のみわざを見る。
そして主を見、
主のみわざを見るとき、
私たちは主をほめたたえる
賛美の口が与えられるのです。
さらに白い衣を着て、
金の冠をかぶっていた
長老たちは、金の冠を
御座の前に投げ出し、
主の前にひれ伏します。
彼らは自らの特権を投げ出し
主の前にへりくだるのです。
キリストの血によってきよめられ
王・祭司とされた恵みを感謝し、
そのうえで、それらを誇らない。
絶えず主の前に謙遜に、
神の子としての特権を覚え、
主をほめたたえていく。
そのために私たちは存在し
創造されたからです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、私たちをキリストの血によってきよめ、
あなたをほめたたえる口を与えてくださり、
ありがとうございます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
熱心になって悔い改めよ[黙示録3:14-22]
わたしは愛する者をみな、
叱ったり懲らしめたりする。
だから熱心になって悔い改めなさい。
黙示録 3:19
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ラオディキアの教会は
生ぬるかったようです。
だから「わたしは口から
あなたを吐き出す」と
イエスさまは言われます。
生ぬるさとは、
どっちつかずで、
この世に
迎合していたのでしょう。
この世の富を得ても、
満ち足りていても、
主の前には、みじめで
哀れであった。
彼らはキリストをまとっておらず、
霊的な目が閉ざされていた。
でもイエスさまは彼らを見捨てず、
彼らへの愛が冷めたわけではなかったのです。
彼らを叱り、懲らしめ、
彼らが熱心になって
悔い改めることを
何よりも願っておられた。
熱心に悔い改めるとは、
イエスさまが戸の外に
立っていることを知り、
心を開いてイエスさまを
迎えることでしょう。
私たちは時々、
イエスさまを心から
閉め出してしまうことがある。
この世のことばかりに
心が奪われ、
イエスさまを見失ってしまう。
だから私たちはいつでも
熱心になって悔い改め
イエスさまを心にお迎えできるよう
ともにお祈りしていきましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、今日もイエスさまを心にお迎えし、
生ぬるい信仰から解放してください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
7月6日の礼拝は、伏石町の新会堂建設地でささげます。
時間は10時からで、イズミンキッズはお休みです。
*YouTubeでのライブ配信する予定ですが、
上手くいかない可能性もありますので、ご了承ください。
→ こちらよりご参加ください。
↑配信の不具合があった場合は↓へ
→ こちらよりご参加ください。
ニュースレター2025年7月号が発行されました。
下の画像をクリックすると、全体がご覧いただけます。
思いと心を探る[黙示録2:18-29]
こうしてすべての教会は、
わたしが人の思いと心を
探る者であることを知る。
黙示録 2:23
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ティアティラの教会へのことば。
主は彼らの行い、愛と信仰と
奉仕と忍耐を知っていると
語られます。
また初めの行いにまさる
近ごろの行いも知っていると。
彼らの信仰がキリストにあって
成長しているということでしょう。
けれど彼らに一つの問題がありました。
それは自称預言者の女性を
なすがままにさせていること。
主は彼女に悔い改めの機会を
与えられるのですが、
彼女は全く悔い改めないのです。
主は悪を放置されない。
そして罪人が悪を捨て、
悔い改めることを
願っておられる。
けれど悔い改めないなら、
厳しいさばきを下されるのです。
主は人の思いと心を探られます。
人の目には立派に見えても、
神さまの目にはすべてが明らか。
これは実に恐ろしいことにも
思えますが、恵みでもある。
主が私たちの心を探り、
私たちの悪を明らかに
してくださるから、
私たちは悪にとどまることなく、
悔い改めて、いのちの道に帰れる。
そして大切なことは
私たちの行い、愛、信仰、
奉仕、忍耐は、主が私たちに
与えてくださった賜物。
それらをしっかり保つように
キリストは命じられるのです。
これこそ私たちに与えられる勝利。
勝利を得る私たちには、
明けの明星が与えられます。
明けの明星とは、イエスさまのことで
イエスさまはご自身を
信仰者たちに与えられるのです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたが私たちの思いと心を探り、
悔い改めへと導いてくださることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
死に至るまで[黙示録2:8-17]
死に至るまで忠実でありなさい。
そうすれば、わたしはあなたに
いのちの冠を与える。
黙示録 2:10
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https://prs.app/ja/bible/rev.2.jdb
スミルナの教会には
自称ユダヤ人、
サタンの使いが
入り込んでいたようです。
彼らはスミルナのキリスト者を
苦しめ、信仰から
引き離そうとしていたのです。
そんな彼らにキリストは、
受けようとしている苦しみを
何も恐れるなと語ります。
でも苦しみがすぐに
終わるわけではないのです。
サタンが彼らを試みて、
だれかを牢に投げ込む。
このような苦しみに耐え、
死に至るまで忠実であるなら
いのちの冠を与えると
約束してくださるのです。
パウロもテモテへの手紙第二で
「私は勇敢に戦い抜き、
走るべき道のりを走り終え、
信仰を守り通しました」と
告白しました。
キリストにある苦しみ、試練が
私たちにはあるのです。
それらを勇敢に戦い抜くこと。
死に至るまで忠実であること、
これは簡単なことではないでしょう。
ときに逃げ出したくなる時もあります。
でも私たちは恐れることがないのです。
キリストが私たちとともにいてくださり、
私たちとともに戦ってくださるから。
キリスト・イエスにある神の愛から
私たちを引き離すものは何一つありません。
主はしっかり私たちの右の手をつかみ、
すべての苦しみ、試練から救い出してくださる。
この主に信頼して歩み続けるなら、
私たちは決してつまずくことなく、
いのちの冠をいただくことができるのです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、苦しみ・試練の中で、
勇敢に戦い抜き、死に至るまで
忠実に歩めますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
初めの愛[黙示録2:1-7]
あなたは初めの愛から
離れてしまった。
黙示録 2:4
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https://prs.app/ja/bible/rev.2.jdb
イエスさまはエペソの
教会の行い、労苦と忍耐を
知っていると言われます。
教会の中に偽使徒、偽教師が
入り込み、大きな試練に
見舞われたとき、
彼らは忍耐して、戦ったのです。
それを主は見ておられ、
彼らが耐え忍び、
疲れ果てなかったことを褒める。
けれど彼らに対して、「あなたには
責めるべきことがある」と
彼らの欠けを指摘されるのです。
それは彼らが初めの愛から
離れてしまったこと。
初めの愛とは何でしょうか。
それは神を愛し、
隣人を愛する愛。
彼らは偽教師たちと対峙し、
彼らの罪を指摘する中で
どんどん愛が薄れていった。
だから初めの愛、
主イエスさまの愛を知り、
愛に満たされていた時に
戻るよう命じられるのです。
偽善を見抜くことばかりに
心が奪われてしまうと、
愛が薄れてしまうことはあります。
自分が正しい、自分の信仰は
真っ直ぐだと思っていると、
人をさばきやすくなるのです。
主は言われる。
まず愛するように。
愛はすべての罪を覆うから。
耐え忍び、主イエスさまの愛で
愛し合うなら、私たちは
主イエスさまにあって
勝利が与えられるのです。
今日も初めの愛に戻り、
初めの愛から離れず、
歩んでいきましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、初めの愛から
離れることがありませんように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。